第61話 『悪意と応援のあいだで
放課後。
俺と夏樹、柴田さん、山本さんの四人は、食堂やまもとへ向かうために一緒に下駄箱へ向かっていた。今日は柴田さんの従妹であるジャーナリストとの情報共有会がある。正直、本を読んでいたい気持ちはあるのだが、ここまで来たら最後まで付き合うしかないだろう。
下駄箱で靴を履き替えていると、不意に女性陣の方から聞き覚えのある声がした。
「やぁやぁ、みなさんお揃いで。どちらに行かれるんですか? 時間があるなら、一緒に食事でもどうですか?」
顔を上げると、西海が立っていた。
「あ、西海君。ごめんね? 今日はこれから予定があるから一緒はできないや」
「私もです。家のお手伝いをしないといけなくて」
「私は予定がなくてもお断りよ」
三者三様の返答である。特に最後の一人は容赦がなかった。
「あらら〜残念だ。そう言えば、萌さんの家の食堂、そろそろ再開できるんだってね?」
「そうなんです! 再開したら、是非食べに来てくださいね!」
山本さんは本当に人を疑うことを知らない。笑顔でそう答えている。
「わかった。楽しみにしてる。でも、本当に再開して大丈夫なのか? たしか、山田農園の野菜を使っているんだろう? あそこの野菜、どうやら汚水にさらされてるっていうじゃねぇか」
「でも、大丈夫だって山田くんが言ってましたよ? 行政や保健所の方ともお話をした上でのことみたいですし」
「そうそう! 異常値のあるものは一部の区画だけみたいだしね。出荷する分も全部検査をしてから出荷することになっているみたい」
「元々、異常値が出ていると言っても健康被害は出ないだろうという数値だったのだけれどね。誠実で一生懸命でプロの鑑みたいな園長さんだわ」
三人の説明を聞いた西海は、安心したように頷いた。
「……それなら安心だ。じゃ、是非、営業を再開したら食堂にお邪魔することにするか」
「是非! サッカー部の皆さんで食べに来てください!」
「わかったよ。あらかじめ予約をした方がいいかもしれないから、SNSのIDを交換しないか?」
「……え? えっと……」
山本さんが鞄からスマホを取り出しかける。その瞬間だった。
「予約なら店に直接連絡してくれたらいいわ」
柴田さんが自然な口調で会話に割って入る。
「インターネットで調べたらすぐに出てくるわ。もしくは動画配信チャンネルに食堂のホームページのリンクも張ってあるから、そこから連絡したらいいわ」
「そうだね! それがいいよ! みんなで来てくれるんなら、私も創ちゃんもいる時の方がいいと思うしね!」
「創ちゃん?……あぁ、山神か」
一瞬だけ西海の表情に影が差した気がした。だが、それは本当に一瞬だった。
「わかった。ホームページを確認してみるよ。じゃあな」
「じゃ、じゃあね〜」
「またね! 西海君」
「…………」
西海は軽く手を振ると、そのまま校舎を出て行った。
その姿が見えなくなると、柴田さんは山本さんの方へ向き直った。
「萌……気をつけなさいよ?」
「はい! 助かりました。お店に来てもらえるって思うと、連絡先の交換も断りにくくて」
「まぁ、あれはフット・イン・ザ・ドアだな」
「フット・イン・ザ・ドア?」
山本さんが首を傾げる。
「小さなお願いを了承させてから、本命のお願いを通しやすくする心理テクニックだ。今回の場合は『店に行く』『予約する』って話をしてから『じゃあ連絡先交換しよう』って流れを作ってた」
「なるほど……」
「断りにくかっただろ?」
「はい。直美ちゃんと夏樹ちゃんが助け舟出してくれなかったら、連絡先を教えていたかもしれません」
「そういう聞き方だったからな」
俺がそう言うと、夏樹が感心したような顔をした。
「へぇ〜。創ちゃん詳しいね」
「本で読んだことがあるだけだ」
「そういうのはよく覚えてるのよね」
「本に書いてあるからな」
「本なら何でも許されると思ってるでしょ?」
「だいたい許されるだろ…」
当たり前のことを何言ってんだ?と思って言い返す。
「駄目だこの読書中毒」
夏樹が心底呆れたように言う。なぜだ?
そんな中、俺は別のことが気になった。
「西海って頭いいの?」
「知らないわ」
柴田さんは即答した。
「学年のランキングの上位に入ってたと思うよ」
夏樹が答えると、山本さんも大きく頷いた。
「確かにそうでしたね! 山神君、夏樹ちゃん、直美ちゃん、サッカー部の高原君、広田君、西海君、陸上部の加藤君、野球部の山田君とかは常連ですね!」
「高原と広田が上位なのは意外だったな……」
「何でそんなこと知ってるの?」
夏樹の問いに、山本さんは少し照れたように笑う。
「成績上位の人たちのことを羨ましいなぁ〜って見ていたら覚えちゃいました。五十位くらいまでは全員覚えてますよ?」
「凄いわね。自分の成績くらいしか目に行っていなかったわ。あと、夏樹の成績くらいかしら?」
「メニューに似てるから覚えやすいんじゃない?」
夏樹の言葉に、俺も納得した。森岡高校の成績表は縦書きで、
山神創太郎 九八〇点
広瀬夏樹 九八〇点
柴田直美 九六〇点
という感じで並んでいる。
言われてみれば、定食屋のメニューにも見えなくはない。
「そうかもしれないです。あと、順位も基本的にあんまり変動しないですから覚えやすいですよ」
なるほど。そういうものか。
俺はそんなことを考えながら靴紐を結び直した。そして四人で校舎を出る。これから食堂やまもとで行われる情報共有会。
どうやら、また読書時間が犠牲になるらしい。俺は小さくため息を吐きながら、みんなの後を追いかけた。
食堂やまもとへ到着すると、先頭を歩いていた山本さんが勢いよく扉を開けた。
「ただいまでーっす!」
元気いっぱいの声が店内へ響く。それに続いて俺たちも中へ入る。
「お邪魔します」
「お邪魔します」
「失礼します」
すると、厨房の方から店長の声が飛んできた。
「山神君! ちょうどよかった! 手伝ってもらっていいかい?」
声のする方を見ると、店長がエプロン姿で慌ただしく動いていた。調理台の上には大量の食材が並んでいる。
「わかりました。何をすればいいですか?」
「そこの野菜をレシピに合わせて切っていってもらっていいかい?」
指差された先を見ると、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、アスパラ、なすなど色とりどりの野菜が並んでいた。
「結構な量ですね」
「今日はちょっと特別だからね」
店長が笑う。俺は手を洗いながら首を傾げた。店の再開は明後日のはずだ。いくら何でも仕込みが早すぎる気がする。
そんなことを考えていると、ホールにいた奥さんが声をかけてきた。
「明後日からお店を再開する予定でしょ?」
「はい」
「今日はあなた達と、山田農園の園長さんとか、色々相談に乗ってくれた人達に感謝を込めて料理を食べてもらおうと思っているの」
「本当ですか! やったぁ!」
「楽しみです!」
夏樹と柴田さんが同時に喜びの声を上げる。
夏樹なんかもう完全に食べるモードに入っている。
「本当は山神君にも驚いてもらいたくて、山神君が来るまでに準備をしておこうかと思ったんだけど時間が足りなくてね」
「そうなのよ。本当は午前中からやれる予定だったんだけど、ちょっと野暮用が出来てしまって」
「野暮用ですか?」
俺が聞くと、店長と奥さんが同時に苦笑した。
「あまり思い出したくない野暮用だね」
「そう。SNSをやっているって人が訪ねてきて、カメラを向けられて食堂の再開に関するインタビューだとか言ってね」
「僕らもチャンネルをやっているから、そのつながりかと思ったんだけど全くそうじゃなくて、俗に言う『迷惑系』ってやつなのかな?」
その言葉に、俺の包丁を持つ手が少しだけ止まった。
「迷惑系?」
「山田農園の野菜を使っているんだったとしたら、その安全性をちゃんと確認しているのか? とか」
奥さんが指を折りながら続ける。
「山田農園から賄賂を受けているのか? とか」
「そうじゃないならそれをちゃんと客観的な証拠を持って証明しろ、とかね」
店長が肩を落とした。
「最初はちゃんと説明していたんだけど、全く話が通じないもんで警察を呼んで対応してもらっていたんだよ」
「うわぁ……」
夏樹が露骨に嫌そうな顔をする。俺も同感だった。
こういう連中は話が通じない。最初から結論が決まっているからだ。説明を求めているように見えて、実際には聞く気がない。
「警察が来たら比較的あっさり帰っていったけど、そんな対応に時間を取られてしまってね」
「嫌がらせですね。その『迷惑系の配信者』は誰かわかってるんですか?」
柴田さんが尋ねる。
「いや、僕は知らないんだけど警察の話では結構有名な人たちみたいだよ」
「へぇ……」
柴田さんの目が少し細くなった。あれは興味を持った顔だ。きっと後で調べる気だろう。
「このチャンネル始まって以来のコラボかと思ったんだけど、残念だったわね」
奥さんが冗談めかして言う。
「その発想になるの凄いですね」
「そう思わないとやってられないのよ」
それは確かにそうかもしれない。
そんな話をしていると、突然夏樹が大きな声を上げた。
「あっ! この人たちじゃない!?」
全員の視線が夏樹へ向く。
「もう動画アップされてる!」
「早っ!」
「仕事だけは早いのね……」
柴田さんが呆れたように呟く。山本さんもスマホを取り出した。
「あ、本当です!」
どうやら見つけたらしい。
俺と柴田さんは夏樹のスマホを覗き込んだ。動画が再生される。画面に映ったのは、派手な髪色をした男だった。
『緊急で動画を回してるんですけど……』
どこかで聞いたことのあるような導入だ。そしてカメラが食堂やまもとへ向けられる。
嫌な予感しかしない。
男はノックもせず店内へ入っていった。店長と奥さんが驚きながらも笑顔で対応している。その直後だった。
『ここが噂の汚染野菜専門の食堂ですか?』
後ろから複数の笑い声。俺の眉間に皺が寄る。動画の中の店長は冷静だった。
『何のことでしょうか?』
真摯に対応している。だが相手は聞く気がない。
『汚染された野菜で何を作るんですか?』
『汚染野菜の炒め物ですか? 中華丼? あんかけかけたら毒素が増しそう!』
後ろで笑うスタッフらしき男たち。店長は一つひとつ否定している。行政や保健所の検査についても説明している。だが相手は止まらない。
『汚染されてることを知ってて使ってるんですよね?』
『健康被害が出たら責任取れるんですか?』
『休業してたのって厨房が不衛生だったから営業停止食らったんじゃないんですか?』
矢継ぎ早に浴びせられる言葉。
画面の中の奥さんの表情が徐々に曇っていく。それを見た店長が奥さんを奥へ連れて行った。そこからは一人で対応していた。
腹が立つくらい真面目に。
腹が立つくらい誠実に。
相手の悪意に対して、真正面から対応していた。
やがてパトカーのサイレンが聞こえてきて、程なくして警察官が店へ入ってきた。
動画はそこで終わった。
……終われば良かった。
しかし続きがあった。派手頭の男が総括を始めたのだ。
『店内はすごく狭く不衛生でした』
『汚染野菜を使っていることは間違いありません』
『明後日からその汚染野菜を使って営業を再開する予定です』
『絶対に行かない方がいいです』
事実など一つもない。勝手な決めつけ。悪意のある編集。そして断定。
気付けば俺の手は強く握られていた。握った拳に爪が食い込んでいる。
胸の奥から何か熱いものが込み上げてくる。俺は昔から感情の起伏が激しい方ではない。
怒ることも少ない。
だが――。
「創ちゃん!」
夏樹の声で我に返った。
「顔! 血が出てる!」
「……え?」
頬に手をやる。
ぬるりとした感触があった。見ると指先に赤い血が付いている。どうやら無意識に頬の内側を噛んでいたらしい。それほど強く。自分でも気付かないほど強く。
店内が静まり返っていた。
「山神君、大丈夫かい?」
店長の声で我に返った。気付けば全員の視線が俺に集まっている。俺は慌てて口元を拭った。
「大丈夫です」
そう答えたが、大丈夫なわけがなかった。胸の奥がぐつぐつと煮え立っている。
あの動画の中で店長は終始冷静だった。奥さんも最初は笑顔で対応していた。山田農園だってそうだ。問題が起きてからずっと誠実に対応してきた。行政とも保健所とも協力して、安全性を確認しながら再出発の準備を進めている。
なのに。
何も知らない連中が土足で踏み込んできて、勝手なレッテルを貼り、面白半分で笑いものにする。
あれは取材じゃない。
検証でもない。
ただの暴力だ。
しかも拳ではなく言葉を使った質の悪い暴力。
本人たちは正義の味方にでもなったつもりなのかもしれないが、俺にはただ人を傷つけて金を稼いでいるようにしか見えなかった。
正直に言えば、動画の中のあいつらを今すぐ捕まえて説教してやりたいくらいには腹が立っていた。
もちろんそんなことはしない。やったら俺が怒られる。
「創ちゃんは昔からそうだよね?」
不意に夏樹が言った。
「自分のことには頓着ないのに、誰かのためには一生懸命になるんだよ」
そう言いながら、夏樹はそっと俺を抱きしめた。
「おい」
「よしよし」
「子供扱いするな」
「よしよし」
聞いちゃいない。
だが、不思議と振り払う気にはならなかった。怒りで固まっていた肩の力が少し抜ける。
ちらりと見ると、山本さんと柴田さんが少し驚いた顔をしていた。
まぁ、無理もない。普段の俺なら全力で抵抗している。
「山神君がこんなに怒ってくれるなんて、何だか嬉しいです」
山本さんが柔らかく微笑んだ。
「あら? 萌も?」
奥さんが笑う。
「お母さんもそう思っていたところよ。実際に突撃された時も、この動画を見た時もすごく嫌な気持ちになったんだけどね」
奥さんは俺を見て続けた。
「山神君が本気で怒ってくれている顔を見たら、そんな気持ちもどっか行っちゃったわ」
「私もです」
山本さんも頷く。
「山神君、普段は事なかれ主義で愛想もあんまり良くないですから、意外でびっくりしました。優しい人なんですね」
「そうなんだよ」
夏樹が得意げに言う。
「創ちゃんは無愛想で、事なかれ主義で、面倒くさがりで、やる気も無いけど優しいんだよ。普段は本当にダメダメな人間だけどね。創ちゃんは本当に…優しんだよ」
「山本さんはそこまで言ってないだろ」
俺は夏樹の額を軽く押しながら引き離した。
「おぉっと」
「誰がダメダメ人間だ!もうお前の面倒をみてやらないぞ?」
「ごめんなさい」
夏樹はすぐに謝ったが、全然反省していない顔だった。
店内に小さな笑いが広がる。さっきまでの重苦しい空気が少し和らいだ気がした。
「まぁ」
俺は肩をすくめる。
「悪意を向けられたとしても、それを気にせずにやるしかないからな」
「そうだね」
店長が穏やかに頷く。
「結局、僕たちは料理を作ることしかできない」
「そうよ」
奥さんも力強く言った。
「私達は食堂を続けて、今まで支えてくれたお客さんや動画を見てくれている人達に、美味しい料理を食べてもらうことしかできないんだもの」
その言葉には迷いがなかった。だからこそ、この夫婦は多くの人に愛されているのだろう。
すると。
「あ」
柴田さんがスマホを見ながら声を上げた。
「この迷惑系の人達の動画、炎上し始めたわ」
「え?」
全員が柴田さんのスマホを覗き込む。コメント欄が凄い勢いで流れていた。
『食堂やまもとを知ってる人間だけど、この動画は事実と違う』
『店長さんめちゃくちゃ丁寧に対応してるじゃん』
『相手が失礼すぎて見てて不快』
『動画全部見たけど、むしろ食堂側の好感度しか上がらなかった』
『営業妨害では?』
『山田農園の件は行政の検査結果も出てるぞ』
『ちゃんと調べてから動画出せよ』
『食堂やまもとチャンネルから来ました』
『萌ちゃんを泣かせたら許さん』
『親子炒飯の回で腹筋壊れた者です。店長さん応援してます』
『山田農園の野菜めちゃくちゃ美味しいからな』
『再開したら食べに行きます』
『むしろ宣伝ありがとう』
『食堂やまもと登録者だけど、この店は信用できる』
『迷惑系の方がよっぽど不衛生なことしてるだろ』
『動画見て食堂やまもと知ったからチャンネル登録してきた』
『応援コメントしに来ました』
『店長さん頑張れ』
『営業再開おめでとうございます』
コメント欄は完全にお祭り状態だった。
「すごい……」
山本さんが目を丸くする。
「まだ三十分も経ってないのに」
夏樹も驚いている。表示されているコメント数は千件を超えそうな勢いだった。
信じる人もいる。だが同じくらい、動画の内容を否定する人達もいる。それだけ食堂やまもとを応援している人がいるということだ。
店長も奥さんも自然と笑顔になっていた。
その時だった。店長のスマホが鳴る。
「はい、もしもし」
短いやり取りのあと、店長がこちらを見た。
「山田農園の園長がこれから来るって」
「あぁ……」
俺は思わず苦笑した。きっとあの動画を見たのだろう。相変わらず律儀な人だ。
そんなことを考えていると、今度は俺のスマホが震えた。
画面を見る。
「ん?」
表示されていた名前を見て、俺は首を傾げた。
リアムだった。




