第一話 捨てる男と捨てられる女
「お前の顔など、二度と見たくない」
そう少年が冷たく言い放つと、婚約者の少女は、深々とお辞儀をし、そのまま顔を上げようとはしなかった。
彼らの親は、幼馴染で、無二の親友だった。
『子供が生まれたら結婚させよう!』と、若い頃から約束をしていた。
そして、先に生まれた少年に合わせるように、少女は次の年に生を受けた。
名前も、スファレライトとアレキサンドライト。
語尾が同じ為に、少年はスファレ、少女は、アレキサンドラと家族から呼ばれていた。
常に己の名前を短縮して呼ばれる気分は、あまり良いものではなかっただろう。
しかし、小さい頃は、スファレライトも、自分の後ろを一生懸命ついてくるアレキサンドライトをかわいいと思っていた。
歩幅が自分より小さい彼女を心配し、何度も振り返っては存在を確かめるほどには。
しかし、十歳になったある日、彼は、アレキサンドライトと繋いでいた手を振りほどき、思い切り突き飛ばした。
クラスメイトの男子に、こう言われたからだ。
「君は、親同士が友達だから公爵令嬢と婚約できたんだろ?ラッキーだな」
最初は、意味が分からず、ムッとした。
彼女が傍にいるのは、スファレライトの中では当たり前のことで、無理矢理婚約を結んだつもりはなかったからだ。
しかし、その同級生は意味深に目を細めると、
「へー、知らないんだ。フフン」
と鼻で笑った。
同級生の言葉の意味を理解出来なかったスファレライトは、その後、家に帰って色々と考えてみた。
すると、自分もアレキサンドライトも長子であることに思い至った。
状況次第では、婿を取り公爵家を継がなければならないアレキサンドライトを、生まれた日に伯爵家の長子と婚約させるのは、確かにおかしい。
事実、スファレライトは一人っ子で、兄弟がいない。
ただ、幸運なことにアレキサンドライトには、沢山の妹と一人の弟が居た。
跡継ぎに困ることはなく、何も問題がないように思われた。
しかし、公爵家を訪ねた時、婚約者の妹達を見て、あることに気づいてしまった。
双子の妹以外、アレキサンドライトに全く似ていないことに。
父親である公爵の面影はあるが、ここまで母親に似ない子供達が生まれるだろうか?
疑問を抱くようになると、不思議と周りの噂が耳に入るようになる。
『公爵には、妻以外に女性が居て、産まれた子供を全員引き取っているらしい』
スファレライトの胸は、嫌悪感で一杯になった。
否定して欲しくて父親に問いただすと、
「どうしても、お前達を結婚させたかったんだ。アイツも苦しんでいるから、責めないでやって欲しい」
と肯定されてしまった。
跡取りになる男子を作るため、公爵は、複数の女性と契約して関係を持っていたらしい。
ここまでくると、狂気でしかない。
スファレライトは、アレキサンドライトの目を直視するこができなくなった。
それなのに、彼女は、彼に気に入られようと努力し続けた。
その全てがことごとく、裏目になるとも知らず。
年下のくせに、彼女はスファレライトより何でも上手く出来た。
勉強も、作法も、あまつさえ、剣術すら天才と呼ばれていた。
しかし、スファレライトは、アレキサンドライトが自分の言いつけを必ず守ることを知っており、それを利用して様々なことを禁止した。
剣を持つことも、夜会に出ることも、友達と会話することも許さなかった。
どんどん要求がエスカレートし、どんなに理不尽なことを言おうとも、反論すらしないアレキサンドライト。
髪の長さから服の色まで、スファレライトが考えなしに命令を下し続けた結果、彼女は貴族令嬢とは思えない髪の短さと見窄らしい服装がトレードマークの『残念令嬢』と呼ばれるようになった。
折角の美しい顔立ちも、無理やりスファレライトが切った不揃いな髪型のせいで物乞いのように見える。
下げ続ける頭を見ていた彼は、自分が部屋を出て行かない限り、彼女が顔を上げないことを知っていた。
何故なら、彼女はスファレライトに絶対服従で、顔を見たくないと言ったからには、一生顔を見せるつもりがないからだ。
本当に、彼女も、狂っている。
「婚約は、解消だ。理由は、お前が嫌いだからだ」
吐き捨てるようにいうと、
「スファレライト様、今まで、お疲れ様でした」
と何故か、労われた。
その一言を聞いたスファレライトは、アレキサンドライトと自分を繋ぐ何かが、プツリと切れた気がした。
それは、長年過ごしたから分かる気配のようなもの。
十七歳の彼は、十六歳の彼女を、生まれた時から見てきたのだ。
気まずさを感じたスファレライトは、そのまま踵を返すと部屋を出た。
ここは、学園の中で生徒が自由に借りることができる談話室。
申請した使用時間よりも随分と早いが、話が終わったからには、長居は無用だった。
両親には、この事は既に伝え、了承を得ている。
父親は、親友に申し訳ないことをしたと溜息をついたが、スファレライトを叱ることはなかった。
何故なら、この口約束は、本人達の意思がそぐわなければ、どちらからでも解消できると前置きがあったからだ。
やっと解放された彼は、あと1年という残り少ない学園生活を楽しむことにした。
婚約者がいる身で、他の女に手を出したりはしていない。
これは、男としてのけじめだった。
だが、最近スファレライトの心をある少女が奪いつつあった。
この婚約解消も、早く彼女を我が物にしたいと思ったからだ。
「スファレライト様は、本当に輝いています」
頬を赤らめ、潤んだ視線で見上げてきた少女の名前は、ガーネット。
長身なアレキサンドラとは違い、小柄で小動物のような愛らしさがある子だった。
この時のスファレライトは、完全に浮かれていた。
今までのモヤモヤが晴れ、これから始まる新しい生活に有頂天になっていた。
アレキサンドライトが、次の日に、他国へ留学したと聞いても、何も思わなかった。
いや、顔を合わせたくないと思っていた彼は、物理的に離れたことを大喜びしていた。
だから、気付かなかった。
自分を取り囲む世界そのものが、どこかおかしいということに。




