第16話
「……え?」
逢蕾花は扉の取手を横に引こうとするが、動かない。何度も試すが、やっぱり扉は開かない。まさか壊れたのかと焦りながら、扉の小窓から外の様子を覗く。すると、外側から一人の女子生徒が扉を押さえている姿が見えた。
「……ダメよ、いたずらしちゃ。開けてくれる?」
逢蕾花は優しく注意するも、女子生徒は扉を抑えたまま。
「何をしているの! 開けなさい!」
次第に口調が荒くなっていく。逢蕾花がここまで焦る姿は、烈も初めて見る。この場にいたら、自分の仕掛けた罠で命を落とすのだ。必死になるのも当然。だが、逢蕾花に怒鳴られても、女子生徒、今井は力負けしまいと堪えている。
「なんだ? 何をしている?」
烈は逢蕾花の様子がおかしいことに戸惑っていたが、すぐに硫化水素に意識を戻す。まずは硫化水素が室内に充満しないように、窓を開けて換気をしようと窓際に駆け寄った。
「くそ、開かない!」
窓の隙間に布のようなものが噛ませてあり、開かないようにしている。逢蕾花がやったのだろう、なんとも用意周到なことである。
「明里、どうすれば……」
頭の切れる幼馴染に助けを求めようと振り向くと、明里は特に取り乱すことなく、悪戯小僧のような笑みを浮かべている。
その表情で、烈は全てを察した。明里はこの状況になることをあらかじめ知っており、そして、手をすでに打っていたのだと。
明里は烈の肩を優しく叩く。
「大丈夫だ、烈くん。苫米地さんがさっき自分に時間を与えたのは間違いだと言っていたが、ボクがそのような間抜けなことをすると思うかい? 狡猾な青薔薇の貴公子相手に」
「わざと時間を与えた、ということか?」
「その通り。苫米地さんなら理科室の指定に疑問を持ち、すぐに烈くんのクラスが部屋を使っていたことに行き着く。そして、理科室を調べ、隠しカメラを見つけて、更にボク達の口封じをするはず」
「じゃあ、罠について、お前は初めから知っていたのか?」
「うん。ボクと烈くんは苫米地さんに警戒されているから、ノーマークである今井さんに苫米地さんの監視を頼んでおいた。その今井さんが罠のことを知らせてくれてね。この理科室に最初に来て、薬品をただの水と入れ替えておいたのさ。あ、そうそう。彼女が罠を仕掛ける様子は別の隠しカメラで録画しているよ。ボク達への殺人未遂の証拠としてね」
明里は胸ポケットからボールペンを取り出して見せる。よくよく見ると先端部分に小さな穴が空いており、カメラが顔を覗かせている。実に精巧な隠しカメラであり、逢蕾花もこのカメラには気が付かなかったようだ。逢蕾花が見つけた隠しカメラの方はいかにもという形状だったが、それはこちらから目を背けるためのカモフラージュだったのだ。
一体、この少女はどこまで未来を読んでいたのか。幼馴染とはいえども、烈は恐怖を覚える。
「だったら、先に言ってくれよ。焦ったじゃないか」
烈のささやかな抗議を、明里は鼻で笑う。
「君に演技ができるとは思えない。罠がすでに看破されていると彼女にバレて、すぐに逃げられただろう。まあ、そうならないよう、今井さんには扉の前で待機してもらっていた。苫米地さんを部屋の外に出さないように」
明里は烈の背中を一度強く叩いた。気合いを注入するように。
「さあ、烈くん。この事件を、いや、八年前から続く陰惨な青薔薇の貴公子事件を終わらせよう。今井さんもそろそろ限界のようだ」
今井は筋力があまりないらしく、逢蕾花によって扉が少しずつ開き始めている。
「ああ、分かった。今度こそ、終わらせる」
烈は逢蕾花に一歩一歩近づいていく。烈の足音に気づいたのだろう、逢蕾花はおそるおそる、烈に振り返った。彼女の顔には許しを乞うような、自分の罪を誤魔化すような、ぎこちない笑みが浮かんでいた。
対する烈の表情は、真顔。感情が抜け落ちている真顔である。
「蕾ちゃん。俺はな、女は殴らない主義なんだよ」
「そ、そうよね。女性を殴るなんて、乱暴な真似はしちゃだめよ」
「ああ。……だが、あんたは違う」
女どころか、人間ではない。自分の思想、妄想に取り憑かれ、大勢の人間の将来を奪った。冤罪の遠因となり、一人の男性の生活を破壊した。
そう、苫米地逢蕾花は正真正銘の人でなしである。
逢蕾花は近くに置いてあった文房具入れからカッターを掴み、刃を限界まで出して烈を睨みつける。
「さ、下がりなさい! 私には崇高な使命があるの! 不幸な女性を、苦しみから解放という使命が! 私の、邪魔をするなんて許さないわよ!」
逢蕾花の口から発せられたのは、悲鳴にも似た絶叫。優しいお姉さんの仮面が剥がれ、余裕ぶっていた青薔薇の貴公子としての狂気も霧散している。ただの悪党に成り下がった姿は、もはや哀れである。
逢蕾花は半狂乱でカッターを振り回しながら、烈に向かってきた。
「助かるよ。正当防衛として、あんたを殴る理由ができた。……これは花咲の、あんたに殺された被害者達の分だ!」
烈は拳を大きく後ろに振りかぶり、乱舞するカッターの間を縫って、逢蕾花の綺麗な顔に打ち込んだ。男性とは違う、女性特有の肌の柔らかさが拳に伝わる。だが、罪悪感は全くない。人手なしのクズを殴っているからだ。
烈は拳を逢蕾花の顔にめり込ませたまま、右足を前に出す。更に拳に勢いが乗り、逢蕾花の身体は吹き飛び、部屋の扉へと激しくぶつかる。その際、今井は衝撃に驚き、「きゃっ!」と悲鳴を漏らした。
逢蕾花は扉に激突した後、顔から床に倒れた。鼻から大量の鼻血を流し、白い頬には青痣ができている。気絶し、ぴくりとも動かない。
その様子を見下ろしながら、烈は短く息を吐き出す。もっと殴ってやりたいが、これ以上は流石に許されない。
「終わったよ、花咲。やっと終わったぞ」
八年間続く、連続殺人事件にピリオドが打たれた瞬間だった。




