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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:10 あなたの初恋の人、プレハ
119/176

10-8 すべての過去の行き着く先、

 地下迷宮ラタトスク。

 その構造は、全五階層となっている。

 

 複雑な迷路であり、おびただしいほどの亡者が棲む、第一階層<幹の闇>。

 常に落下死の恐怖に脅かされる、消失する足場の第二階層<枝の孔>。

 

 時空の歪んだ浜辺と、孤独の中で幻が囁く、第三階層<輝砂海>。

 正真正銘、侵入者の命を喰い殺すためだけに存在する第四階層<根の国>。

 

 そして、ただひとりとして情報を持ち帰ったもののいない、最終階層。

 

 かつておびただしいほどの人数の冒険者が挑み、魔晶を求め、一攫千金を夢見て、そうして散っていった世界三大迷宮がひとつ――ラタトスク。

 エルフの血と絶望によって生まれ、皮肉にも、欲深き人間族を今なおも殺し、成長を続けるこの魔窟に、あろうことかただひとりで潜る男がいた。


 彼は今、魂の沼の中にいた。

 



<第四階層・根の国>



 この階層についてからは、『声』が止まなかった。

 バリーズドの声だ。

 それはイサギの記憶の中から脳内で響くのか、あるいは本当に外側から――すなわち消滅したはずのバリーズドの魂がこの迷宮に辿り着いた結果――やってきた声なのか。

 どちらにせよ、まあいい。

 退屈はしなかった。


 まるで隣立つように、彼は、囁きかけてくる。


『しっかし、あの泣きべそかいてた旦那が、ずいぶんとタフになったもんだな』

「いつまで昔のことを引きずってんだよ」


 第三階層<輝砂海>を越えた先は、再び地底の迷宮であった。

 だがそこは第一階層とは違い、どこか幻想的な雰囲気を感じさせられるような鍾乳洞である。あちこちに作られているストーンプールは上層の水が漏れ出しているためか、翠色の輝きを放ち、石柱や鍾乳石を妖しくも蠱惑的に照らし出していた。

 

 そこに灯った紫色の光は、一瞬高く燃え上がり、そしてすぐに掻き消える。

 後に歩み出てくるのは、黒い外套を翻す、黒尽くめの男。

 人型の霧を仲間のように引き連れて、時折懐に入れた指輪を確かめるように握り締め、ひた進む。


『なーに言ってんだよ、初顔合わせだってそうだろ?

 嬢ちゃんの前で青い顔して立ってやがって。

 こいつは見込みねーなって一目でわかったぜ』

「おいおい、誰にものを言ってんだよ……」

『んだな。人を見る目はあったと思ったんだが、あれだけは初めて失敗しちまったな。

 あんときのおめーは若かったよ。ま、俺も若かったがなー』

「俺にとってはまだ4、5年前の出来事なんだけどな……」


 イサギは頬をかく。

 と言っても、隣に立つバリーズドの声も若く、20年前の当時の彼の印象そのままだったのだが。

 

 イサギがプレハとともにバリーズドを尋ねたのは、旅立ちから約二ヶ月後のこと。

 何度かの命のやりとりを経験して、人を殺す感覚を味わい、これがこの世界の掟なのだと言い聞かせながらも、まだどうしても覚悟を決められずにいた頃だった。

 西の都にレジスタンスを構え、徹底抗戦を続けていたバリーズドに助力を求めたイサギとプレハはむげもなく断られた。

 当時のバリーズドは苛烈な性格をしており、街を捨てて逃げ出した貴族と騎士を憎んでいた。そのために多くの子どもや女たちが殺されたのだと言って、王都から送りこまれてきたプレハとイサギを決して許しはしなかった。

 神剣を持つイサギに剣を突きつけ、その実力を図るために手合わせを望み、そうしてイサギを完膚なきまでに叩き伏せた。

 追い払われたプレハとイサギは、彼ら傭兵団の力を借りることができず、たったふたりで街に巣食う魔族、五魔将がひとり、魔族帝国騎士団団長ギルナイト――イグナイトの父親である――と本格的なゲリラ戦に突入した。

 その結果、やはりイサギの浅慮な行動により――プレハが捕らえられたのだった。


「ま、あればっかりはな。正直忘れたいほどの思い出だけどな……」

『生きてくっつーのは、そういうもんだろ?』

「そうなのかもしれねえけどさ。俺はまだそこまで達観できちゃいねえよ」


 功に焦り、自分が勇者であると証明するためにカッコつけて、そしてプレハと神剣クラウソラスを奪われた。失った。

 死ぬほど泣いたし、死ぬほど後悔をした。死ぬほどの恐怖に襲われ、本当に死んでしまおうかとも思ったけれど、逃げ出すことだけができなかった。

 イサギは道端で拾った折れた剣を握り締め、バリーズドの元へ走った。泣きながら彼と再戦し、神剣を持たぬイサギは当然のように彼を下すことはできず、しかしそれでも助けてもらった。手を差し伸べてもらえた。


「……あんときは、バリーズドが救いの女神にすら見えたからな」

『気持ちわりーこと言うんじゃねーよ、旦那。

 ギルナイトをぶっ潰したのは、おめーの力だろ?』

「無我夢中だったよ」

 

 細い通路を歩いていた最中だ。

 壁からゆらりと現れた手がイサギの首を掴んだ。迷宮の中に潜んでいたフォッグだ。魔物はゼロ距離からイサギの肉体を爆破しようと手のひらに魔力を込める。

 イサギは壁の中に拳を打ち込んだ。刹那、遅れて亀裂が入り、壁が崩壊し、肘まで埋まった腕が解放された。不定形の魔力の塊、フォッグは影も形も残らずに霧散している。

 もうもうと立ち込める砂煙を払い、イサギは首を撫でた。


「勝手にさわんなよな」


 第一階層はまだ寝る暇があったが、第四階層となれば、5分も置かずに次々と魔物たちがイサギに襲いかかってきた。

 何時間戦い続けているのかわからない。もしかしたら何十時間もかもしれないし、何日も、何週間も経過しているのかもしれない。眠気と疲労がやってこないから、唐突に体力の限界がやってきて一歩も動けなくなる可能性も、まあなくはない。


 イサギは袋の中から魔力を回復させるために持ってきたハーブを取り出し、口にする。イサギの並外れた魔力総量にとってその影響は微々たるものだが、抱え込んだまま死ぬマヌケになる前に、やれることはやっておかないといけない。


 再び近くの床――土の中――から魔物が飛び出してきた。彼らはいつどこから襲いかかってくるかわからない。振り返ったそこに気配もなくアンデッドが爪を振りかぶっていることなど、ざらだった。

 360度をカバーする警戒と、決して砕けぬタフな精神。そして戦い続けるだけの持久力と、そもそもの戦闘力。本来ならばそれはパーティーで補完し合うものなのだろうが。

 イサギは剣を抜き打ち、死者を地に送り戻す。少し遅れてカラドボルグが雷鳴を響かせた。この音がさらなる亡者を呼び寄せる結果になってしまうのだが、イサギはいとわない。どのみち、隠れながら進む気など毛頭なかった。


「俺が強くなれば、相手は弱くなる。結局、戦いってのはそういうもんだよな。

 鍛えれば鍛えるほど、辛いことなんてなくなってゆく。

 ギルナイトとの戦いに比べれば、こんなもんは大したことねえよ」


 それもやせ我慢と言われれば、そうかもしれない。

 だが、己の無力を突きつけられる以上に、辛いことがこの世にあるとは思えなかった。


 かつては守りたい人を守るだけの力もなく、無力感に苛まれ続けた。

 今は力だけはある。守りたい人は、まだそばにはいないけれど。


 十歩も歩かずに、またしても現れるアンデッド。異常なエンカウント率の正体は、魔晶の眠る場所が近いことを示していた。そのために自らの魂の安寧を守るため、亡者が生者を阻むのだ。 


『おめーは強くなったよな、ああ』

「……ずっと、戦ってきたからな」

『それだけじゃねーよ。昔はずっと……なんて言えやいいかね。

 危ういところもあったと思うが、今のおめーは腹をくくったように見えるぜ』

「セルデルにも言われたな、そんなこと」

 

 ようするに、ガキではなくなったということなのだと思う。

 

「最近では、無駄にカッコつけることも、なくなってきたしな。歳相応に落ち着いてきたんだろ」

『あー?』

「……なんだよ」

 

 幻にツッコミを入れるのもどうかと思ったが、イサギは半眼でつぶやく。


「成長しているって言ったのはそっちだろが」

『そういうことじゃねーんだよなあ、そういうことじゃ……』

 

 バリーズドの呆れ声。まったくもって、なんて生意気な幻影か。


 第四階層に入ってから、あちこちには冒険者の遺品が見つけられるようになった。

 折り重なって死んでいるのか、うず高く積まれた武具。遺っているのは、ほとんどが金属製の装備であった。

 二番目から三番目までの階層が死体が残りにくい構造だったため、それが浮き彫りになってしまっただけなのかもしれない。

 しかし死体は一切見つからなかった。腐乱はしないのに、肉も骨もどこかへと消えてしまうのだ。迷宮内の仕組みは理屈では済まされないことが多い。

 いや、正確に言えば――死体はあった。それを死体と呼ぶべきかどうかはともかくとして。


「……」

 

 がちゃり、がちゃりと鎧を鳴らしながら近づいてくるのは、魂人(アンデッド)

 ほぼ人間と変わらず、されど眼の奥に紫色の炎が灯った怪物である。

 土塊の代わりに、魂が肉体に宿った姿だ。より人間の頃を鮮明に思い出しているからか、その俊敏な動きはこれまでの比ではない。

 

 剣を振り上げ、叩きつけてくる死者の一撃をイサギは受け止める。それは彼がこの迷宮に潜って以来、初めて防御に回った瞬間だった。


「良い斬撃だな」


 第四階層にまで潜り、そこで奮戦した男だ。死んだとはいえ、その肉体は力強く、欠損に注がれた亡霊の魂は不足分を補って余りある闘気を生み出していた。

 生者が戦う限り、絶対に目を逸らすことはできない身体のリミッターや人体構造を完全に無視したアンデッドのトリッキーさは、熟練の剣士といえど一筋縄ではいかないだろう。

 まさに一騎当千。肉を身にまとう化け物は、これほどまでに強くなるのか。


「大したもんじゃねえか」


 刃をカラドボルグで受け止め、クラウソラスでその首をはねる。イサギの行ないに淀みはない。双剣をまるで手足のように操っていた。

 


 第四階層の中核部に足を踏み入れてからは、バリーズドの声も届かぬほどの亡者の怨嗟がイサギに襲いかかる。

 その渦中、イサギの中に浮かんでいたのは、かつての記憶だ。


 プレハやバリーズド、それにクラウソラスの力を借り、九死に一生を得るような心地で五魔将ギルナイトを倒し、総崩れとなった魔族を中央国家パラベリウから一気呵成の勢いで追い払ったのだ。その影には、陽聖騎士団の助力などもあったのだが。

 パラベリウの安全を確保した後、勇者パーティーは北へと向かった。エディーラ神国に魔族が大規模攻勢を仕掛けるという話を耳にしたのだ。

 そこで塔に閉じ込められた忌み子――セルデルと共に戦い、彼を仲間にし、エディーラ神国から魔族を退け、さらに旅を続けた。


 エルフの国ミストラルを解放し、そこで第三王女リミノと出会い、絆を深めたこともあった。

 南の砂漠、シャハラ首長国連合を攻め落とし、スラオシャ大陸における魔族の拠点のひとつを降伏させた。

 大陸南西の最前線に立つピリル族とその族長レ・ダリスを助けるために、イサギは禁忌の力『破術』を身につけた。それにより、魔族帝国軍スラオシャ大陸遠征団の総大将、五魔将のオニキシアとパールマンを葬り去ることもできた。

 暗黒大陸に渡るため、北方山脈に棲まうドラゴン族に力を借り、大孤竜スラオシャルドと一対一の決闘を行ない、そしてイサギは勝利した。

 

 二年半かけて、イサギはスラオシャ大陸を平定した。

 この頃にはもう、彼をただの若造だと侮るものは、いなかった。

 泣き虫なのは変わらず、臆病なのも変わらずに。

 それでも、取り繕うことだけは巧くなった。

 ――彼女には、いつだって見抜かれていたけれど。


「ずっと認めてもらいたかっただけだったんだけどな」


 そばにいる少女に。

 そばで戦ってくれていた少女だけに。

 

 斬りかかってきた亡者の顔面を掴み、地面に叩きつける。一撃でひしゃげて砕ける頭蓋骨。しかしそれだけでは止まらず、無理な態勢から腕がねじ折れるような動きでイサギに剣を叩きつけてくる。

 イサギはその腕を踏みつけ、腹に――鎧の上から――強烈なスタンプを落とした。雪の塊を踏み抜いたかのように、死者は破裂した。


 誰に言うわけでもなく、イサギはただつぶやく。


「あいつの前だから、それだけずっと戦い続けられたんだ。

 あいつがいたから、さ」


 イサギが勇者でいなければならなかったのは、彼女のためだが。

 イサギが勇者になることができたのも、彼女のおかげだった。


 スラオシャルドの背に乗って辿り着いた暗黒大陸。

 港町ブラックラウンドを攻め、騎士団を手引きし、本格的に魔族の本拠地へと攻め込んだ。

 暗黒大陸に突入してからの魔族軍の抵抗は熾烈を極めた。

 イサギもプレハも、バリーズドもセルデルも、常にボロボロだった。

 だが、目的地はもうすぐそこだ。立ち止まるわけにはいかなかった。


 かすれた声が、イサギの背に届く。


『ったく、おめーはすげえやつだよ。まったくな。

 本当に、俺じゃあ、うまくいかねえよ……。ああ、かなわねえな……』

「……」

 

 バリーズドの声は、徐々に遠ざかってゆく。

 それはまるで羨望をはらんだような、とても寂しい声色だった。


『おめーは勇者だが、俺はそうではなかった……。

 ただ、それだけのことなんだよな……。なあ、きっと、そうだよな……』

「……」

『おめーといれば……俺も……俺だって……なあ……な……』


 やがて、イサギの前に<根の国>の出口が見えてきた。

 気づけば、横を漂っていたバリーズドの魂は、欠片もなく霧散してしまっている。

 あれは本物の彼だったのだろうか、そうではなく、ただの幻だったのか。

 それを判別する手段はない。ないが、イサギは一枚の金貨を取り出し、床に放る。

 特になんという意味はない。――ただの手向けだ。


「……羨ましかったのは、俺だってそうさ。

 お前たちと共に歩むはずだった20年を、俺だけが味わえなかった」


 ただひとり、置いて行かれたのだ。

 冒険者ギルドもなにもかも、バリーズドに託して。

 そのことでデュテュたちを責めるのはもはや筋違いだとは思っているけれど、心に空いた穴を埋めることはできない。


「俺はずっと、バリーズドやセルデルたちに、憧れていた。

 そんな風に強くなりたかったんだ」


 拳を握り締め、俯き歩くイサギ。

 第四階層の出口はもうすぐそこである。



 彼の前には今、巨大な門があった。

 ここに来て初めて見た人工物と思しきそれも、おそらくは迷宮が作り出した虚像なのだろうけれど。

 門の前には、ひとつの玉座としか言いようのないものが、置かれていた。

 

 まさかここまで冒険者が担いで持ってきたとは考えにくい。

 本物かどうかなどは、今はどうだっていい。

 それがここに置かれた意味こそが、肝要であった。



『……なぜこの世界には、多くの種族がいるのであろうか』

 

 黒い肌をしたその男は足を組み、腕を肘掛けにつき、こちらを冷然なる瞳で見据えていた。

 まとう衣装は漆黒。肩まで伸びた銀髪を横で結び、しかし眼球があるべき場所には紫色の炎が揺らいでいた。

 全身に走った傷のような刺青は、鍾乳洞に満ちる翠色の光に照らされ、ぼんやりと赤く輝いている。


『かつて世界は、たったふたつであったという。

 神人族と魔人族。両者は互いの領地を争い合うこともなく、ただ平穏に過ごしていた。

 しかし神族が去り、アルバリススには魔人族だけが残される。

 世界は平和になったはずであるのに、今度はその魔人族の中から、

 人間族、ピリル族、ドワーフ族、ドラゴン族といったものたちが、自らを主張し始めた。

 これでは世界は収まらぬ。ひとつにはなれぬのだ』

 

 魔王。

 ――アンリマンユ。


『人間族の勇者よ。よくぞここまで辿り着いた。

 だが、烏合の衆が何人集まったところで、同じことよ。

 我が汝らに、永遠の滅びを与えようぞ』



 魔族の王は、遥か高みからイサギを見下ろすように、立ち上がる。

 その絶対的強者の佇まいは広間全体を震わすような迫力を放ち、これまでに幾多の修羅場をくぐり抜けたイサギですら、足を震わせてしまうほどであった。

 再開するのは、二年ぶりだ。その記憶はいまだ、鮮明に焼きついている。


 禁術・封術をその身に宿す、魔族最強の魔法師、アンリマンユ。

 術式は瞬間的に発動するほどの詠出速度を誇り、その供給源である魔力は底無しだ。プレハ、セルデルふたりを相手に遠距離戦で圧倒してみせたのは、彼をおいて他にはいない。

 その高火力による弾幕は機銃のようであり、イサギやバリーズドはまるで彼に近づくことは出来なかった。さらに降り注ぐのは、魔法弾の嵐だ。広間にばら撒かれた魔法弾は自立飛翔し、死角から絶えずイサギたちを襲う。

 かくして、セルデルとバリーズドが魔法弾をカバー、プレハが爆撃し、イサギがたった一度斬り込むその瞬間を待ち続ける。

 結果、セルデルとプレハが魔力の枯渇を引き起こし、バリーズドは傷つき倒れ、イサギが残された。そのとき初めて、イサギは自らの射程距離にアンリマンユを捉えることができたのだった。


 対魔王戦は、四人が死力を尽くしてなお、幸運なくしては勝利することのできない戦いであった。

 そして今イサギの前に立つ偽物のアンリマンユは、両手を広げて笑う。


勇者(ブレイバー)よ。汝の死地は此処である』

「おあいにくだな」

 

 イサギはクラウソラスを引き抜き、アンリマンユに向かう。


「死んだのはお前だよ、アンリマンユ」

『その魂、哀れに散らすが良い!』

 

 アンリマンユの肩の肉が爆ぜた。

 次の瞬間、そこから腕が生える。同じように、脇腹からもまた。

 ぶちん、ぶちん、と腸詰めの肉がねじ切られるような音と共に、アンリマンユの体からは次々と腕が生えてゆく。

 

 アンリマンユは生粋の術師だ。魔法師だ。だが、アンデッドが術式を詠出することはできない。だからその歪さが現れる。目の前にいるのは、イサギの記憶の中にある強者の姿をまとった、ただの化け物だ。アンリマンユの皮をかぶった怪物だ。

 

 銀色の光を払い、イサギはクラウソラスを右手に握り、ゆっくりとその魔物へと近づく。


「悪いが、罷り通る。付き合ってらんねえんだ。もう、過去には。

 俺の未来は、この門の先にあるんでな」


 イサギの斬撃は――ただの一撃でアンリマンユの姿をしたアンデッドを、両断した。



 門の先に待つのは、最終階層――第五階層。

 そこからはただ一本の下り坂が伸びていた。

 

 これが最終階層<光の道>だ。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



<最終階層・光の道>



 坂を下るイサギの周りには、ふわふわと紫色の光が漂っていた。

 まるで人魂のようだ。イサギの進む先を照らしてくれているのかもしれない。

 あまりにも濃い紫が充満するその空間には、魂の輝きが絶えず瞬いている。

 魔晶に集う亡者の魂。これこそが光の道の名の由来だろう。


 ところどころに落ちていた冒険者の遺留品は、もはやまるで腐食せずに、布やちょっとした小袋などすらも、ゴロゴロと転がっていた。

 魔晶に近づけば近づくほどに原型をとどめているというのは、不思議なものだ。

 もしかしたら、それだけこの空間では、時の流れが緩やかなのかもしれない。

 何十年も、たった数日に感じてしまうほどに――。


 しかし、冒険者たちの遺体はどこにもなかった。やはりアンデッドが操っているのか、あるいはそもそも溶けて迷宮の贄となってしまったのか。


<光の道>はシンと鎮まり返っていた。

 上の階層であった囁くような声も、アンデッドたちの横槍も、不気味なほどになにもない。

 その道の中央を、イサギは進む。


 過去には振り返らない。未来はこの前にある。

 取り出したクリスタルパスの反応は、顕著だった。

 迷宮の核魔晶は近い。そしてきっとそのそばに、プレハがいるのだ。


「……ふう……はぁ……」


 自らの息遣いをやけに大きく感じた。

 心音が高鳴り、胸が痛い。

 おそらく緊張しているのだ。イサギは自らのコンディションをそう判断した。


「……しょうがないよな」

 

 プレハがこの先にいるのだから。

 緊張しないはずがない。


 最初に会ったら、なんて言おう。

 まず最初に、なんて声をかけようか。


 いつものように『よう』と片手を上げるか。

 あるいは精一杯カッコつけて『助けに来たぜ、お姫様』とでも告げ、その近くにひざまずくとしようか。


 それとも言葉はいらず、ただ彼女を強く抱きしめればいいのか。

 でも、どれくらいの力で抱きしめればいいのだろう。あまり強くしたら、痛くないだろうか。しかし弱すぎたら、自分の想いは伝わらないだろう。


 アンリマンユを瞬殺したときの涼しい顔とはまるで違う。まるでただの少年のように、イサギの頬はわずかに赤らんでいた。

 ただひとりの女性に、どう声をかけようかと、それだけのことで。


 そうだ、この世界のプレハは、もう20年後――いや、22年後だから。

 37才になっているはずだ。自分とは、19才差だ。

 もしかしたらこの迷宮の中で、多少の年月のズレはあるかもしれないが……イサギより年上になっているのは、ほぼ間違いないだろう。

 きっと、カッコ良い女性になっているはずだ。

 それでもきっと昔のように笑って、その子どもっぽい笑顔も浮かべてくれるだろう。

 大人になったプレハも、ますます美しいに違いない。


 だが……。

 ……ひょっとしたら、恋人なども、できているのだろうか。


 イサギはまるでそんなことを今まで想像していなかった自分に気付き、愕然とした。


 プレハは決して変わらず、揺ぎないと思っている。

 それは昔からのイサギの、悪い癖だ。

 イサギはプレハに理想を押しつけてしまうきらいがある。

 彼女も人並みに悩んだり、迷ったり、苦しんだりしているのに。

 

 イサギのいなくなったアルバリススで、プレハが幸せを手に入れていても、それはまるでおかしくはない。

 あれほど魅力的な女性なのだ。求婚する男など、後を絶たないだろう。プレハ自身が揺らがなくても、熱烈に猛アピールされてしまえば、少しはなびいてしまう可能性は、なくもない、かもしれない。


 プレハの生きた20年を、イサギはなにも知らない。

 リミノやセルデル、バリーズドたちに多少聞いただけで。

 プレハがどんな気持ちでいたかなんて、わからない。

 

 どうして迷宮を攻略していたのか。

 どうして冒険者ギルドに力を貸さなかったのか。

 どうしてたったひとりで。

 

 今、考えたところで仕方のないことだけど。

 イサギは光の道を下りながら、考えずにはいられない。

 もうすぐ、愛しの彼女に会えるのに――。



 その時。



『――離しなさいよ!』

 

 絹を裂くような声とともに、光の道の壁に、一枚のヴィジョンが浮かび上がった。

 まるで壁を透過した先に本物の彼女がいるかのように――。


「プレハ?」


 そこは見覚えがある。王都ダイナスシティの城の中だ。

 バリーズドに腕を掴まれたプレハが、瞳の奥の炎を燃やしながら、乱暴に抗っている。


『あの人の国葬なんかに、あたしが出るわけないじゃない!

 なんで、死んだって、決めつけるのよ!

 あたしは書庫にこもるんだから!

 バリーズド、いくらあなたでも、邪魔をするなら容赦はしないよ!』

 

 記憶の中のプレハとあまり変わりはないが――いや、目の下に大きなクマができている。泣き腫らしたかのように、目は真っ赤だった。


 ヴィジョンは瞬き、バリーズドの悲しそうな顔と、それを捨て去って歩き出すプレハの鬼気迫る表情を残し、消え去った。

 

 たった数秒の出来事に、イサギは釘付けになった。


「なんだこれ」

 

 イサギは呆然と声をあげた。


 先ほどまでの、バリーズドやアンリマンユの幻とはまるで違う。

 違う。

 だってイサギは、プレハのこんな姿を知らない。

 これは自分の記憶じゃない。

 

 誰だ?

 

 ……決まっている。



 これはこの先にいる――プレハの、記憶だ。

 

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