113話
『兄上!?聖王妃様!?一体何が……!!』
彼の弟や数名の部下が、突然発光しだした宮に異変を感じたのか駆けつけていた。
入り口から凝視しているが、それ以上はこちらへ踏み込めないようだった。
一歩でも踏み出せば逃げる間もなく、聖王の魔法で身体を焼かれてしまうからだ。
エゼルトは黙って私の顔を見つめている。
私の魔力に反応して、足元にシオルが用意してくれていた白い石棺が姿を現した。
『僕の愛しい女神、次は?』
大好きな番が、この世でたった一つしかない魂の番が、目の前で優しく微笑んだ。
この中で一緒に寝ましょう?
その時がくるまで――
彼は嬉しそうに私を抱きかかえたまま、一度石棺に座ると、私を大事に抱え直して抱きしめた。
そしてゆっくりと横になると、私の頭を何度も撫でた。
『僕の運命、唯一の伴侶は君だけだ』
――!!
涙が溢れて止まらなかった。
なぜ、それを今言うの?
エゼルトは私が帝国に拉致された時、魔族に対抗する力を得るため禁忌を犯していた。
エゼルト?
見上げるように愛しい人の名を呼んだ。
そして。
あなた……、魔族を
――食べたわね?
私の言葉に、入り口で様子を伺っている者たちから悲鳴が聞こえた。
だが、当のエゼルトは全く意に介していない――
『力が必要だった。僕の女神を奪われてしまったからね。相応の代償だよ』
そう言っていつものように優しく微笑んだ。
《――禁忌異形》
本来なら彼を滅せなければいけない。
しかし私は、私の番であるという理由だけで、創造主の意に背くと決めていた。
魔力を石棺内に充満させてゆく。
代わりに、エゼルトの魔力が魔方陣へと流れ込んでいった。
彼は少しだけ不思議そうに、周囲の光の点滅を眺めていた。
ふと逆鱗に鋭い痛みが走った。
――っつ
『女神?』
番狂いの呪いが進んでしまった。
首の後ろ、逆鱗が激しく浸食を始めていた。
『女神?どうした?』
エゼルトの胸の上で、必死に何かを抑え込もうとしている私に気づき、彼が背中を撫でようとした瞬間。
抑えきれない。
私の逆鱗から、幾筋もの鋭利な竜水晶が四方に飛び出した。
ごふッ
それは私の首を突き破り、エゼルトの胸にまで食い込んだ。
『女神!!』
エゼルトの慌てた声に、彼はまだ大丈夫だと知る。
力を振り絞って、シオルの言っていた魔方陣を魔力で書き換える。
――私の愛しい人を守るためには、結界を発動し永遠に生きてもらうしかない――それしかない。
禁忌をおかした人間の末路は、創造主による魂の消滅なのだ。
生まれ変わっても、再び会うことは永遠に叶わない。
エゼルトの魔力が循環して、渦を巻きながら天井まで到達し、そのまま天高く伸びていった。
その魔力に乗せるように、私の意識を飛ばす。
広くドーム状に土地を覆うのを確認すると、癒しの力の中でも神聖力を持つ乙女を探し始めた。
定期的に石棺にその力を流し、逆行魔法を発動させるために――
◇◇◇
「聖王は、聖王妃に近づく者を許さなかった」
セラフィオンが窓から空を見つめた。
「……その亡骸も誰にも渡さず、聖王エゼルトは妃を抱いたまま仮死状態となった。聖王妃のご遺体は結晶化が進み、最終的に昇華してしまったという」
棺の中で、聖王は一人眠り続けた。
そして件の王女は、その聖王を利用しようとした。
「魔族を食べ、あり得ない力をその身に宿した聖王じゃ。操られてしまっていたら、とんでもないことになっていたであろう」
セラフィオンがゆっくりと私を見つめた。
「勇者殿、結界装置が壊れてしまった以上、聖王は自ずと目覚める可能性がある。その時は――」
エリシアが私の右手をそっと握り締めた。
「聖王エゼルトを倒して欲しいのじゃ」
教皇と聖女のみ代々引き継がれてきた、聖王の姿。
それは、とても人間とは思えない狂気の塊。
聖王妃――彼を止められる女神は、もういないのだ。
「お話は分かりました。ただ……」
少しだけ、言いよどむ。
「ナギ?」
隣のエリシアが心配げにこちらを見ている。
「対話できるのであれば、彼の話も聞いてみたい」
私の言葉に教皇が少しだけ、目を見開いた。
「それからでも、遅くはないでしょう?」
周囲を見渡しながら、最後にシオルに視線を移す。
彼はずっと厳しい表情のままだった――
聖王国は2000年以上続いていた、防護の結界装置をこの日失った。
◇◇◇
愛しい――愛しい
僕の女神。
オルフェーリア。
僕が産まれた時から彼女は側にいて、誕生日を迎える度に祝福を授けてくれた。
輝く真っ白な肌に、たおやかに靡く白金色の長い髪。
若葉の色を思わせる、朝露の光のような瞳。
ひそやかに艶を帯びた唇が僕の名前を紡ぐ。
あまりに美しい女神の姿に。
心を奪われない人など絶対にいないだろう。
ただ。
10歳の僕は彼女からの求婚を断ってしまった。
恥ずかしかったのもある。
だがそれ以上に、彼女に相応しい自分になった時に、自ら彼女に求婚をしたかった。
『あなたは僕にとって、母親や姉のような存在なんだ』
そう言って誤魔化したけれど。
たった数日後に、この世の終わりだと思えるほど後悔することになる。
隣国からの同盟による婚約。
あからさまに女神の力をあてにしていた。その明け透けな態度に怒りがこみ上げて仕方がなかった。
女神は渡さない。
絶対に誰にも。
『黄色の花冠が再び会う合図だ』
『あなたは待っていて。それまで僕を』
――激しい戦争が続く日々の中。
女神との約束だけが希望の光だった。
オルフェーリアに会いたい。
もうすぐ。
もう少ししたら。
それなのに彼女は現れた。
僕だけの美しい姿を、自軍だけでなく敵国の前にさらけ出して。
軽く手を振るだけで、いとも簡単に敵を殲滅していった。
『どうして』
約束の花冠はまだなのに。
僕の口の動きを見た彼女が、怪訝な顔をした。
何かの悪意が彼女を嵌めた――。
おそらく王宮にいる誰か。
地上に降りた彼女に近づく。
『オルフェーリア』
振り返らない彼女を背後から抱きしめると、女神が静かに泣いているようだった。
夥しい動かない敵兵を目の前に、そこだけ祈りのような静けさがあった。
宝石のような涙がこぼれるたび、頬を伝う雫が、彼女の美しさを更に際立たせていた。
戦場の中に降り立った女神に、全員が見惚れていた。
見せたくなかった。
誰にも。
自分だけのオルフェーリアなのに――
『――なぜ、勝手に来た?』
思わず彼女を責めるような言葉を、吐きだしてしまっていた。
その言葉を聞いた彼女がどう思うか――
考えもせずに。
◇◇◇
「オルフェーリア……」
自分を縛り付けていた魔術が消えた。
同時に自分を包んでいた愛しい妻の魔力も消えていた。
僕はゆっくりと目を開く。




