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「──ごめん、オリヴィア」
マケラ子爵邸の応接室にて。
マケラ子爵令嬢のオリヴィアの真正面に座る、婚約者のペルソン伯爵令息のデイルが、なんの前置きもなしに、謝罪とともに、頭を下げてきた。
その声は震えていて、本当に申し訳ないと思っている気持ちだけは伝わってきたが、どうしてデイルが謝罪しているのか、オリヴィアにはまるでわからなかった。
それは脳が無意識に理解を拒んでいたからで、本当はもう、予想はついていたのだが、認めたくない思いがそうさせたのだろう。
「もう、自分の気持ちは誤魔化せない。きみにも失礼だし、正直に言うよ。ぼくは、グレースが好きなんだ」
そんなことを告げるデイルの横で、オリヴィアの義妹のグレースは涙を浮かべていた。
「……お義姉様。あたし、あたしもデイル様が好きなんです。でも、お義姉様のことも大好きだから……お義姉様が反対するなら、お義姉様が傷付くぐらいなら、あたし、デイル様のこときっぱり諦めます……っ」
この女はなぜ被害者のような面をして泣いているのか。オリヴィアはこの状況の理解を拒みながらも、頭の隅で、そんなことを思った。
「突然、こんなことを言われてお前が戸惑うのも無理はない。今すぐに結論を出さなくてもいい。お前がどうしてもデイルと別れたくないというなら、私はお前の意思を尊重しよう。私は、グレースと同じぐらい、お前を大切に思っているからな」
デイルの右隣に座るオリヴィアとグレースの父親──マケラ子爵が、恩着せがましく、そんなことを言ってきた。
「ええ。私もです。グレースと同じように、あなたのことも本当の娘のように思っているのですから。ですが、やはり、貴族といえど愛し合う者同士が結婚するのが一番良いと思いませんか?」
オリヴィアの義母であるマケラ子爵夫人が柔らかい口調で、けれど説得するように諭す。それをオリヴィアは、どこか遠くから聞いているような気がしていた。
応接室の入り口から見て左側にはオリヴィアしか座っておらず、テーブルを挟んだ右側には、父親、デイル、グレース、義母が並んで座っていた。
まるで、オリヴィアの味方は誰もいないと暗に示すように。
──これは、なに?
オリヴィアの頭はパニック状態になっていた。
使用人に、旦那様が応接室に来てほしいとのことです、と自室で伝えられたオリヴィアが応接室に向かうと、すでに全員が揃って座っていた。
並んで座る、婚約者と義妹。それを守るように両端に座る父親と義母。
嫌な予感というものは、往々にして当たってしまうもので。そうして告げられた、愛する婚約者からの、残酷な告白。
オリヴィアは到底、受け入れられなかった。信じたくなかった。だって、オリヴィアには、デイルしかいなかったから。そう思っていたから。それはデイルだって、理解してくれていると思っていたのに。
次々に涙が溢れる。これまでずっと我慢していた憎しみや哀しみが溢れ、知らずオリヴィアは「ふざけないで!」と叫んで立ち上がり、グレースを睨み付けた。
「あなたはどれだけわたしから大切なものを奪えば気がすむの?!」
半狂乱となったオリヴィア。そんな義姉の姿をはじめて見たグレースは、怯え、震えだした。
「……あ、あたし、そんなつもり」
そんなグレースを庇うように、デイルが口を開いた。
「ま、待ってくれ! ぼくが告白したとき、グレースには最初断わられたんだ。お義姉様を傷付けたくないって。でも、ぼくが諦めきれなくて……っ」
グレースを背にするデイルに、マケラ子爵やマケラ子爵夫人がオリヴィアを落ち着かせるように続く。
「いや。後押ししたのは、私たちだ。グレースとデイルの想いを聞かされて、昔の私とつい重ねてしまってね。責めるならどうか、私たちにしてくれ」
「そうなんです。もちろん、あなたには悪いと思いました。でも、愛し合う者たちが結ばれないのは、不幸なことですから……そしてあなたにも、あなたを愛してくれる人と一緒になってほしいと思ったから」
オリヴィアの感情が、ぐちゃぐちゃになっていく。この場にいる全員が敵に見えて、めちゃくちゃにしてやりたくて仕方がなかった。
この人たちは、口ではオリヴィアのことも考えていると言っている風だが、その実、一欠片も大切には思っていない。そのことに本人たちが気付いているのか、いないのか。それはオリヴィアにはわからなかったが、怒りと哀しみで、オリヴィアはそれすら、もうどうでもよかった。
「……みんな、大っ嫌い!!」
背を向け、応接室の扉に向かうオリヴィアの腕を、グレースが立ち上がり、慌ててつかんだ。
「お義姉様、ごめんなさい……やっぱりあたし、デイル様の告白を受けるのやめます……だから!」
すべてがかんに障る、悲劇のヒロインのような義妹振る舞いに、オリヴィアの怒りが更に増した。
「うるさい! 離して!」
思いの外強い力で掴まれた腕を振り回し、オリヴィアが無理やりグレースの手を振りほどく。その反動で、オリヴィアは後ろに倒れた。
運悪く、そこには棚があり、オリヴィアの後頭部が、ガッ、と音を立てて棚の端に打つかった。
鈍い音に、全員の目が大きく見開かれた。
どさっ。
オリヴィアの身体が、仰向きに倒れる。しばらくは誰も動けず、時が止まったようだった。
「……ひっ」
グレースが、小さく悲鳴を上げた。倒れたオリヴィアの頭付近の絨毯が、血で染まりはじめたからだ。
「……あ、あたしっ」
ガタガタと震え出したグレースに、デイルたちが駆け寄る。
「これは事故だ! グレースのせいじゃない!」
デイルがグレースの肩を抱き、必死に説得する。
「……でも、でもっ」
それでも小刻みに震えだしたグレースを、マケラ子爵夫人が優しく抱き締めた。
「そうよ! あなたはなにも悪くないわ!」
マケラ子爵が「……そうだ。気に病む必要はない」と、ゆっくり、グレースに声をかける。
誰がどうみても、いま気にしなければならないのは、血を流して倒れているオリヴィアだ。事実、控えていた使用人たちは三人の行動に唖然とし、立ち尽くしている。
そう。三人と同じように、オリヴィアよりグレースを優先していた使用人たちでさえ、これはおかしいと認識していたのだ。
しかし動けないオリヴィアは、こう思ってしまった。
──ああ、やっぱりと。
本当は、わかっていた。この人たちに、わたしはちっとも愛されていないこと。それでも怖かったから。信じたかったから、気付かないふりをしていた。
でも、命すら危ういオリヴィアより、その原因をつくったグレースの心を心配する三人の姿に、現実に、もう誤魔化しはきかなかった。哀しみが全身を巡り、つうっと、頬に涙が伝う。
グレースを囲む三人。最後にオリヴィアが見た光景は、それだった。目を開けていられず、オリヴィアのまぶたが閉じていく。それでもまだ、意識はあった。
目を閉じたオリヴィアにはっとしたグレースが「……お父様! 早く、お、お医者様を!」と、叫んだ。
しかし。
マケラ子爵は、しばし無言で考える素振りを見せたあと「……いや。このまま逝かせてあげた方が、オリヴィアのためかもしれん」と、とんでもないことを告げた。
ギョッとする使用人たち。けれどマケラ子爵夫人は「……そうですね」と、信じられないことに、その考えに同調した。
「この子は、本当にデイルを愛していましたから。グレースと結ばれることに、きっと耐えられないでしょう。なら、いっそ……」
マケラ子爵夫人がすすり泣く。そんな、とグレースがまた泣く。この人たちはいったい、なにに哀しみ、泣いているのか。オリヴィアにはまるで理解できなかった。
「ごめん、オリヴィア……ごめんなっっ」
続いて、嗚咽するデイルの声が聞こえた。ああ、見捨てられたんだ。こんなに簡単に。必死に縋ってきた結果がこれなんだと、オリヴィアは絶望した。
この人たちにとって、自分の命はなんて軽いものだったのだろう。もしかしたら、ずっと死を望まれてきたのかもしれないとすら思えるほど、涙を流して哀しむふりをする四人が悪魔に思えた。
──やがて。
オリヴィアの意識が、深い闇に沈むように、ふっと途絶えた。




