第九話
「ちょっと、そこの貴女! こんな所で何をやっていますの?!」
「ふ、ふぐぅっっ?!」
背後から突然掛けられた声に驚いて、食べかけのお菓子を喉に詰まらせてしまった。
ここは毎度お馴染みの王城。今日も今日とて勉学に励む私は、休憩を見計らってツンデレバカと小姑の隙をついて逃亡し、広いお庭で持参したお菓子を貪り食べ――こっそりと食していた。
「げほっ、げほっ、げぇほぉぉ!!」
「まあ、何て品のない咳きなのかしら?!」
いやいやいや、咳き込み方に下品も上品も無いでしょうよ……。
私は涙目になりながら、背後へと視線を向けた。そこには、明るい金髪に橙色の瞳を持った少女が待ち構えるように仁王立ちしていた。
「貴女がお噂のサクラ・スカーレットですわね?! 私のお兄様をたぶらかしたばかりか、あの麗しのカオル様をも手中に納めているという……」
「え、えええ?!」
何だ? 何だ? 話がサッパリ理解できない。私がこの女の子のお兄様をたぶらかした? そして、カオルをも手中に納めるって?
いやいやいや。
そんな馬鹿な話があってたまるか! 誰かは知らないが私はそのお兄様とやらをたぶらかした覚えは一切ない。しかも、カオルに関しては私の方が掌で転がされ、いたぶられているのだ――非常に不本意ではあるが。とんだ言い掛かりである。
「あ、あの、どなたかとお間違えでは……?」
と、いうかこの子は一体誰なのだ。……いや、待てよ? 王城の庭に平然と立ち、相手を見下ろすこの偉そうな態度。そして、金髪に橙色の瞳。私が最近、よく接しているツンデレおバカに非常に良く似ている気がするのですが……。
「…………」
「な、なんですのっっ?! わ、わたくしはお兄様と違って、簡単に唆されたりは致しませんわ! い、いくらそのように美しい瞳やお顔で見つめようと……き、効き目無しですわよっっ!」
「やっぱし、ツンデレか……」
「はいっっ?!」
うん、間違いない。この子はアレですよ。皇太子スグル・エドワードの妹ですね。ちなみにゲーム内ではヒロインの友人兼サポートキャラとして登場しておりました。
うーん、やっぱし兄妹揃って、ツンデレなんだー。ゲーム内ではそこまでツンツンしてなかった気がするけど……。ヒロインが相手だったからかな?
顔を真っ赤にして、毒なのか飴なのか良く分からない言葉を吐く姿はスグルにそっくりだ。
たしか、たしか、名前は――。
「ツツジ――?」
「んなっ?!」
そうだ、ツツジ・エドワードだっっ! ゲーム攻略中も変わった名前だなーって思ってたから比較的良く覚えている。このゲーム世界のコンセプトは『花のように麗しい男女が織り成す魔法世界のラブストーリー』というもので、『花のように可愛らしく美しい貴女を愛でる』という一見陳腐なキャッチコピーが大流行したのだった。
だからなのか、登場人物にも花の名前がついている者が多い。
「あー、やっぱりそうだぁ! ツツジ・エドワードっていう妹いたもんなぁー! うわー、うわー懐かしいー!」
完全に公爵家令嬢から、ただのゲームファンへと化している私。それは重々分かっているのだが、止められない。なぜなら、ツツジが信じられないほどに可愛らしいから。――もう一度言おう。ツツジが死ぬほど可愛らしいのである。設定ではヒロインと同級生だったから、私の一つ年下で、現在は九歳か。カオルとも同い年のはずだが、その可愛らしさに天と地ほどの差がある。
「へぇー! ほぉぉー可愛い~」
「ななな、何ですの?!」
なぜだろう、可愛らしさとは別に、物凄く親近感も覚える。数年ぶりにあった同級生のようだ。これはゲーム内に出てくる数少ない女性キャラに会った感動故なのか。それにしてもスグルやカオルには全く感じない胸キュンキュンが激しい。まぁ、ツツジに関しては死亡も追放も関係ないから気が楽っていうのもあるかもしれない。
「あー、可愛い~可愛い~! 何このほっぺ! うわっ、パツキン、キラキラしてる~!」
日頃の勉学疲れや小姑イビりのストレスから一転して、可愛らしいものに出会って解放された私は、貴族としての話し方やたしなみからどんどん遠ざかっていく。最早、直す気など欠片もない。
「パッ、パツキン?! パツキンとは何ですの? そ、それより、貴女馴れ馴れしいわよ!! わ、わたくしを誰だと思っているの?!」
「え? だから、ツツジでしょ?」
「ぐっ……そ、そうよっっ!」
「…………」
『ぐっ』だって~! きゃー可愛い!! 何この子!
「ふふふふふふ」
「……な、なんですの?!」
「いやー、男のツンデレは腹立つけど、女の子のツンデレは可愛いなぁ……。ほっぺプックプクのツンデレとか堪らんかも……。声もやっぱり可愛らしいしぃ……」
「あ、貴女が何を言っているのか、半分も理解できないけれど……。なぜかしら、身の危険を激しく感じるわ……!!」
「ふっ、ふへ、ふへへへへ」
私は後ずさるツツジに向かってニョキッと真っ直ぐに両手を伸ばした。端からみたら人を襲うミイラのように見えるかもしれない。しかし、やっぱりどうしてもその激しい衝動を抑えられなかった。
思えば、死亡ルートや追放ルートに怯え、ツンデレと小姑に痛め付けらる日々。肝心の愛しいヒイラギ様にも会えず、テンションは下がりっぱなしだったのだ。私の中の優しい気持ちや穏やかな気持ちがすり減っていく日常。いやー、辛かった。本当に辛かった。そこに、こんな小兎――ツツジがやって来たのだ。少しは萌えを充電させてもらってもバチは当たるまい。
ヒイラギ様一筋であるから、決して百合の趣味は無いのだが、可愛いものは別腹なのだ。
「さぁさぁ、ツツジ――様。こちらでお菓子などを食べつつ、友情を深めましょう~!」
「……!」
気分は完全に狩人だった。ついつい乱れてしまいがちな言葉を必死でお嬢様言葉に変換する。
「さぁさぁ、お菓子を~!」
「こここ、来ないでっっ!!」
ツツジが非常に怯えている。先程までの勢いはどうしたのか、今では真っ青に青ざめ、心なしかプルプルと震えているようだ。初対面だからか、今さら緊張でもしているのだろうか。そんな姿も可愛らしいが、やはり少しでも近寄りたい。
「チチチチ、ルールルルー、怖くないですよ~」
「そ、その、変なリズム止めて下さらない?!」
失礼な。せっかく安心させてあげようと思ったのに!! うーん、やっぱりツンデレ皇太子の妹だけあって、中々に警戒心が強いようだ。皇太子を生意気な猫だとすると、ツツジは産まれたばかりの子猫か。可愛らしさに雲泥の差があるな。
「うーん、分かりました……。とりあえず、少し離れて座りましょうかぁ……?」
「…………へ?」
「そうすれば、ツツジ様もご安心ですものね? 私は非常に不服ですが……」
「…………」
不服な妥協案ではあるが、致し方ない。私は近くにあった木製のベンチに座り直すと、少し間を空けてその隣端を指し示した。
「さ、どうぞこちらへ」
「……」
ツツジは、どうしようか思案している様子だったが意を決したように肩肘を張りながらこちらに近寄ってきた。まさに産まれたての人に不慣れな子猫のようだ。ああ、撫で回したい。
「ふ、ふへへへ……」
「っ!!」
「あ、失礼失礼。大丈夫ですよー」
「……」
ふーむ。付かず離れずの距離感を保つのが難しい。
「あの、お菓子でもいかがです?」
「け、結構よっっ! というか、なぜこんな場所でお菓子を食してますの?! 婦人としてあるまじき卑しさですわよ!」
「え、いやぁ、まぁ……」
「まだ授業中ですわよね?! それなのに、そこから逃げ出して、こそこそ盗み食いだなんて……!」
「いや、授業は今休憩中でして。それにこのお菓子は盗んだものではなく、私が家で作ったものを持ってきたものでしてー」
「ふん! 休憩中だったら何をしても良いと思っておりますの?! なんてふてぶてしいのかしら!」
「で、でも、頭を使うと小腹が空いてしまいますし。これ、意外とイケるんですよ? ジャガイモを薄くスライスして揚げた物で……」
私は持参したハンカチーフをふんわりと広げた。すると、周囲にジャガイモの香ばしい薫りが充満する。ツツジは、ちらりとそのポテトチップスに目線を向けた。心なしか、鼻をヒクヒクさせている。
「……作り方なんて、聞いておりませんわ!――でも、確かに中々良い匂いですわね……」
「でしょう?! ささっ、一枚どうぞー」
「……そ、そう? な、なら一枚位なら食べてあげても宜しくってよ!」
「はいはい。宜しくして下さいませー」
「ふ、ふん!」
ツツジは、私が差し出した特製のポテトチップスにそろりと手を伸ばしてきた。
パリパリ、ポリポリ。
雅な庭園にポテトチップスを貪る音が響き渡る。
「こここ、これはっっ……!」
ツツジの瞳がくわっと見開かれる。そのほっぺは薔薇色に染まりとても可愛らしい。
「ジャガイモの風味を残しつつ、ふんわりと纏う塩味が何とも言えませんわ……! なんて素朴で美味なお菓子なのかしらっっ?!」
「お気に召して頂けましたか?」
「え、ええ、まあ、そうね……。もう少しだけなら食してあげても良くってよ?!」
「そうですかっっ!! ではどうぞ、どうぞ、沢山ありますからねー」
「え、ええ」
私はポテトチップスの入ったハンカチーフを両手で持ちながら、さりげなくツツジとの距離を詰めた。最早、ツツジはポテトチップスに夢中でその事にも気がついていないようだ。ツンデレといっても生まれたての子猫である。案外チョロかった。
「……? な、なにやら先程よりも近づいておりませんこと?!」
「いやいやいや。気のせいですよ! ほらほら、もっと食べてくださいませ!」
「……う、ん、まあ、そうね……ムシャムシャ」
「ふふふふふ」
こうして、ささやかな休憩時間は意外な穏やかさと微笑ましさで過ぎていった。
「ふあー。お腹が一杯ですわ!」
「……まあ、結局全部食べられましたからね」
「ふ、ふんっ! まあ、そこそこ食べられましたわね!!」
「……ふふっ」
ポテトチップスをツツジに全部平らげられてしまったが、私の心はひたひたと温かい気持ちで満たされていた。本当に可愛らしいなぁ。ポテトチップスを両手で持ってポリポリ食べている姿なんか、見ていて悶え死にしそうになってしまった。
「あ、ところで、ツツジ様はなぜこんな所へいらしたのですか?」
「へっ?」
「私の事をご存知のようでしたが……」
こんな状況になってはいたが、そもそも最初に声を掛けてきたのはツツジの方だった。私は今更ながらにその事を思い出し、ツツジへと問い掛けてみた。
「そそそ、そうでしたわ!!」
ツツジもようやく本来の用件を思い出したのか、満腹感によって優しく和んでいた目元をキッと吊り上げると、こちらに向かって指を指してきた。
「私は、貴女の事をお兄様の婚約者だとは認めませんわよ!!」
ズバリ!! ってな様子で宣言をするツツジ。しかし、その口元にはポテトチップスのカスと塩が付着している。
「……あ、あのツツジ様……」
「ふん! 貴女がその美しい瞳や麗しいお姿でどんなにお兄様やカオル様を惑わされようと私は騙されません! 絶対に貴女の化けの皮を剥いで、その地位から引きずり下ろしてみせますわ!!」
「い、いや、そうではなくて、ポテトチップスがね……」
「大体、側近の言によれば、お兄様と大層親しげ……いえ、ぞんざいな言葉を交わしているとか! それに座学の成績も非常に悪いと聞きましたわ!! そんな方が仮とはいえ、この国を担うお兄様のご婚約者だんて……! 最近ではお兄様も側近も口を開けば貴女の事ばかり……! す、少しくらいお菓子作りが上手だからって、私は、私は絶っっ対に認めませんからね!!」
「い、いや、だから、ほっぺにカスがね……」
「良いこと? 私、これから貴女の本性を暴いて、それをお兄様やカオル様に逐一ご報告致しますから!! 今日はその宣戦布告に来たのですわ! 覚悟して下さいませね?!」
「だ、だから…………あーもう、良いか」
「では、サクラ様、ごきげんよう!!」
そう言い残すと、ツツジ様はさっさとその場から走り去っていった。
「……な、何だったんだろう……」
とりあえず、ツツジは私の事を良く思っていないらしい。少し寂しく悲しい気持ちになった。化けの皮を剥がすだとか言ってたなぁ……。まぁ、ポテチ付けながら言ってたから、説得力ゼロなんだけど。
「化けの皮ねぇ……」
そんな皮を被っているつもりは全く無いが、これでツツジ様が騒いでくれれば皇太子との婚約も破棄されるかもしれない。私の望んでいない仮婚約者の地位。
「こ、これは意外なチャンス到来……?」
ツンデレ妹属性のツツジ。上手く行けば、彼女によって私の死亡ルートが無くなるかもしれないのだ!!
私は巡ってきたチャンスに微妙に喜びつつも、何やら複雑な気持ちを抱いていた。
正直、ツツジとはとても仲良くしたい。私がやっと見つけたヒイラギ様とは別腹の癒しなのだから。しかし、死亡ルートが破棄されるのならば、涙を飲んで耐えてみせるしかない。
「……いよーし! ツツジ様にたっくさん……いや少し、ほんのすこーしだけ嫌われて、婚約破棄を目指すわよー!!」
私は一人、複雑な心境を振り切るかのように、勢い良く腕を天高く突き上げた。