ちゃんと天才
開始のブザーが鳴る。シードはチラリとマロンに目を向ける。その視線に彼女はコクリと頷き、地面に掌を当てた。直後、彼女の周囲から一切の魔素が消失し、虚空に無機質な魔法陣が展開された。
ドカンッ!鼓膜を揺らす爆発音と共に、フィールドの土台そのものが崩落した。一年生も三年生も、そして発動者のマロン自身さえもが、容赦のない瓦礫の奔流に飲み込まれていく。ただ一人、シードを除いて。
崩落から免れたシードは、驚異的な身体能力で宙を舞った。落下する巨大な岩塊を足場に、混沌の底へと迷いなく突き進む。すべては二人の作戦通り。魔法の有無や戦術の是非すら介在しない「純粋な混乱」の中において、シードという男は最強へと転じる。ただ一人、魔法という理に依存していないからだ。
崩落に巻き込まれた面々は、咄嗟に風を操る魔法を展開し、墜落の衝撃を殺そうと足掻く。しかし、その甘い目論見は無慈悲に打ち砕かれた。瓦礫の隙間を縫い、弾丸のように肉薄するシードが、その無防備な急所を正確に捉えていた。
放たれた魔筒の火球は、風の勢いさえも糧にして爆発的に加速する。タイミング、間合い、そのすべてが最適化された一撃が、四人の腹部を冷徹に貫いた。一年生二人は衝撃に耐えきれず即座に意識を失う。一方で三年生二人は、深手を負いながらも意識を繋ぎ止めた。崩壊した地の底へ着地し、態勢を整えようと牙を剥く。だが、マロンはその隙をこそ狙っていた。
広範囲の崩壊を引き起こした直後、マロンは魔法の行使を一時的に中断していた。大規模魔法の代償として体力を削り、あえて魔素の供給を止めていたのだ。シードが敵の意識を奪い去る、わずか一分。瓦礫の影で息を潜めていたのは、この一撃を放つため。
マロンが放った土の礫は、目にも留まらぬ速さで三年生を強襲した。回避不能なタイミングで放たれた礫を受け、防壁は紙細工のように削り取られる。その一撃に込められた質量と殺傷能力は、先ほどのシードの火球をも数段上回るものだった。
――シズクとララに隠れてるけど、コイツも……!
二人の警戒は、磁石に引き寄せられるようにマロンへと収束した。シードを軽んじたわけではない。眼前の少女が放つ底知れぬ才能の煌めき。それを前にして、本能が警告したのだ。彼女を敵として見極めなければ、次の瞬間には敗北していると。
しかし、その正当な警戒こそが致命的な敗因となった。死角から、再び苛烈な一撃が二人を襲う。それはマロンの礫を凌駕する威力を帯び、一瞬にして二人の意識を闇へと引きずり込んだ。
「えっ!? ちょっと、私が倒そうと思ってたのに……!」
「え? ごめん。隙だらけだったから」
それは、開始からわずか二分という早業だった。文字通りの完封勝利。しかし、戦場に立つ当人たちはといえば、どこか締まりのないやり取りを交わしている。
「う~。これ、アピールになったかなぁ…。」
「なってるよ。これだけ楽に勝てたのは、間違いなくマロンのおかげなんだから」
「そう?それならいいんだけど。」
どこか納得のいかない様子で首を傾げるマロン。その横顔を見つめ、シードは自嘲気味な痛みを胸の奥に感じていた。
――アピール、できなかったな。
自分はこの試合中、実質的には何もしていないに等しい。マロンが戦場そのものを支配し、強引にこじ開けた隙に対して、ただ無防備な背中を撃ち抜いただけだ。すべての手柄は、彼女が用意してくれた舞台の上で、おこぼれを拾い集めたに過ぎない。
シズクとララという、あまりに眩い太陽の影に隠れて、マロンは自分の価値に気づいていない。 けれど、今のシードにとっては、その控えめに輝く月の光すらも、自分を塗りつぶしてしまうほどに圧倒的で、遠い。
自分もまた、彼女の光に埋もれている。 彼女が自分自身の才能を「添え物」だと思い込んでいる隣で、シードは、その添え物にすら届かない己の現在地を、嫌というほど突きつけられていた。
「天才だ。」
騒がしい観客席の喧騒を突き抜け、その声だけは明確な質量を持ってシードの耳に届いた。彼は思わず足を止める。フィールドを去る足取りを殺し、頭上の観客席から漏れ聞こえてくる会話に、全神経を集中させた。
「そうですね。魔素の取り込み方、魔法の使い方、位置取り。すべてが完璧でした。」
「そっすねー。味方の魔道具使いの子の位置を隠すように、最後もいい感じに現れてましたもんねー。あんな子が味方にいてくれたら、僕の仕事も楽なんすけどねー。…って、痛っ!」
どかり、と肉を打つ鈍い音が響いた。恐らくは厳格な上司が、軽薄な部下の頭を拳で黙らせたのだろう。シードはその光景を想像しながら、壁の向こう側の会話を盗み聞き続ける。
「何を言っている。貴様は部下を楽させる立場だろうが。」
「えー、面倒っすよ。僕は魔法使い様たちが作ってくれた隙をサクッと狙って、サクッと勝つのが信条なんすからー。」
「相変わらずお前は!もう少し自覚を持て、一応世界最強の魔道具使いなのだから!」
その称号が放たれた瞬間、シードは自分の呼吸が止まるのを感じた。 壁一枚向こう側に、自分が生涯をかけて追うべき「頂」がいる。
けれど、通路の影に潜むシードの心は、冷え切っていた。世界最強の男が口にした「楽をする」という言葉。それは、マロンの影に隠れて戦果を拾った今の自分への、何より残酷な皮肉に聞こえた。
シードは自分の右手に馴染んだ魔筒を見つめる。 彼は今まで、この筒で魔法使いと同じ高みへ至ろうとしていた。マロンやシズクが放つような、美しく強大な魔法の輝きを、この冷たい鉄の管から生み出そうと、必死に背中を追いかけてきたのだ。
だが、最強の男の言葉には、魔法使いへの敬意も、同等に並ぼうという気負いすらもなかった。そこにあったのは、魔法使いという「自分とは別の生き物」が作り出した隙を、淡々と、かつ完璧に処理しようとする。どこまでも無機質で、甘い打算。
「僕は――」
「あっ!シード。こんな所で何してんのよ。ビックリしたのよ。振り返ったら貴方が…って、泣いてるの?」
「え?」
不意に投げかけられた声に、シードは顔を上げた。 そこには、自分を暗闇の底へと置き去りにしたはずのマロンが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。彼女の言葉に慌てて目を擦ると、指先には確かに、温かく、けれど惨めな雫が伝わった。
「いや、これは違くて…違くって…。」
咄嗟に言葉を紡ぎ、取り繕おうとする。けれど、それはもう遅かった。マロンの瞳には、はっきりと映ってしまった。何かに失望し、これまでの歩みがすべて無価値に感じてしまった、壊れそうな少年の姿が。
――きっと、彼女は何があったのか聞いてくる。その時、僕はどう答えれば……。
最悪の問いを予想し、シードが身を固くした瞬間。
「わかった。違うなら何も聞かない」
「え?」
「え?って何よ。聞いて欲しかったの?」
あっけらかんとした彼女の態度に、シードは呆気にとられた。彼女は何も暴こうとしなかった。友人の心の内を覗いてしまったことに気づきながらも、その聖域に土足で踏み込むことを、あえて拒んでくれたのだ。
「ううん」
その無言の優しさに、シードは素直に首を横に振った。
「そうでしょ。友達同士だって秘密の一つや二つあるものよ。何でもかんでも話したり問いただしたりするのは、友達じゃない!」
胸を張って断言する彼女の姿は、今のシードには「月の光」などではなく、すべてを照らし出し、肯定してくれる「太陽」のように眩しく映った。
「い、いや。友達の種類も色々あるか……何でもかんでも話す人もいるよね。ちょっと主語が大きかったかも……」
「ふふ」
「何よ。結構良いこと言ったつもりだったんだけど、なんで笑うの!」
頬を膨らませる彼女のおかげで、足元の暗かった道がぱぁっと明るくなったような、そんな気がした。対等ではない、自分は埋もれている――そんな呪いを自分にかけていたのは、きっと自分だけだったのだ。
「諦めないよ、僕は!」
「え?ええ…?頑、頑張りなさい…よ?」
何も言わずに勝手に救われ、勝手に自己解決したシードの宣言に、マロンは困惑しながらもたどたどしく激励した。 その戸惑いさえも温かく、やはり彼女は太陽のようだった。




