其の終
パトカーのサイレンの音が近づいてくるのがわかった。
「行くか、ボン」
「うん」
「ビデオを警察に見せろ。記事にしてもいいが、俺たちのことは書くなよ」
ウマがまだポカンとしている天野に釘をさしてから、三人は木戸から出て行った。
「やあ、雪之丞さん直々のご指名でな。それも時間指定だもんな」
嬉しそうに現れたのは雪之丞のファンだという警部だ。数人の部下を連れて喜色満面でのご登場だ。
「警部、これを雪之丞さんから預かってます」
天野は雪之丞のサインが入った扇子を差し出した。警部は受け取った扇子を広げて、
「いいねえ、いいねえ」を連発している。
さすがに美由紀の死亡現場の写真に、トオルはサインができなかったので、代わりに用意したものだった。
「何だ、これは、何があったんだ?」
ようやく辺りの異変に気付いた警部に、天野がビデオを再生して見せた。
雪之丞の踊りの部分が少し映ったものだから、警部はまた「いいねえ」の連発を始めていたが、突然食い入るように画面に顔を近付けてから、
「おい、ガサ入れの礼状を取れ。急ぎだ」
大声で指令を出してからふたたびビデオを見て、
「馬の脚でもいいから連れてってくれんかなあ」
「馬の脚はもう決まっているようですよ」
天野が冷たく言い放った。
宿に戻る帰りの車の中でトオルが大きく息をしてから言った。
「今回は危なかった。もし流派がわからなければやられていたかもね」
「どうしてわかったんだ?」
正面を向いてハンドルを握ったままウマが尋ねる。
「あの木刀は、肉を切らせて骨を切る、一撃必殺の流派のものだから、たとえば近藤勇の天然理心流とか、薩摩の示現流だとは思ったけど、焼酎のお湯割りを作っていたのを思い出して、それで示現流だなってわかったんだ。だから相手に打ち込ませて、それに合わせただけ。相手の一点だけを狙う剣だけど、ぎりぎりだったな」
「なんで示現流だとわかったんだ?お湯割りがどうしたって?」
ウマがちらとトオルの横顔を見てから質問をした。
「東京では焼酎を入れてからお湯割りにするけど、九州ではまずお湯を入れて、それから焼酎を入れるんだって。そうしないと焼酎の風味が生きないと本気で怒る人もいるんだって。あの先生はお湯を先に入れていたから」
自分では飲めもしないくせに、瑣末なことをトオルは知っている。
ずっと黙っていたおりんが意を決したように尋ねた。
「どうして、わざわざ女形の格好をしてお芝居みたいなことをするんですか?」
それ以前にどうして事件に首を突っ込むのかということは、おりんの中では問題になっていないらしい。
「芝居になると、人間は言わなくても良いことまで言ってしまうものなんだ。まあボンには相手を舞台に引きずり込むだけの演技力があるってことだな」
ウマが嬉しそうに言った。
楽日が終わり、一座は泊まっている宿で打ち上げをした。
翌日トオルは昼前に宿を出て、東京に戻るために川沿いの道を駅へと向かっていた。ほんの一泊のつもりが数えてみると一週間あまり一座に居たことになる。教授への言い訳を考えながら歩くトオルに、後ろから近づいて来たトラックが、クラクションを鳴らした。一座の荷物を運ぶための車だ。
「ボン、結局、楽日まで居てしまったな」
トオルの心の中を見透かしたように言ったのは、トラックを運転するウマだ。ウマの右目の上には大きな赤あざができている。
「ウマさん、その怪我どうしたの?」
「ああこれか、おりんに柔道と柔術の違いを教えたんだが、さすがに飲み込みは早いが、手加減ってものを知らないんだな、これが」
助手席にはおりんが座っていた。反省している様子などまったくない。
「みんなは?」
「ああ、今回は客の入りが良くて、稼ぎがあったから、近くの温泉場でもう一泊して打ち上げの続きをするんだとさ。役がなかった俺と、未成年だから酒の飲めないおりんとで次の巡業先に先乗りだ。駅まで送って行こうか?」
トオルはウマの誘いを、歩いてみたいからと断った。
走りかけたトラックを止めて、ウマが運転席から顔を出して言った。
「ビニールシートが出たってよ。自供も始めたらしいや、天野が知らせてくれたよ」
それだけ言うとまた走り出した。
そのトラックに女子高生の一団が気づいた。
「あれって、雪之丞さまのところの車よね。もしかしたら乗っているかも」
奇声を上げて女子高生の一団がトラックを追った。
「邪魔ね、どいて!」
間にいたトオルは突き飛ばされ、土手から転がり落ちた。一斉に駆け出して行った女子高生たちの背中を見送りながら、
「あら、ご無体な」
トオルが女形の科を作った。
土手の下を川が流れている。上流に美由紀の死んだ『背の滝』がある川は、何事もなかったようにゆったりと流れていた。
水面に遊ぶ初夏の光にトオルは心の中で手を合わせた。




