不思議が重なる
僕は驚きのあまり声が出なかった。
「そんなに怖がらないで」
怯えた僕を見かねて、女の子は優しい声で言った。
「あの……僕、道に迷ってて、それで、帰りたいんです」
僕の声は震えていた。
「帰ることはできないわ。貴方の願いを叶えるまではね」
急に言われても――でも、どうしてだろう。意味が分からなくて、怖くて、不安なのに、どこか落ち着いていて、どこか懐かしい――そんな気がした。
「僕に願いなんて無いよ。もう帰りたいよ。外も暗いし……あ、これが今の願いだよ。早く帰りたい」
「ふふ、確かにそれは願いだけど、そうじゃないの。貴方の心の奥深くにある。願い」
女の子はにっこりとほほ笑んでいる。僕はその笑顔を見て、冷静を取り戻した。
「急に言われても良くわからないよ」
「そうよね……とりあえず、この館について説明しましょうか。というより、実際に見てもらった方が早いわ」
女の子はそういうと、手招きして、目の前の大部屋に入っていった。女の子と言っても、僕よりも背が高くて、たぶん年上だろうな。赤いリボンをつけているから、リボンさん、とでも言おうか。
この館の構造は玄関から入ると、左右に長い廊下が続いている。正面には大部屋があり、その大部屋には無数のドアついていた。この大部屋のドアの先は小部屋につながっているのか?
この大部屋はとても綺麗だった。大きな空間にドアがびっしりと付いていて、珍しい構造だけど、どこか落ち着きのある部屋で、木の机や椅子、ランタン、観葉植物などちゃんと手入れされている。リボンさんがやっているのだろうか。
リボンさんの後を追うように大部屋のドアの1つをくぐった。入った先は、埃っぽくて、熱がこもった部屋だった。色々な物が置いてある。ここは物置だろうか。
「なんだか、さっきとだいぶ雰囲気が違う場所ですね」
「そうだね。ここは全く別の場所だから……そこのドアから外に出てみなよ」
リボンさんは金属で出来たドアを指さした。
「外? そのドアの先はまだ館の中ですよね?」
「いいから」
リボンさんは僕の背中を優しく押した。建付けの悪いドアで開けにくかったけど、力を入れて、思いっきり押すと勢いよく開いた。
目の前には運動場があった。運動場の向こう側には学校と思われる建物もある。
「え……どういう事?」
僕は目の前の光景に脳が追いつかなかった。でも、よくよく考えると館が出てきた時点でおかしいことに気が付き、冷静を取り戻した。
「館の扉は色々な場所に繋がっているの。扉ごとに行ける場所が決まってて、今回は運動場の倉庫みたいね」
「場所を移動して何の意味があるの?」
「後々わかるよ……とりあえず、ここを探索してみるといいよ。帰りたくなったら、さっき入ってきた扉に戻ればいいから」
リボンさんは倉庫の中を指さした。よく見ると、透明なドアがあった。ドアの向こう側は透けて見えるのに、そこにドアがあることがなぜかわかる。
「これは他の人には見えないの?」
「もちろん」
僕はこの不思議な出来事を強引に受け入れつつ、この辺を探索してみることにした。
運動場の階段を登って、校舎の方へ行くと、制服を着た生徒が学校へ入っていく姿が見えた。見つかるのがまずいと思い、僕は咄嗟に木の後ろへ隠れた。珍しいことに、男子生徒たちは皆、制帽を被っていた。
「初めて見たよ。制帽のある学校ってまだあったんだ」
「まあ、こんな感じで色々と行ってみるといいよ。私は館に戻る」
リボンさんは僕が言葉を発する前に、音もなくその場から消えた。
「いったいあの人は何者なんだろう」
今更驚きはしなかった。
僕はこの学校が気になり、他の人にバレないように、校舎をぐるっと一周回ることにした。この学校は古くて、なんだかのっぺりしている。早速、授業のあっている教室を見つけた。そーっと覗くと、先生と思われる人がチョークで黒板に文字を書いている。生徒たちを見ると、ほとんどが男子生徒で、それも皆坊主だった。僕は不思議に思ったけど、こういう学校もあるのかと納得した。
それにしても、ここの空気は綺麗だな。自然が豊かだ。
ここに来てから2時間が経った。だいぶ日が落ちてきて、生徒たちは部活を始めた。そういえば、館に来たときはもう暗くなっていたのに、どうしてまた日が落ちているのか? 時間まで違うのだろうか――
そもそもここに来た意味は何だろう? 何のために僕はここに連れてこられたのか分からない。リボンさんは何者なんだろうか。
運動場の隅の草が生い茂っているところで呆然と考えていると、後ろから足音が聞こえてきた。しまった。このままでは気づかれてしまう。移動しようとしたけど、もう遅かった。後ろから来た人は僕の真横に来ていた。
だけど、その人はそのまま階段を降りて行った。僕に気づいていないのか。それとも、気付いたけど何もしなかったか――
どちらにしても、気付かれたところで特になにも起こらないのかもしれない。この場所の情報を得るために、聞いてみようか。そもそもここがどこかすらわかっていないし。
「あの、すみません」
聞こえていないのか?
「すいません!」
だめだ。無視をしているようには見えないし、もしかして僕の声が聞こえていないのか? 姿も見えていないのかもしれない。試しに目の前に立ってみるか。これで違かったら恥ずかしいけどやってみよう。
僕はさっきの人の目の前に走っていった。
「すいませーん」
まるで僕がいないかのように、そのまま行ってしまった。やっぱりだ。僕のことが見えていない。どういう原理なんだ?
まあ、これなら都合がいい。人に見つかること無く、どこにでも行ける。いつでも元の場所に戻れるなら、いい暇つぶしになるな。
僕は野球をしている生徒たちの近くまで行って、ずっと見ていた。見るからに厳しい練習だ。皆、大量の汗をかいているし、今日は暑いから体力の消耗も激しいだろう。それに、顧問と思われる大人の人は生徒がミスをすると蹴ったり、殴ったりしている。なんてひどい奴だ。訴えれば絶対にやめさせられるだろう。でも、僕にはどうすることもできなかった。
特に一番酷い仕打ちを受けていたのは、小柄な男子生徒だった。ミスする度に蹴られては、走らされて、休憩もない。あまりにもムカついて、顧問を殴ってみたけど、まるで硬いカーボン製の板を叩いたかのように拳がはじき返された。人には干渉できないのか。物はある程度は動かすことはできるけど、人には何もできないようだ。そもそもここは現実じゃないのか?
それにしても、あの監督、本当にムカつくな。何とかできないのか。
あの生徒が心配だ。そうだ。証拠写真を撮っておこう。写真を撮ったところで人に見せることが出来ないかもしれないけど――僕は後ろポケットからスマホを取り出し、電源ボタンを押した。でも、スマホの電源は点かなかった。充電はあったはずなのに――まあ、不思議なことは今に始まったことではない。少年が心配なので、僕は部活が終わった後に少年の元に行くことにした。部活は8時まであった。こんな時間まであるとは――未だにこんな最低なことをしている所があるのか。
終わった頃には、もう真っ暗になる寸前だった。野球部員は部室に戻って着替えていた。不思議なことに、その野球部員たちはなぜか笑顔だった。Mなのだろうか?
ただ、上下関係は厳しいのか、後輩は先輩に対して敬語で、常にペコペコとしていた。でも、よく見てみると、先輩たちは怖そうだが、愛がある――ような気もする。
そうだ、さっきの少年大丈夫か? だいぶきつそうだったけど。
多くの部員が部屋から出て行って、最後に少年が出てきた。見た感じは大丈夫そうだ。
「あれ……君まだいたの?」
え、僕に話しかけたのか? いや、そんなはずは――
「今日、ずっと見学してたよね? 監督に言った方が良かったかな?」
やっぱり、僕が見えてるんだ。
「いえ、ちょっと気になって見ていただけで、入りたいとかそういうわけでは」
少年はニコっと笑った。
「そうなんだ。君も野球が好きなんだね」
「まあ、そうかもしれませんね」
少年の練習着は黒ずんでいて、ボロボロだった。相当使い込んでいるに違いない。
「君、何歳? もうこんな時間だけど、迎えは来るのかな?」
少年は僕の人生で見た中で、一番優しい顔をした。こんなに暖かくて優しい顔は見たことがない。
「はい、家が近いので大丈夫です」
「そっか、またいつでも見に来ていいよ。じゃ、気を付けて」
そう言うと、手をパタパタ振って、校門の方へ歩いて行ってしまった。
もう暗いので、僕も館に戻ることにした。




