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窓から漏れる朝日を感じながら目を覚ましたオリヴィアの視線の先には、見覚えのある天井があった。でも、ここがどこか認識する前に、オリヴィアは真っ先に、ぼんやりとこう思った。
(……わたし、生きてたんだ)
薄れゆく意識の中で聞いた、実父と義母、デイルの台詞が蘇る。オリヴィアのためだと吐き捨て、救おうとしなかったあの人たちが助けたとはとても思えないから、きっと、グレースが助けてあげてほしいとでも頼んだのだろう。もしくは、グレースに罪悪感を抱かせないためだけに、三人が動いたか。
どちらにせよ、酷く、惨めだった。
涙を滲ませ、部屋をぐるりと見渡したオリヴィアは、この部屋はマケラ子爵邸ではなく、王都にあるペルソン伯爵家の別邸の一室であることに気付いた。
「……なんで」
掠れた声で呟いたオリヴィアは、ゆっくりと上半身を起こした。それから思い出したようにはっとし、恐る恐る後頭部を手で触れてみたが、どこにも痛みは感じなかった。
「傷が塞がるほど、長く意識を失っていたのかしら……でも、どうしてここに」
怪我をしたオリヴィアを、マケラ領からわざわざ王都まで運んだ意図はなんだろう。グレースがオリヴィアを見るたび、罪悪感を抱いて哀しむから遠ざけようとしたのなら、病院に預ければいいだけの話しだ。
きっとそのことに、あの人たちは罪悪感など、欠片も抱かないだろう。
なのに。
そのとき、部屋の扉がノックされた。オリヴィアは、びくっと肩を揺らし、半ば反射的に、はい、と答えた。間を置かず、扉が静かに開かれた。
「オリヴィアお嬢様、おはようございます」
それはオリヴィア付きの侍女だったが、オリヴィアが目覚めていることになんの驚きも持っていない様子の侍女に、オリヴィアは違和感を覚えた。
決して仲の良い関係ではなかったが、それでも、頭の傷が癒えるほど長く意識をなくしていた人物が返事をし、起きていたら、もう少し驚いてもよさそうなものだが、侍女は、至って普通に見えた。
「……あの」
「はい?」
「わたしは、どれぐらい眠っていたの?」
侍女が、不思議そうに首をかしげる。時計を見て「七時間ぐらい、でしょうか」と、答えた。
「七時間……?」
頭に疑問符を浮かべるオリヴィアに、侍女が「なにか悪い夢でも見たのですか?」と、聞いてきた。
「……夢?」
いくらオリヴィアが侍女にとってどうでもいい存在でも、この反応はおかしい。しかも、眠っていたのが七時間だなんて、馬鹿みたいな嘘をつく必要性を感じなかったオリヴィアは、混乱しながら、侍女に今日が何月何日かを訊ねてみた。
「七月十日、ですね」
オリヴィアの目が見開く。オリヴィアの中では、七月中旬から八月末まである夏期休暇にデイルたちと一緒に実家に帰り、あの事件が起きたという認識だったから。
あれから一年が経ったということだろうか。しかし、腕や足などをざっと見てみても、痩せ細った感じなどは一切なく、オリヴィアは訳がわからなくなった。
侍女もどうしようかと首を捻り「大丈夫ですか? もし気分が優れないようでしたら、今日は王立学園をお休みしますか?」と、提案してきた。
「王立学園……?」
「はい。真面目なのも結構ですが、一日ぐらい休んでもかまわないのでは?」
「……一日?」
侍女の目を、真っ直ぐ見据える。嘘をついているようには、とても思えなかった。
「……わたしは、いま、二年生であってる?」
「あっています、けど」
侍女が怪訝な顔をする。でもオリヴィアは、そんなことにかまっていられなかった。
(……本当に夢、だったの? でも、あんなにリアルで長い夢なんて)
こんなに生々しく、覚えているのに。心の底から怒ったこと、心が抉られるぐらい、哀しかったこと。後頭部を打つけたときの衝撃、激しい痛み。そのあとの、みんなの本性を知った絶望。
──でも。
(……そう、そうよね。いくらなんでも、みんなが、デイルが、あんな酷いことするはずないもの)
デイルはわたしを愛してくれている。あんなこと、するはずない。言うわけがない。
(……そうよ。あれは、悪夢だったんだわ。あんな夢を見るなんて、わたしって最低ね)
オリヴィアは安堵と共にふうっと息を吐き出し、侍女に向き直った。
「ごめんなさい。あまりにリアルな悪夢を見て、混乱してしまったみたい」
侍女が、そうですか、と笑う。
「大丈夫です。こちらが現実ですよ」
「そう、ね」
悪夢だと結論づけたオリヴィアは微笑んでみせたが、心はすっきりとは晴れず、どこか淀んだままだった。
♢♢♢
マケラ子爵家の長女、オリヴィア・マケラ。オリヴィアが七歳のとき、実母が病気で亡くなった。母を亡くして哀しみにくれるオリヴィアに、実父は愛人と隠し子の存在をオリヴィアに話してきた。それは実母が亡くなってから、まだ三ヶ月も経っていない頃のことだった。
「お前の母親のナタリアとは、政略結婚だったんだ。愛はなかったんだよ。まだ小さいお前にはわからないかもしれないが、貴族ではよくあることなんだ」
父親の言葉の意味を理解できないオリヴィアに、それでもマケラ子爵は、かまうことなく続けた。
「これから私は、本当に愛する人を娶るつもりだ。そしてその女の人とのあいだには、今年六歳になる子どもがいる。女の子だ。お前の妹になるな」
それからもマケラ子爵はなにかを語っていたが、オリヴィアの耳にはなにも入ってこなかった。
父親が母親を愛していなかったという事実が、あまりにショックだったからだ。
不仲には見えなかった。だからこそ余計、その事実がオリヴィアには衝撃で、胸が痛んだ。
オリヴィアは納得もしていなければ了承もしていなかったが、それからすぐに、マケラ子爵は愛人と隠し子を屋敷に連れてきた。
「はじめまして、オリヴィアちゃん。私の名前は、モリーよ。突然のことでびっくりさせちゃったかもしれないけど、少しずつでも仲良くしてくれたら嬉しいわ」
ふわっと笑う美しい女の人からは、圧はなにも感じなかった。ただ、それでもオリヴィアの心は無に等しかった。
モリーの後ろから、女の子がひょこっと顔を出す。グレースです。名乗ったあと、その女の子はまた女の人の後ろに隠れてしまった。
「あらあら、グレースったら。でもね、オリヴィアちゃん。この子、お姉様ができるって、あなたに会うのをとても楽しみにしていたのよ。もちろん、私も。いつかお母様って呼んでくれたら嬉しいわ」
父親が、突然やってきた愛人と隠し子の肩を抱き、微笑む。
「その通りだ。私はもちろん、モリーとグレースも、オリヴィアと家族になりたいと望んでいる。お前の母とのあいだに愛はなかったが、お前のことはきちんと愛している。それだけは信じてほしい」
そうして、心の準備などなにもできないまま、モリーとグレースとの生活が否応なしにはじまった。そもそも、嫌だと言う権利が、オリヴィアには、はじめからなかったのだ。
二人は確かに、優しく接してくれていた。虐められたことなど、まして暴力を受けたことなど、一度だってなかった。それでもどうしたって、疎外感は拭えない。
そんなときの心の支えが、デイルだった。オリヴィアの実母とデイルの母親が親友で、その縁で結ばれた、小さい頃からの婚約者。
デイルの両親──ペルソン伯爵夫妻も、オリヴィアのことをとても可愛がってくれていて、オリヴィアは早くペルソン伯爵家に嫁ぎたくてしかたなかった。
大人が思うより、子どもは聡い。父親と義母がどれだけオリヴィアとグレースを平等に愛していると装うとしても、それが嘘だと、オリヴィアはとうに、いや、はじめから察してしまっていた。
当然だろう。愛していない女の娘。愛する女の娘。どちらが愛しいかなんて、考えるまでもない。まして義母にとっては、連れ子と我が子。
その一方で、無邪気に懐いてくる義妹のグレース。愛されて当然といわんばかりの言動、行動。泣けばすぐに誰かが飛んでくる。
使用人たちも、次第にオリヴィアとグレースに優先順位をつけはじめていき、オリヴィアはすぐに、屋敷での居場所をなくしていった。




