k-1 クロマチス・アイビー
床に散らばる大量の本、ボロボロのカーテン。椅子の脚は折れ、机にあったであろうティーカップは叩き割られている。まるで誰かが暴れたであろうその部屋に、一人の男が足を踏み入れた。
男は軽く部屋を見回した後、ベットに俯せに寝ていた青年の元へと近寄った。
「残念だったねクロマチス」
そう言ってニコリと笑う男にクロマチスは手元にあった枕を投げる。
男は枕をひょいと避けた。それを見たクロマチスは舌打ちをしてから用はなんだと男に問いかける。男は楽しげに口を開く。
「ロベリアをものにできなかったからピリピリしているね。可愛い可愛い」
「気色の悪い事を言わないで下さい」
「ええ?義弟を可愛いと思うのは普通でしょう?」
にやにやと笑っている男に拳大の水の塊が打ち出される。だがその殺意のあった攻撃も男に到達する前に拡散する。危ないなぁと軽い口調で言う男にクロマチスは口調を強めて用はと問う。
「これから例の女の所に行くけれどついてくるか?っていうお誘いをしに」
「……行きます。八つ当たりでもしてやらないと気が済まない」
「じゃあ準備しておいで。待ってるから」
男が去っていくとクロマチスは手早く出掛ける準備をする。ふとクロマチスは自分の部屋の有り様を確認して思わず顔を顰めた。使用人には触るなと伝えておかねば十中八九男───────クロマチスの兄であるニシキギの報告で使用人が片付けをしてしまうであろう。
実際、もう既に数人の使用人がその手に掃除用具を持って待機している。クロマチスは小さく溜め息を吐いてから使用人に後で自分でやるからなにもするなと伝えてからニシキギの元へと向かった。
「じゃあ行こうか」
「はい」
楽しげに笑うニシキギはクロマチスを女性を扱うかの様に馬車まで誘導した。不愉快ではあるがそういった表情を一切表に出さずニシキギのエスコートに従い馬車に乗り込んだ。
「何処へ向かっているのですか?」
「北門の詰所。王城近辺はアレを閉じ込めておくのは向かなくてね」
北門の詰所。四方の門の中で王城から最も遠く、広い詰所である。さらに付け加えるなら、外への脱獄にお誂え向きであるため異常と言ってもいいレベルの警備と要塞だが。
二人は詰所に着くと、特に手続きをせずに用のある牢屋へ向かう。その途中警備兵に案内はいるかと声を掛けられたがニシキギはいらないと返答して先に進む。
「場所は知っているのですか」
「十中八九魔封じの術式が組み込まれている牢屋。アレの魅了魔法は意図的に使ってた訳じゃないからね」
「あぁ、そういえばアレはそんなものを使っていましたね。取り巻きと化していた彼らが本来ならかからないであろう程度の魔法」
「まぁ、この世界にも強制力は働いているから仕方ないと言えば仕方なかったんだけどね」
「……強制力?」
なんのことかとクロマチスが首を傾げるとニシキギは笑って説明をする。この世界がゲーム、所謂物語の世界だとして、その物語の登場人物である人間は行動がその物語の通りに動いてしまう。例えば、クロマチス。乙女ゲーム内では彼はアイビー家に引き取られていた。現実でもそうなっている。
現在その乙女ゲームの細かい内容について知っているのはヒロインであるリリィしか知らない。だが、ニシキギはなんとなくクロマチスの両親が死んだ理由がゲームにより設定されていた故に引き起こってしまったのではないのかと考えている。答えは誰も知らないが。
「私がそれに抗えた理由は?」
「イヤだな、気付いているだろう?」
ニシキギが笑えばクロマチスは嫌そうにする。クロマチスとてアイビー家の血縁者。解っているのだ。ロベリアとニシキギという異端のおかげであることが。出来上がった物語を大きく改変するのは他人であるのだ。
詰所の中の螺旋階段を降りる。ニシキギ曰くのアレは詰所の最奥、特殊房に入れられており、見張りは魔法道具によって行われている。目的の場所が見えてくるとカツカツと歩く音に反応したのか、リリィが顔を上げた。
「クロマチス!助けに来てくれたのね!」
「寝言は寝て言えくそアマ」
「ブフォ」
リリィの言葉に間髪いれず返答したクロマチスにニシキギは腹を抱えて笑い出す。なんなのだと訝しげに見られたニシキギは流れるように返したのが面白くてと笑う。どうでもよい内容だったと直ぐに興味をなくしたクロマチスは再びリリィと向き合う。
「好き好んで貴女を迎えに来る愚か者はいませんよ。解ってますからね。たかだか弱い魅了魔法にかかった自身の実力不足なのが」
「なん、」
「迎えに来る可能性があるのはサーゼラ家の次男坊位では?あのような見た目のわりに根は真面目ですし、多少は責任を感じていたようですし……と言っても言葉の通り本当に多少、ですけれど」
冷めた目でリリィを見るクロマチス。話しているだけだというのに不快感を感じているのか眉間に皺を寄せた。
さて、少し話が変わるが乙女ゲームのクロマチスの話をしよう。
クロマチス・アイビー。悪役令嬢ロベリアの弟にして敬語で紳士的なキャラである。勿論初期段階の話だが。ルートの選択次第で黒くも白くも性格が変化する。ゲームの中でハッピーエンドどバットエンドの性格差が一番激しいキャラであり、全てのルートをプレイしたプレイヤー達にはこう呼ばれていた。
───────攻略できない攻略キャラ
ハッピーエンド系統のルートは全てクロマチスの最後の台詞は「貴方のお陰で幸せです」というような台詞で終わる。だがしかし、バットエンドでその台詞の本当の意味が明らかになっていて、それがプレイヤーに攻略できない攻略キャラと呼ぶ理由に至っている。
全てはロベリアを囲うために。クロマチスのヒロインに対する甘さも、想いも。全部が全部ロベリアに向けたいもの。どろとろに甘やかして、自分をその人生に組み込んでほしい。逆に自分だけを憎んでほしい。なんでもいいからロベリアと。とても歪んでいるのだ。
「使えない駒でした。二度と逢わないことを祈っています」
「クロ、」
「帰ります。これ以上コレを見ていたら殺しそうなので」
「うん。俺の用も終わったから一緒に帰ろう」
二人は足を詰所の出口へと向ける。振り返ることも、気にすることもなく。
詰所から出て家へと帰る途中の馬車の中でそう言えばとクロマチスはニシキギに問いかける。ニシキギの用とはなんだったのかと。クロマチスとリリィの会話を聞いていただけにしか見えなかったのだ。ニシキギに限って会いに来たというだけだというのも違和感を感じていた。
「強いて言うなら今回ロベリアを好きにさせてやったご褒美を貰いに?」
ニヤリと笑ったのを見てクロマチスは顔を背ける。何故か物凄く寒気がするのだ。
それにしても、ご褒美とは一体なんなのだろうか?そう思って視線で続きを促しても、笑うばかりで口は閉ざしたままだった。クロマチスは溜め息を吐いた。ニシキギが秘密主義なのは今に始まったことではない。
「まぁそれはいいとして、これからの話をしようかクロマチス」
「はい」
「クロマチスは処罰は無し─────って訳には流石にいかなくてね。悪いけどアイビー家から除籍させてもらうよ」
「でしょうね」
「あくまでも表向きはの話だけれどね。俺になにかあれば撤回してクロマチスが元に戻るだろうし。それで除籍後。クロマチスにはロベリアの執事という名の下僕になってもらおうと思って」
「は?」
間抜けにもぽかりと口を開けたクロマチスにニシキギは笑いながら前々からその事については父に言っていたのだと言う。ロベリアへの執着。アイビー家独自のそれは覆るのが難しい。自身もそうであると身をもって知っているニシキギはどう置いてやればいいか理解していた。そんなに恋しいのなら側に居てやればいい。ニシキギにとってもロベリアは唯一であるのだ。なら少しでも不安要素は取り除いておきたい。監禁も精神破壊も赦さない。赦したくない。クロマチスは離せば離すほどロベリアを壊して自分の元に置こうとするのだ。なら無条件どころか、ロベリアの側に居ることが仕事になるようにしてしまえばいい。
「勿論ロベリアの側に居るためにそれ相応の教育はさせてもらうけどね」
「……大盤振る舞いですね」
「他から見ればそうでもないどころか重い処罰だけれどね」
心底嬉しそうにクロマチスは笑った。
───────数週間後。
アイビー家内にて三人の男が一つの部屋に集まっていた。
「元々天才肌だったのもあるけど、本当に仕上げてきたね。流石クロマチス。優秀」
「……まさか越されるとは思いませんでしたよ。執事でないにせよ、側仕えとしての自信はあったのですが」
「はは、シルバ如きがなに調子に乗ってるの?」
ニシキギはシルバを蹴り飛ばした挙げ句、態々近付いて倒れたシルバをそのまま踏みつける。そのシルバの表情が幸せそうであるのをクロマチスは冷めた目で見つつ口を開いた。合流はいつ頃させて頂けるのでしょうか、と。
「準備が出来次第直ぐに出てくれるかな。一ヶ月、とは言ってあるけどせっかくあげている自由の時間をこれ以上削るのは可哀想だからね」
「では失礼致します」
言うが早くさっさと部屋から出ていったクロマチスにニシキギは苦笑する。失礼ではないかと文句を言うシルバに長い間おあずけをくらっていたのだから仕方がないと言う。一言あっただけまだましだとも。
「ロベリア様の滞在地は知っているのですか?」
「知らなくても問題はないよ」
「?」
「クロマチス本人も無自覚にしていたものがあるからね」
ニシキギは知っていた。クロマチスが魔法の使い方を知らないうちにロベリアに向かって無意識に契約魔法を使っていたことを。そしてその契約魔法の内容がこの世界に於ける、監視役御用達な魔法であることを。
「ま、ロベリアはこれから大変だろうけどね」