第十五話 八日目(最終話)
「全く、聖女様にはもっと慎みを持って頂かないといけませんわ」
アルバートさんが名残惜しそうに仕事に戻った後、アムルさんが文句をブツブツ言っていた。
確かに人前ではしたないよね。尻で頭がいっぱいでした。ごめんなさい。
でも、すぐに別の用件が入ったので、彼女は対応に追われて説教は速攻で終わった。
「聖女様、またお客様ですわ」
なんと、次はランフルさんとリブロさんの二人だ。
彼らもなぜか衣装を改めていた。
そして、わたしの部屋に入るなり、二人ともアルバートさんと同じく跪いた。
ランフルさんが上官だからなのか、リブロさんは彼の後ろに尽き従う形だ。
「聖女様、このたびは我々第二騎士団並びに私と部下を助けて下さり、誠に感謝いたします」
「お気持ちは確かに承りました。どうか立ってください!」
わたしが慌てて起立を促すと、二人は素直に従ってくれた。それからアムルさんが用意した椅子にそれぞれ腰を掛ける。
「魔物に操られていたにも関わらず、こうして助かったこと、本当にどれだけ感謝したらいいのか。本当にありがとうございます」
ランフルさんはまだ頭を下げ足りなさそうだ。
「ぼ、僕も、聖女様には、色々と誤解して大変失礼なことを言って申し訳なかったです!」
リブロさんは再び床に跪きそうな勢いで、頭を深々と下げていた。
「いえ、リブロさんいいんですよ。わたしも色々と事情があって誤解をあえて解かなかったの。こちらこそ、色々と黙っていて不快にさせてごめんなさい。どうなるかと思いましたけど、本当に魔物だけ倒せて良かったです。死人が出なかったことも奇跡でした。でも、ランフルさん。どうして魔物がとりついたのか、何か心当たりはあるんですか?」
ランフルさんが、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「恐らく、以前見回りのときに魔物に襲われたときかもしれません。そのときに目を怪我したんです。片目しか使えないと戦闘には不自由するからと、退団しようと考えていた矢先だったのですが、こんなに迷惑をかけるなら、もっと早く辞めていれば良かったです」
ランフルさんは顔を少し歪ませていた。自分自身をまるで責めるように。
「いえ、悪いのは全部魔物ですよ! ランフルさんはむしろ被害者ですよ」
わたしがそう断言すると、リブロさんも賛同する。
「そうですよ! 副団長は悪くありません!」
わたしとリブロさんの必死な言葉を聞いて、ランフルさんは少し表情を緩ませた。
「ありがとうございます」
ランフルさんは平静そうに見えるけど、本当に大丈夫だろうか。
心配だったけど、これ以上は本人に何も言えなかった。
挨拶が済んだ二人は、すぐに退室する。その出る間際、わたしは思わずリブロさんだけを呼び止めた。
「聖女様、どうされたんですか?」
リブロさんが不思議そうに尋ねるので、わたしは小声で彼に伝える。
「最後にわたしのことを信じてくれてありがとう。それから、これからもどうかランフルさんを支えてくださいね」
わたしが言うと、彼は一瞬びっくりしたみたいに目を大きく見開いたが、すぐにまたいつも通り細い目になった。
「聖女様は事情があったと言っていたけど……きっと団長がらみだったんですよね?」
「それは……」
図星をつかれてわたしが戸惑い、曖昧に反応すると、リブロさんはわけ知り顔で頷く。
「いえ、全部は言わなくていいです。元々団長は他人を寄せ付けない人だったから、何かわけがあったんですよね。でも、全部聞かなくても、僕たちはこれからも団長のことを信頼してます」
「リブロさん……」
こんなに人の見る目があるリブロさんは、本当にいい人だ。そう感じて、胸がじんわりと温かくなった。
「ランフル様のことは、任せてください」
そう答える彼は力強く、とても頼もしかった。きっとランフルさんは彼が側にいる限り、大丈夫だろう。そんな気がした。
それからガイバーさんも仲間の兵士たちと共にわたしの部屋にやってきた。
わたしに対して感謝と称賛を述べた後、お祭り騒ぎの酒宴が始まりそうになったところで、アムルさんが「本日の面会時間は終了でございます!」と、彼らを部屋から追い出した。
ずいぶん賑やかな人たちだ。廊下に出ても、彼らの声がしばらくわたしの部屋まで響いていた。
アムルさんと顔を見合わせて、わたしたちは微笑みあった。
それから数日が経ち、わたしは体調が比較的良くなったので砦を後にすることになった。
わたしのために一台の馬車が門の前に用意されていた。
見送りには、わざわざアルバートさんと砦の兵士たちも来てくれた。
旅立ち日和にふさわしい爽やかな朝で、熱を奪う冷たい風も今は遠慮して穏やかだった。
「元気でな。あと二ヶ月後に砦での任期が終わる。そうしたら、私は王宮に戻る」
「うん! それまでに着衣魔法を鍛えておくね!」
「無理するなよ」
そう言って笑うアルバートさんの目元は優しい。彼に頭を撫でられて、ぎゅっと抱きしめられる。彼から感じる熱が、とてもうれしかった。お互いに見つめ合っていると、自然と彼の顔が近づいてくる。優しく触れるだけのキスを交わした。
彼の柔らかい唇の感触にまだ慣れなくてドキドキする。
わたしの後ろで女官のアムルさんがゴホンゴホンと咳をする。
「べ、別に恋人ができて羨ましいとか全然思っていませんけど、人目があるので、控えてください!」
「まあまあ、いいじゃないですか。ラブラブなんですし」
側にいた馬上の八剣士レイトさんがニヤニヤ笑いながら言う。
「いやぁ、それにしても、王宮の未婚女性から難攻不落とまで言われたあの彼が、ここまで女性に夢中になる姿を見られるとは思ってもみませんでしたね」
レイトさんがなにやら物騒なことを言っている。
そんなにアルバートさんってモテていたのか。いや、美形だし、当然か。
わたし、このまま王宮に行って大丈夫かな? 後ろから刺されない?
殺されないようにミサンガ装備していないと。
王宮に着いたら沢山着衣魔法について教えてもらうんだ。
どんなことができるんだろう。
ワクワクドキドキする。
あのときの選択に悔いはなかった。彼が死ななくて本当に良かった。本当にそう感じている。
でもね、本当はこんな風に思えるまで、葛藤がないわけじゃなかった。今でも全く不安がないわけじゃないし、元いた世界に未練がないといえば嘘になる。
そんなとき、わたしね、思ったの。
大っ嫌いだった手芸が、きっかけがあれば、いつの間に楽しいものになっていた。
きっと、これからも大変だったり、辛かったりすることがあるかもしれない。でも、首を絞められて魔物を鋏で刺したときみたいに戦って立ち向えばいいんだって、今回のことで学んだ。
わたしの祝福は無限大。神様だって言っていた。お主なら、どんな苦境も乗り越えられるだろうって。
だから、きっと。可能性も無限大に広がっている。
無理しない程度に頑張ろうって前向きに思えるようになったんだ。
「お手をどうぞ、水月」
馬車に乗ろうとしたとき、アルバートさんがわたしに手を差し出してくれた。わたしは迷わず彼の手を掴んだ。
しばらく彼と会えないのは、寂しいな。
でも、いっぱいレベルを上げて、彼にすぐに会えるように転移魔法をマスターしてみせる。
わたしは一歩、踏み出す。王宮への旅路のために。
大いなる希望を胸に抱いて。
頭上には、澄み切った淡い青い空が広がっている。千切れるように白い雲が点々と広がっている。
冬の冷たい空気を深く吸い込むと、気持ちが引き締まる思いがした。
――わたしはこれから、聖女として手芸を学んで生きていく。
「またね、アルバートさん」
わたしからも最後に彼の頬に口づけを落とす。彼の口角が嬉しそうに少し上がった気がした。
すぐに馬車に乗り込み、彼に視線を送る。彼の穏やかな目が、わたしを愛おしそうに見つめていた。
彼の優しい緑の瞳をわたしは何よりも好きになっていた。
まっすぐな鼻筋、少し口の端が上向きな整った唇。金色の輝く髪。彼の一つ一つを名残惜しげに見つめる。
わたしが見守る中、女官二人が馬車に乗り込んでくる。
扉が閉められるまで、わたしは彼の姿をずっとずっと、脳裏に焼きつけていた。
<了>
<プロローグ>
「はぁ、まずい、まずいぞ」
神は目の前の画面を見ながら嘆いた。自分が創った世界の未来を。
何度シュミレーションしても、このままでは世界が滅ぶ。
己の分身ともいえる世界に神が干渉できる範囲は限られている。その中で最善を尽くしたが、導き出される結果に変わりがない。
絶望が襲い、無力に打ちひしがれた神は憔悴した。
だから、神は自身の力が及ぶ異世界に干渉し、自分の世界を救える人間を探し始めた。そのため、あらかじめ知識を授ける目的で、その世界で流行っているゲームという道具を利用することにした。
神自ら、ゲーム設計から物語、イラスト全てを手がけた。創造を司る神だからこそ為し得た。
そのゲームを最も熟知し、そのゲームを愛し、過酷な状況にも負けない女性。
それを条件に神は選んだ。
名前「高里水月」
年齢「24才」
性別「女」
「うむ、まあいいだろう」
神はその者を聖女として世界に召喚することにした。
だが、神はうっかり見落としていた。
彼女の備考に書かれた「尻好き」という文字を――。