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手向け舞  作者: 山中 洸
9/10

其の玖

 神龍会の庭での準備は終わっていた。携帯電話の番号を教えたおかげで駆り出されるはめになった天野が、ハンディーカメラを手に訳がわからないまま立っている。「証拠になるから、しっかり撮れ」とだけウマに命令されていた。

 奥の座敷に山城が現れた。掛け軸を背にして上座にどっかと腰をおろし、目の前の焼酎を自分でお湯割りにして、グビリと飲んだ。川久保が急いだ様子で入ってきた。

「先生、急にどうしたんですか?」

「どうしたも何も、お前が呼んでるっていうから来たんじゃないか」

「えっ、俺は先生から行くという電話があったと聞きましたけど」

「知らんぞ」

「どうしたんですかね、一体」

「まあいいや、このところ警察にマークされていて、飲みにも出られなかったから、いい息抜きだ」

「そうですか、でも……」

 納得していない大久保には構わず、山城がまた焼酎をお湯割りにして口の中に投げ込むようにして飲んだ。山城がよほどの酒好きであることが見て取れる。ふたりを同席させるように仕掛けたのはもちろんウマだ。

 かみ合わない会話を続けている二人がいる座敷の庭に女形に作ったトオルが進み出た。ウマの合図でおりんがCDデッキのスタートボタンを押した。

……さよなら、じゃなくて、ごきげんよう

そしてあしたは、こんにちは

短い言葉をくり返し

歩いていくことに決めました……

 踊りが終わってトオルがきょとんとしているふたりに挨拶をした。

「鶴田亀之助一座の橘雪之丞と申します」

「あっ、俺知ってます。公会堂に出てる奴だ。新聞に載ってたでしょう」

「お心に留めていただいたようで、ありがとうございます」

 トオルが方膝をついて小首を傾げて礼を言った。

「川久保、お前が仕込んだのか?」

 山城は川久保の準備したサプライズとでも思ったらしい。

「いいえ俺は知りません。なんだ、お前。何しに来た」

 理解できずにわめき散らす川久保を無視して、

「少しの間、聞いていただきたいことがございます」

 トオルが女形のような声音のまま話し始めた。

「睡眠薬で眠らせた美由紀さんを車のトランクに押し込めます。車は美由紀さんのもの。運転は山城先生がなさり、送別会の会場まで出かけます。警察関係者が証人という完璧なアリバイを作れる、このような機会をずっと待っていらしたのでしょうね」

 唐突だった。それだけに山城も川久保もその話を止めに入ることができずにいた。

「車は駐車場には置けません。いまや防犯カメラはどこにでもあります。路上に止めましたが、警察幹部の送別会に出ているというメモでも残しておけば、交通課の警官は見て見ぬふりをするしかありませんから、ビデオに記録が残る心配はありませんでした。スナック『道草』のママに、車で来た、とうっかり言ってしまいました。でも疑われなかったので、良かったと思っていらっしゃいますね。あの夜、先生の車がご自宅にあったことは、私たちが調べさせていただきました」

 山城はトオルを黙らせなければならないと考えていたが、ピシリと正確に急所を突いてくるその言葉の中に入れずにいた。

「電話をするからと外に出て、用意していた石で美由紀さんを殴り、殺します。あとはスナックに戻って時間が経つのを待つだけでした」

 ウマとおりんがうなずく。二人ともすっかり観客気分になっている。

「しかし、あの滝までの坂道は、いくら鍛錬した人間でも、大柄な美由紀さんを一人では運べません。そこに登場するのが、川久保の親分、あなたです」

 川久保が他人事のようにうなずいた。

「美由紀さんを滝に投げ込んでから、親分の車でご自宅に帰られました。ただ一つの誤算は、遺体が発見されるのが思っていたより早かったということです」

「どうしてだ」

 山城がようやく短く口をはさんだ。

「美由紀さんをトランクに入れておくにも、殺害したあと運ぶにも、彼女を包む大きなものが必要でした。その日のうちに処分するつもりだったのでしょうが、遺体の発見が早く、警察が動き出すのも早かったもので、処分することができなかったのです。この町は監視員がいるほどごみ出しのルールが厳しいところです。その日を逃すと、大型のごみは次の週、つまり明日まで収集がなかったのです」

「ビニールシートは大型ごみなのか?」

 川久保が質問とも取れる素っ頓狂な声をあげた。

「おや、わたくしは美由紀さんを包む大きなものとは言いましたが、ビニールシートとは言っておりませんよ」

 視線を山城から川久保へと流し眼のようにゆっくりと移しながらトオルが言った。山城の顔がみるみるうちに真っ赤になった。

「馬鹿野郎、川久保、お前は剣道も甘いし、考えも甘い。この馬鹿野郎が」

 川久保も、自分がしでかした失敗に気づいて、うろたえている。トオルはゆっくりと最後の締めにかかった。

「ビニールシートはまだご自宅のどこかにございますね。洗ったぐらいでは血液は完全には落ちません。しかし、四十センチ以下に切れば燃えるごみとして出せたのですけどね。残念でございました」

 芝居ほどではないがそれでも抑揚を持った調子で展開される雪之丞ワールドは、聞く方にとっては余計に腹が立つものだった。川久保が叫んだ。

「うるせえ、ここをどこだと思ってんだ。おい、皆んな出て来い」

 尋常ではない親分の川久保の声に二十人あまりの手下がいっせいに飛び出して来た。

「構わねえ、ぶっ殺せ。あとはなんとでもする」

 手下たちは、まずこれから闘う相手を確かめるような低い姿勢で構えた。木刀を持った者、鉄パイプを持った者、それぞれが使い慣れた得物を手にしているが、緊張感が感じられないのは、奇妙な衣装のトオルたちを取るに足らない相手と判断したからだ。

「親分の許しが出ているんだ。楽しませてもらおうぜ」

 手下のうちの年嵩の男が薄笑いを浮かべて言った。

「おや、おやりになるおつもりですか」

 トオルがウマの差し出した鉄扇を受け取りながら、軽い頬笑みをもらしたのが、たっぷりと暮れた夜の中の庭園灯の明かりで見てとれた。

「たたんでしまえッ」

 それぞれ手にした獲物を振りかざして襲いかかる。

 鉄パイプを振りかざした男がトオルに襲いかかった。トオルの鉄扇がゆっくりと弧を描いてそれを受け止めた。鉄パイプが鉄扇に絡みつかれたように男の手を離れて空中に舞った。相手の武器を手首の返しを使って左右から巻き上げ、巻き落とす技だ。手にしていた得物が無くなって戸惑っている男の肩口に小さく、そして鋭く鉄扇が振り下ろされた。鉄扇が鋭く空気を揺らすと、男は押しつぶされるように地面にへたり込んだ。

 ナイフを腰に抱いた手下が突進する。トオルは軽く身を交わすと男の尾てい骨に鉄扇の持ち手を突き立てるようにした。腰椎の付け根もまた急所だ。男はヘナヘナと力が入らなくなって、腰砕けのように座りこんでしまった。さらに鉄パイプを持った男の小手を打ち、手にしていた獲物を叩き落としてから、その横腹に突きを入れた。白目を向いている男を確かめてから、山城たちの方を向き、トオルはゆっくりと正眼に構え直した。

「おい、カメラをぶっ壊せ」

 川久保が叫んだ。

 組員のひとりがカメラを構えている天野に飛びかかった。次の瞬間、男は空中で回転して背中から地面に落ちた。おりんの見事な内股だった。引き手を持ったまま、投げ技を決めたときの得意顔になっている。柔道の引き手は相手の背中を畳につけるために有効であると同時に後頭部を打たないように守る約束の意味もある。地面に落ちた男は一瞬息ができないように見えたが、すぐに起き上がりふたたびおりんの足にしがみつくように襲いかかった。おりんがたじろいで二、三歩よろめいたとき、ウマが男の腹をしこたま蹴り上げた。男は一瞬、宙に浮いて、腹から地面に落ちてそのまま動かなくなった。

「馬の脚をなめんじゃねえぞ」

 奇妙な捨て台詞のあとに、

「おりん、そんな投げじゃまだ柔道だ。背中がついたからって誰も一本なんて言ってくれないぞ。こんど教えてやるから、今日はカメラだけ守ってろ」

 命令口調で言うと、トオルが戦っている輪の中に入って行った。

「馬の脚って何?」

 カメラを構えるのも忘れて天野が聞く。

「馬の脚は、馬の脚よ」

 おりんがちょっと不機嫌そうに、ウマの背中を目で追いながら、まるで天野に八つ当たりするかのように答えた。

 ウマは不思議な技を使った。

 相手との距離を必要以上につめて、わずかな手の動きで急所を突く。相手のみぞおちを突いたこぶしがゆっくりと開きながら、次の相手の動きを封じている。常に次の動きを想定した、戦場での体さばきだ。鎧の上からでも相手にダメージを与える古武術の一種だとトオルに説明したことがあった。

 トオルの鉄扇の舞いとウマの古武術で組員たちのほとんどが地面に倒れていた。

「やるな、お前ら。おい、俺の木刀持ってこい」

 縁側におもむろに歩を進めた山城に、組員が木刀を手渡した。

 素振り用の木刀ではなかったが異様に太く、そして長い大振りの木刀だ。山城は感触を確かめるように二、三度素振りをした。ブンという空気を割る音がした。トオルは鉄扇を握り直し慎重に構え直した。素振りだけで山城が並みの剣術使いではないことがわかったのだ。

 山城はゆっくりと庭に下りて、トオルと対峙した。互いに間合いを確かめあっていたが、トオルは鉄扇を背中の後ろに隠すようにして中腰に構えを変えた。鉄扇の動きが相手にわからないという利点がある以外は、頭を前に突き出した、上半身が全く無防備といえる構えだ。

 山城は木刀を大きく振り上げ、驚くほどの速さでトオルの頭に振り下ろした。

「チェストー」

 頭をくだかれた、と思った瞬間、トオルの鉄扇が山城の脇腹に深くめり込んでいた。勝負はあっけなく終わったように見えたが、トオルは肩で大きく息をしている。

「教えてくれ、どうして自殺じゃないとわかったんだ」

 かろうじて息をしながら山城が尋ねた。

「着物の乱れです。あれほど着物を着こなす人が、死を覚悟して、何もしないで滝に飛び込むとは思えませんでした。昔の武家の女は、自害する時は、両膝をしっかり縛ってから喉を突いたそうです」

「そうか」

 山城がゆっくりと地面に落ちた。

 山城が倒されたことで気落ちしたのか、川久保はウマに簡単に片づけられた。

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