第24話『消えた暴風雨と、忘れられたもちこ』
なんとか一の越にたどり着いた私たちは、山荘の前でようやく足を止めた。
「みんな、お疲れ様!よく頑張ったわね。少し休憩したら、天気が崩れる前に早めに下山しましょう。それから、トイレを使いたい人は山荘のものを利用していいけれど、有料だからね。チップとして百円を入れてから使うように!」
美空先生の声に、何人かのクラスメイトが慌てて山荘のトイレへと駆け込んでいった。
私もようやく一息つけると思い、冷たい空気を吸い込んだ、そのときだった。
――ビューッ!
「きゃっ!」
それまで穏やかだった空気が一変し、突風が吹きつけた。
山荘の周囲で風が唸り、思わず身体がよろめく。
「……うわっ、急に風が強くなってきたわね」
先生は眉をひそめ、空を見上げた。
「これは、無理に動かないほうがよさそうね。山荘の方にも相談して、ここで待機させてもらいましょう」
先生はすぐに山荘の管理人さんに相談してくれた。幸い、私たちは建物の中で待たせてもらえることになった。
けれど、安心したのも束の間だった。
窓の外では風がどんどん勢いを増し、やがて激しい雨が窓ガラスを叩き始めた。
ゴォォォッ――!
まるで何かに押し潰されそうな風の音。建物全体がガタガタと揺れるたび、私たちは思わず肩をすくめた。
「先生……これ、どうしたらいいんでしょう……?」
不安げなクラスメイトの声に、先生はスマホを取り出した。
「うーん……やっぱり電波が不安定ね。電話がつながるか分からないから、まずは学年主任の先生にメッセージを送ってみるわ」
先生は何度か画面を操作し、送信を試みる。
数分後、ようやく先生が顔を上げた。
「……よし、送れたわ。下山のスケジュールにはまだ余裕があるから、無理に動かず、しばらくここで待機するようにって指示が出たわよ」
先生は私たちを見回し、少しだけ表情を和らげた。
「みんな、雨に濡れていたらタオルでしっかり拭いておくこと。身体を冷やさないようにね」
「はーい……」
返事をしながら、私は窓の外を見つめた。
ついさっきまで、あんなに青く澄み渡っていた空が、今では見る影もない。
吹き荒れる暴風雨に、山の天気の恐ろしさを思い知らされる。
私たちはただ、風が収まるのを祈りながら、山荘の中で待つしかなかった。
*
その頃、学内のカフェでは――。
「今日、さわが高校の遠足で立山に行っているのよね。どんなお土産を買ってきてくれるのか、今から楽しみだわ!」
ミナカはコーヒーをすすりながら、早くもお土産に思いを馳せていた。
向かい側では、もちこがスマホを眺めている。
「……あれ?」
「どうしたの、もちこちゃん?」
「今、ネットの速報に出てるんだけど……『立山・室堂付近、急な暴風雨』だって。さわちゃん、大丈夫かな……?」
「えっ?」
ミナカはコーヒーカップを持ったまま、きょとんとした。
「でも、こっちはこんなに晴れていて、ぽかぽか陽気よ?きっと大げさな情報か、何かの間違いじゃないかしら」
「いや、でも……山は天気が変わりやすいっていうし……」
もちこは心配そうに画面を見つめる。
「そういうものなのかしらねぇ……。まあ、ちょっとお手洗いに行ってくるわ。すぐ戻るから待っていてちょうだい!」
ミナカはそう言い残し、席を立った。
*
一方、一の越の山荘では――。
「先生、もう結構な時間が経つのに、全然収まる気配がありませんね……」
クラスメイトの一人が、不安そうに窓の外を見つめていた。
「本当にすごい暴風雨ね……。山の天気は、人間の想像を超えることがあるのよ」
先生も心配そうに外の様子を確認している。
そのときだった。
「――まったく、世話の焼ける妹ね」
背後から、聞き覚えのある自信満々な声が響いた。
「……え?」
私は驚いて振り返った。
そこに立っていたのは、なぜか平服姿のミナカだった。
「……っ!?ミナカちゃん!?なんでここにいるの!?」
「あら。可愛い妹が遭難しかけているかもしれないというのに、お姉ちゃんが駆けつけるのが、そんなにいけないことかしら?」
「いや、そういう問題じゃなくて……!みんな天気が悪くて帰れなくて困っているのに、わざわざこんな危険なところまで来なくても……!」
「ふっ……甘いわね、さわ。妹が困っているなら、お姉ちゃんが全知全能の力で何とかしてあげるに決まっているでしょう?」
ミナカは得意げに笑うと、懐から怪しく光る指輪を取り出した。
「さて、まずは天候をどうにかしましょうか。指輪、【クリマ】。周囲の風雨を収束させてちょうだい」
『――承認しました。周囲の風雨を強制停止します』
指輪が眩い光を放った。
次の瞬間――。
ゴォォォッ、と唸っていた風が、ぴたりと止まった。
窓を叩きつけていた雨も、嘘のように消えていく。
あれほど荒れ狂っていた嵐が、まるで何事もなかったかのように静まり返ったのだ。
「…………え?」
誰かが、呆然と呟いた。
私も、目の前で起きたことが信じられず、しばらく言葉を失っていた。
「これで無事に下山できるわね!」
ミナカは満足げに頷いた。
「いや、嵐が止んでも、ここから自分の足で下山したら、結局かなり時間がかかるんだけど……」
「あら。最初からそう言えばいいのに」
ミナカは呆れたように肩をすくめ、今度は別の指輪に語りかけた。
「指輪、【メタースタゼ】。みんなを下まで連れて行ってちょうだい」
『――承認しました。誰を、どこまで移動しますか?』
「室堂ターミナルまで。さわの学校のメンバー全員と先生、それから当然、私もね!」
指輪が再び光を放つ。
一瞬、視界が白く染まり、周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。
そして――。
「……あれ?」
気がつくと、私たちは室堂ターミナルの中に立っていた。
「えっ!? ここ、ターミナルだよね!?」
「さっきまで山荘にいたはずなのに……!」
「今、何が起きたの!?」
クラスメイトたちが一斉に騒ぎ始める。
そんな中、ミナカは何でもないことのように指輪へ声をかけた。
「指輪、ついでに記憶の改ざんもお願い。全員が最初から室堂ターミナルに避難していたことにして、関連する記録も整合性が取れるように調整してちょうだい」
『――承認しました。対象者全員の記憶および関連記録を調整します』
……いやいやいや!
天候を止めて、全員を一瞬で移動させたうえに、記憶まで改ざんするなんて。
この指輪、どこまで何でもできるのよ……。
「あれ?ミナカさん!なんでここにいるの?」
あやちゃんが、不思議そうに首を傾げた。
どうやら、ほかのみんなはもう、ミナカがここにいることを不思議に思わなくなったらしい。
「なんでって……私はね、ここの『立山蕎麦』がすごく美味しいって聞いて、それを食べに来ただけよ」
ミナカは涼しい顔で言い放つと、何食わぬ顔でターミナル内のお蕎麦屋さんへと歩いていった。
そして、暖簾をくぐる直前。
私は、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
頼もしい背中を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。
普段は自分勝手で、食べ物のことばかり考えていて、何かと私を振り回すお姉ちゃん。
でも、本当に困ったときには、必ず助けに来てくれる。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
*
その頃、ミナカの意識の中では――。
「……おかしいわね、指輪。さっきの記憶改ざん、さわには完全に効いていないんじゃない?」
『以前の検証時と同様、さわには因果律抵抗が観測されています。今回も同じ現象が発生したものと思われます。なお、その他の対象者への処理は正常に完了しています』
「まあ、お姉ちゃんの威厳の前には、些細なエラーよね!」
ミナカは、そんなことを気にする様子もなく、すっかり上機嫌でお蕎麦屋さんのカウンターに腰を下ろした。
「おじさん!今日は最高の気分だから、『かき揚げ天蕎麦』を大盛りでお願い!」
「はいよ!」
ほどなくして、湯気の立つ蕎麦が運ばれてきた。
立ち上る出汁の香り。サクサクのかき揚げ。温かい蕎麦と、旨味の詰まったつゆ。
ミナカは箸を手に取り、まずはつゆをひと口すすった。
「……んんっ!これよ、これ!」
思わず頬が緩む。
さっきまでの大冒険(?)を乗り越えたあとの蕎麦は、今日の世界で一番美味しいものに違いなかった。
かき揚げをつゆに少し浸し、蕎麦と一緒に頬張る。
サクッとした衣に出汁が染み込み、野菜や具材の旨味が口いっぱいに広がる。
「はぁ……最高ね……!」
ミナカは幸せそうに目を細めた。
そして、夢中になって蕎麦をすすり続け――。
……と、そこで、ふと思い出した。
(――あっ!もちこちゃんを待たせたままだったわ!)
すっかりもちこのことを忘れていたミナカは、慌てて残りの蕎麦をかき込んだ。
「ごちそうさまでした!」
ミナカは疾風のごとく店を飛び出した。
目指すは、学内のカフェ。
――果たして、もちこはどれくらい待たされているのだろうか。
そんなことを考えながら、ミナカは全力で駆け戻っていくのだった……!




