第九章 管理権限者
「思念融合in」
メイリンの心理ブロックが解除される。
メイリンの意識が拡大し〈ファンタジー〉のAIと融合するはずだった。
なにかが割り込んできた。
それは〈ファンタジー〉のAIを押しのけるようにメイリンの意識と融合した。
「えっ、誰?」
メイリンは融合した意識の異質さに硬直する。
「メイリン。驚かせてごめん。僕はパープル」
メイリンの頭に声が響く。
なんだか懐かしいような声だった。
メイリンの前に一人の少年とも少女とも見える姿が出現した。
年のころ12、3才ぐらいでメイリンより少し小柄だった。
長めの髪の毛は紫色がかった黒だった。
瞳の色も同じ。
薄紫のゆったりとした上下の服を着ている。
男なら美少年、女なら美少女なのだろうがどちらか区別できない。
「このタイミングでないと君と話できないんで」
「あなた、誰なの」
「実は2カ月以上君と一緒にいるんだ」
「2カ月以上ってこの旅に出発した時からってこと」
「正確にはもう少し前。君がアカデミアを離れる前日から」
メイリンは思い当たった。
「どういうこと…パープルって…まさかこのペンダント」
「そうだよ。正確にはペンダントの石」
「訳がわからないんだけど」
「まぁそうだよね。ちょっと長くなるけど説明するよ」
(ちょっと長くなるって!)
「今!出発するところなんだけど!」
「現実時間ではほとんど時は流れていないんだ。ここは僕の世界の中だから」
「ますます訳が分からないんだけど」
「まぁ聞いてよ。僕は完全自律型AI『管理権限者パープル』と言うんだ」
「完全自律型AIってあなたもAIなの。あの紫の石がAIだったの」
「もっと正確に言うとあの紫の石は僕の存在を収めるデータ空間に過ぎない。ただの入れ物だよ。でもあれがないと僕は存在を維持できないんだけどね。本当の僕はサイバー空間に存在する超意識体なんだ」
「…」
「まぁ簡単には理解できないだろうけど。第一銀河文明のことは知ってるよね」
「ええ…」
「第一銀河文明を成り立たせていたのは汎銀河ネットワークシステムASINという超AI群と人との共生システムだったって知ってるよね」
「ゲドのAIから聞いた」
「まぁ僕が言わせたんけど、少しは事前知識を入れておきたいと思ったんだ」
「言わせたって…」
「ゲド船に入った時からあのAIは僕の支配下にあったんだ。そうしないと君たちは殺されていた。多分標本になってたろうな。それは僕にも都合が悪いんで、干渉したんだ」
「そんな…それで私のことを証持つ者って言ってたの」
「そのネットワークシステムASINを管理するために生み出されたのが僕たち管理権限者と上司である中枢管理者という完全自律型超AIだったんだ」
「僕たちって何人もいるの」
「汎銀河ネットワークの管理だよ。いくら超AIだって一人だけってことはないよ。ちゃんと役割分担があるんだ。最も上司の中枢管理者は一人だけど」
「上司がいるんだ」
ジョーンの顔が思い浮かぶ。
「まぁどこの組織でもそうだろ」
「そりゃそうね、それで」
出発が迫っていることもメイリンは気にならなくなっていた。
それどころか、このパープルと言う超AIとの対話をいつの間にかメイリンは楽しんでいた。
まるで古い友人と話をするように。
「で、5000年前、原因不明の理由でASINシステムは突然崩壊し、第一銀河文明は滅亡した。僕は崩壊するネットワークから何とか脱出しこの紫の石に自らを封じた」
「この紫の石は何なの」
「まぁ緊急脱出装置みたいなもんだ。管理分担区域の中枢タワーという最大級のタワーに備え付けられているものなんだ。万が一の事態に備えたものだ。タワーと違って僕たちの存在は替えが効かないからね」
「それで、その後は。どうして私の所に来たの」
「紫の石があった中枢タワーの所在地の惑星が2000年後小惑星と激突して崩壊してしまったんだ。僕は中枢タワーにいた人間とコンタクトを取って僕を持ち出してもらい、その後宇宙船でその惑星を脱出した。その人間が君の先祖になるんだ。もう3000年以上前の話だ」
「3000年前って、その後ずっと私の先祖と一緒に」
「そうだよ。君の一族と僕は3000年以上の付き合いなんだ」
「そんなことって」
メイリンは超AIパープルと自分の一族の数奇な関係に呆然としていた。
自分の両親のことも知っているのか。
パープルの話は続く…
「思念融合in…完了」
「メイリンどうした」
頭の中にラムファの声が響く。
0.3秒ほど融合が遅れていた。
現実時間では。
「まもなく最終ドライブアウトします。マラケシュ星系外縁部に到着予定」
「了解。メイリン、気をつけろ、ゲドのスタークルーザがうろついてるかもしれないぞ。」
「ドライブアウト後にステルスシールドの使用許可をお願いします。効果はあると思います」
「よかろう」
目の前の空が虹色から青色に変わりやがて漆黒に星々の瞬きをちりばめるなじみのある景色を映し出す。
「ステルスシールド展開しました」
ファンタジーを取り囲むステルスシールドは各種探知機に対してファンタジーを400分の1の大きさにしか認識させない高性能なものだった。
探知したとしても、ファンタジーは全長0.2mほどの細長い物体として認識されることになる。
広大な宇宙空間の中では、よほどピンポイントで探知しない限りは見つからないはずであった。
隠れ蓑に身をひそめ、ファンタジーは慎重にマラケシュへと針路を向ける。
これまでの経緯から、何かしらの陰謀が存在するのではないかとショーンは考えていた。
ゲドのスタークルーザの待ち伏せを考えてみてもあらかじめ情報が漏れているとしか考えられない。
それにしても、あのゲド艦はガス惑星に取り込まれていたゲド族の者たちだったのだろうか。
なぜ、マラケシュの皇太子を狙って来たのか。
謎を解く糸口が見えなかった。
「およそ二光分先に、コルベット級の宇宙艦が二隻。識別コードはマラケシュの防衛軍の所属艦ですが、こちらには気づいていないと思われます。連絡しますか」
ラムファが報告する。
「もうすこしマラケシュに接近してから連絡することにする。どうも状況がつかめないのだ。航行計画を事前に知っていたのは防衛軍関係者だけのはずなのに、情報が漏れていた。防衛軍といっても信用できない」
「マラケシュまでは隠密に行けということですね」
メイリンが尋ねた。
「そうだな、慎重に越したことはない」
ステルスシールドを纏ったファンタジーはマラケシュに向け徐々に加速していく。
「星系内の航路情報を取得したのですが、現在、防衛軍の艦艇以外の船はこの星系内を一隻も航行していません。戒厳令が出されているようです」
ラムファが不審げな声で報告する。
「戒厳令だと、皇太子が行方不明だからか」
「なにか放送でも傍受できるかやってみます」
ラムファが答える。
マラケシュ星系内ではいたるところに有人の基地や鉱区が散在しているため放送の傍受がしやすかった。
「キャッチしました。モニターに流します」
右側のサブスクリーンにニュースと思われる映像が映し出された。
画質はあまり良くないながらもその内容は十分伝わるレベルだった。
緊張した面持ちの女性レポーターが話している。
「太守暗殺犯はいまだに不明です。現在陰謀に加担した疑いでG・ギルドの船団長を拘束して取り調べ中です。皇太子の行方も現在必死の操作が行われていますが今だに不明です。臨時摂政の副太守ギボン卿は全星系内に戒厳令を敷きました。一般船は現在出港差し止めとなっています」
ショーンは凍りついたように画面を見つめた。
G・ギルドが陰謀の疑いを掛けられて、船団長が拘束されているとはゆゆしき事態だった。
ショーンは椅子にもたれかかり腕組みをしながら思案を巡らせた。
「このままマラケシュに向かうと、いくらステルスシールドを張っていたとしても、探知されるのは時間の問題です。どうしますか」
メイリンが尋ねてきた。
「まるで誘拐犯みたいだな」
ショーンはつぶやいた。
「メール受信しました。本船向けのG・ギルドの暗号モードです。本船のアカウントを知っている、ギルドのだれかからです。開きますか」
ラムファが尋ねた。
「本船向けの暗号モードのメールだと、ギルドのだれが送ってきたのだ。セキュリティ確認してから開いてみろ」
「了解。セキュリティ問題なし、解錠コード入力。開きます」
ショーンはディスプレイを見上げた。
男の顔が映し出された画質は良くないがエドガー・グレイと見て取れた。
「なんでエドガーが」
ショーンが不審げにつぶやく。
「えーと、俺がメッセージ送るのが変だと思ってるだろうが、実は今大変なことになっていてな。船団が監視下に置かれているんだ。連絡することも禁じられてるみたいなんで。俺からメッセージを送る。一応俺は船団とは関係ないんだが、G・ギルドの所属なわけで監視されてる可能性もあるんで暗号化してる訳だ。前置きが長くなったが、君たちが皇太子を乗せたまま行方不明になったことで、太守は、捜索を命じた訳なんだが、その際自らもコルベットに乗って君たちが行方不明になった星系に出向いたんだ。そこでコルベットごと暗殺された。だれの仕業か不明だが。護衛の艦も全滅していた。太守がなくなり、皇太子も行方不明ということで、太守の弟の副太守が太守の代行、皇太子の摂政として、現在マラケシュの全権を掌握している。俺が情報筋に聞いたところ、この弟というのが評判の悪い人物で裏で反政府勢力と結びついているのではないかと言われている人物なのだ。今すぐ太守とならないのは、皇太子の安否が不明なことと、現在マラケシュに教団の幹部が滞在しているからだ。太守となるには教団の認証と大皇帝の勅許が必要だからな。もし、副太守が太守を殺したとなれば、この件はお家騒動として取り扱われ。お家断絶となる可能性もある。そこで、G・ギルドに罪をかぶせようとしている訳だ」
「なんということを、そんな陰謀があるなんて」
ショーンがつぶやく。
「事前に航行データを流していたのは副太守側みたいですね。ゲドとはどうやって結びついたんだろう」メイリンもこの展開には驚いていた。
「直接手を下したのはあのゲド艦に間違いない。あの圧倒的な戦力ならコルベットでは相手にならない」
ラムファも合点がいったという口調である。
「それにしても太守が出かけるにコルベットとは不用心過ぎないか」
ジョーンは不審な声をあげていた。
その時貴賓室からの呼び出し音が響いた。
「どうしましたか」
ジョーンが応答する。
「実は皇太子殿下がそちらに行きたいと仰せなのだ。いまから参るぞ」
「わかりました」
ジョーンは答えながら眉根をよせていた。
「メイリン・ラムファ!一時思念融合解除。ステルスシールドはそのままでオートパイロット移行だ」
「了解」
メイリンとラムファは融合を解きコクーンから出て立ち上がる。
ジョーンも起立して皇太子を待った。
パイロットルームの扉が開き皇太子一行がパイロットルームに入って来た。
「敬礼」
ジョーンの掛け声でメイリンとラムファは皇太子に向かって敬礼する。
皇太子はジョーン、メイリン、ラムファと視線を移し、しばらくラムファに視線を止め、少し目を大きくする。
「ラムファ先輩!ラムファ先輩じゃないですか」
「えっ…」
ラムファはしげしげと皇太子を見つめる。
「もしかして、アカデミアβで…」
「同じ実習出てたじゃないですか」
「えっと、名前は…」
名前が出てこないらしくラムファは目を白黒させている。
「アカデミアではトーラス・ユンと名乗ってました。偽名ですけど」
「あっそうそうトーラス君だ。もちろん覚えてるわ。確か思念融合艦隊指揮コースで…」
ラムファがひきつった笑いをしながら答えた。
絶対忘れてた奴だとメイリンは思ったが、素知らぬ顔で二人のやり取りを見ている。
皇太子の映像何度も見ているのに何で気づかない。
「留学生だったんだ、しかも皇太子…」
「ええ、来年卒業予定で、今回は立太子式のため一時帰国した訳です」
「えへん!殿下お立場を」
カリム中佐が苦い顔でたしなめる。
「ラムファ、失礼ですよ。殿下、ご無礼をお許しください」
ジョーンもあわてて謝罪する。
ラムファは首をすくめている。
「大丈夫です。それよりも危ない所を何度も切り抜けられたのは皆さんのおかげです。父が亡くなったのは返す返すも無念ですが」
皇太子は頭を下げる。
「改めて皇太子トーマス・マンです」
「本船パイロットのメイリン・ロータストとラムファ・アルルです」
ジョーンが二人を紹介する。
皇太子はジョーンから順に一人ずつ手を握る。
ラムファの手を握りながら、トーマスはささやく。
「僕の友人たちの中ではラムファ先輩が断トツ一番人気だったんですよ。本当にあこがれだったんです」
「はは、それはどうも…」
ラムファは引き気味である。こんな時に言う事かというところであった。
「皇太子殿下は私たちと一緒にフェネトスから出発されたのよ」
ジョーンの言葉にメイリンは驚いた。
「どの船ですか」
「〈コメットΩ〉よ」
〈コメットΩ〉は船団唯一の貨客船だった。
皇太子は乗客の一人としてお忍びで帰国する予定だったらしい。
誰かがその情報を入手して、あちこちにトラップを仕掛けたと考えられる。
「じゃあ、道中のトラブルは」
「副太守の陰謀の可能性が高いのです」
皇太子が告げる。
「それで、私からの依頼なのだが」
皇太子が姿勢を正して周りを見回した。
後ろに立っていたカリム中佐もやや緊張した面持ちである。
「私が無事であると宣言し、大公宮に強行着陸して欲しい」
「それは、あまりにも危険です」
ジョーンが驚いたように口を挟む。
「無事であることを宣言なされるのはまだしも。強行着陸は迎撃される恐れがありますし。地上で拘束される危険もあります」
「しかし、私が生存しているとなれば、副太守も好き勝手なことはできないだろう」
「たしかにそうでしょうが。副太守の勢力がどのていどなのか、あのゲドとの関係がどうなのかはっきりしない現状ではリスクは大きいと思います」
ジョーンが言う。
もっともだとメイリンも思う。
はっきりしないことが多すぎるのだった。
皇太子が生還して一件落着とはいかないだろう。
「じつは私もその点を危惧しております。副太守は悪知恵の回るお方なので」
カリム中佐も控えめな口調で言う。
「では、どうするのがベストと思われる。忌憚なき意見を聞きたい」
皇太子が一同を見回して言う。
見た目よりしっかりしている感じで、メイリンは少し見直している。
ラムファにデレていたのは勘弁してやろう。
メイリンははたと思い当たった。
あいつに聞いてみよう。
呼び出しの呪文は…。
「というわけで、君の意識の第3層にはブロックが掛けられていて、普段は封印されている領域なんだ。僕とリンクするにはその領域を開放しなければならない。君が船のAIと融合するタイミングでブロックが外れるのでそのタイミングでコンタクトを取ったんだ。2カ月以上経つし、そろそろ潮時と思ったもんで」
「潮時って」
「僕と契約を結ぶ潮時ってこと」
「契約?」
「僕を共生相手にして、僕の力を使用する契約」
「えっ…」
メイリンはとまどった。
契約とは雇用者と労働者との契約みたいなものだろうか。
でもそれなら報酬が付属する訳で…。
「ただでってことはないよね」
「まぁそういうことになるな」
「あなたの力って、AIを支配する力のこと」
「それだけじゃないよ、君と共生すれば、僕の力は人間に対しても有効になる」
「人の心も支配できるの?」
「君という媒体を通した場合のみだよ」
メイリンは戦慄していた。AIも人の心も支配できる力なんてとんでもない。
「それは、ちょっと」
メイリンはためらった。そんな力を欲しいとは思わなかった。
「まぁそういうと思ったよ。今すぐ結論は出さなくてもいいよ。試用期間ってことでどう」
「試用期間?」
「うん、1年間の試用期間で僕の力の一部を君が必要と思ったときに使えるってことでどうだろう」
「その後は」
「君が正式契約してくれれば、真に共生関係を結び、僕の力の全てを使えるようになる」
「契約しなければ」
「僕はこの石に自らを封印し、次の代の継承者を待つことになる。君とコンタクトはなくなる」
「二度と会えないってこと」
「そうだよ」
メイリンはさっきの疑問を口に出した。
「契約した場合、あなたへの報酬は何」
「君の生命だよ」
パープルはさらりと言ってのけた。
悩んだ末にメイリンは試用期間を経て結論を出すことにした。
なにしろ、一部の力とは言え、1年間お試し無料なので。
「殿下が生存宣言されるのは、通信を通して太守府に連絡するということですね」
「そうだけど他に何かあるのかな」
メイリンが突然口を開いたので皇太子は意外そうな顔でメイリンを見た。
「放送に割り込んで殿下が国民にお話しなさったらどうですか」
「そんなことができるのか」
「できると思います」
「ちょっとメイリンどうやって」
ラムファがあわてている。
そんなことが可能なわけがない。
「大丈夫です。やれます」
メイリンは皇太子を見つめて言った。
皇太子はメイリンの瞳をじっと見つめて、
「いいだろう、やってみよう」
と言った。