『火種』
昼前。ーーーいや、ちょうど正午を過ぎたくらいか。俺ーー玄焚は、ここ数日ずっと牙獣と奮闘しつつ『科兎山』へと向かっていた。
穂叢流剣術を使う時もあれば、使わない時もある。『火柱』たる技の発動ない状況であっても、牙獣との実力差は互角になってきた。九狼とともに戦闘を熟している所為もあってか、身体が動く。もう二度と、体制を崩すことはない気がした。しかし、同時に油断もならない。
牙獣は甲斐性もなく蹄を鳴らした。すぐに駆けてくるだろう。その荒々しい疾駆にも、俺の身体は追いつくようになっていた。
今ならどこを斬れば良いかが良く判る。獣肉に齧り付く習慣を経て、牙獣の突進を見続けるにつれて、さまざまなことが見えてきた。
その筆頭は、体感的に肉質を理解し始めたことだ。更には、動体視力の向上。
そしてその経験は、なにも相手の身体の捕捉だけに限る話ではなかった。
…以前にも増して、身体のキレが違う。双腕をして構えた剣が、思った通りの軌跡を描く。思った通りの深さで斬れる。
漸く、師匠にもらった修練用の剣が手に馴染んできたのかもしれない。
「あ、そう言えば。」
俺は懐に隠れている師匠の遺品を一瞥した。
曰く、本物の『火柱』になるための本物の『火種』…。
臙脂色に彩られた短刀が、太陽の光を受けて小さく輝いた。
今まで一度も使っていないが、この鮮やかな短刀もなかなか興味深い雰囲気を漂わせている。
『火柱』どころか『火種』すら理解の及んでいない状態で、十分に扱えるか分からないが、使ってみるのも悪くない。
牙獣の猛攻を掻い潜りながら、俺は密かに短刀に持ち替えた。
タイミングが大切だ。何せ、短刀故に刀身の届く範囲が短いのだ。極限まで引き付けた状態で、斬りかかる。それがこの短刀の使い方に違いない。
玄焚が短刀を構え直すと、心無しか、それは揺れる燈のように輝いた。
牙獣が再びこちらを向いた。威嚇するように双つの牙を振り回し、大地を蹴った。
狙うは側面。牙獣に気付かれぬよう、突進が当たる直前で身を躱す。と同時に、まるで居合抜きのように斬り払う。
おそらくその後、牙獣は振り向くに違いない。ならば、前転するのが吉か。
大地を強か揺らしながら、牙獣が近づいた。
待て、待て、待つんだ……。
もう死に往く俺じゃない。牙獣を狩り続けて漸く、その動き方が見えてきたのだ。
……今だ。
猛る獣の双牙を、半身で避け、ただ、真っ直ぐに斬り払う。
「俺は未来を斬り拓く!」
玄焚の閃く刀尖が、緋色の閃光を上げた。




