## 第一話 ## 「終電と、缶コーヒーと、知らない笑顔」
# 『40歳、人生やめかけた俺に天使が笑った』
## 第一話
## 「終電と、缶コーヒーと、知らない笑顔」
四十歳になった。
だから何だと言われれば、それまでだ。
だが、二十代の頃に想像していた“四十歳”とは、あまりにも違っていた。
部長でもない。
金持ちでもない。
結婚もしていない。
ワンルームの部屋。
コンビニ弁当。
深夜一時。
誰からも来ないスマホ通知。
「……疲れたな」
独り言だけが、やけに部屋に響いた。
名前は、神谷 恒一。
四十歳。独身。
仕事は都内の中小企業で経理。
ミスは少ないが、目立ちもしない。
若い頃は夢があった。
小説家になりたかった。
誰かを感動させる物語を書きたかった。
でも現実は、数字と残業と、上司の機嫌取りだった。
いつからだろう。
「どうせ俺なんか」が口癖になったのは。
---
その日も終電帰りだった。
雨が降っていた。
駅前のベンチで、俺は缶コーヒーを握りながら空を見ていた。
春なのに寒い夜だった。
「はぁ……」
ため息が白く消える。
すると。
「あのっ」
声がした。
顔を上げると、女の子が立っていた。
白いワンピース。
長い黒髪。
透き通るような肌。
それより何より――笑顔だった。
まるで太陽みたいに、優しい笑顔。
「隣、座ってもいいですか?」
「……え?」
思わず周囲を見た。
いや、俺しかいない。
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
彼女はぺこりと頭を下げて、隣に座った。
ふわっと、花みたいな香りがした。
こんな若い子が、なぜ夜中に?
いやそれ以前に、なぜ俺の隣に?
「あの……大丈夫ですか?」
「え?」
「すごく、寂しそうな顔してたから」
胸が少し痛んだ。
そんな顔をしていたのか、俺は。
「まあ……疲れてるだけです」
「いっぱい頑張ったんですね」
その言葉に、なぜか涙が出そうになった。
誰かにそんなことを言われたの、いつぶりだろう。
会社では「当然」。
社会では「まだやれる」。
独身男には「自己責任」。
でも彼女は違った。
まるで、心を見ているみたいだった。
「あなたは優しい人ですね」
「いや……そんなことないよ」
「あります」
彼女は真っ直ぐ俺を見た。
「だって、疲れてる人って、本当は頑張ってきた人ですから」
その瞬間。
心の奥で何かが崩れた。
ずっと我慢していたもの。
誰にも見せなかった弱さ。
「……情けないな俺」
「情けなくないです」
彼女は笑った。
天使みたいに。
本当に、天使みたいに。
「私、あなたのこと好きですよ」
「…………は?」
缶コーヒーを落としかけた。
「いやいやいや」
「ふふっ」
「初対面だよ?」
「はい」
「俺、四十だよ?」
「知ってます」
「おじさんだぞ?」
「でも、素敵です」
心臓が変な音を立てた。
こんなこと、人生で一度もなかった。
学生時代もモテなかった。
会社でも空気。
恋愛なんて十年以上してない。
なのに。
この子は。
こんなに可愛い子が。
どうして――。
「名前、聞いてもいいですか?」
「……神谷、恒一」
「恒一さん」
彼女は嬉しそうに俺の名前を呼んだ。
たったそれだけなのに。
世界が少し明るく見えた。
「私は、雨宮ひまりです」
ひまり。
その名前は、本当に彼女にぴったりだった。
暗い夜を照らす、小さな太陽みたいで。
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「恒一さん」
「ん?」
「明日、お仕事ですか?」
「……あるよ」
「じゃあ、頑張れますように」
彼女はそう言って。
そっと俺の手に触れた。
温かかった。
驚くほど。
「また会えますか?」
気づけば、俺の方から聞いていた。
彼女は少し目を丸くして。
そして、嬉しそうに笑った。
「はいっ」
その笑顔は。
灰色だった俺の人生を、少しずつ薔薇色に変えていくことになる。
まだこの時の俺は、知らなかった。
彼女が、ただ可愛いだけじゃないことも。
俺の止まった人生を、本気で変えに来たことも。
そして――。
彼女自身も、深い孤独を抱えていたことを。




