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服にこびりついた泥

 魔王として、悪魔としての力を存分に振るうミコト。対しては、かつてミコトたち四人を屠ったあの「神様」だった……筈だ。


「がはっ……あっ……」


 無意識的に『容赦』や『情け』をかけていた彼女がそのリミッターを外した暁には呆気ないもの。


「なんで……」


 肉の裂ける音が耳をつんざく。

 今となっては耳に慣れてしまった音がして肉が弾けて潰れ、刳れる。


「そんな……っ!な、んで……」

「ーーーー!」


 私がミコトに体を預けてから、こんなことは初めてだ。

 まるで制御が効かない。

 耳がキンとする音、人間の言語も捨て去った今のミコトはまさに壊れた暴走機関車そのもの。


 目に映るものを見たまま、力任せで思いのまま破壊する怪物だ。


『あぁぁ、このお姉様が戻ってきたって感じぃ……本当、惚れ惚れしちゃう』 


 魔物本来、魔王の血筋を引く彼女はこうも悍ましい。

 私は、ミコトのことを思っていたより全然知らなかったのだなと痛感する。

 

「…………」


 もはや人としての原型を留めない、脈を打つだけの肉塊へと変わり果てている。

 ミコトも大概だが、神日のほうも十分に生き物の常識を超えてしまっていた。


「ーーー!」


 対して一方的に殴られるだけの神日だった肉塊は、そのまま身体を揺り動かし触手のように伸ばしてくる。

 ミコトはその全てを威圧だけでかき消すが、向こうの持ち出す触手の量も際限がない。


『やっぱ、再生力半端じゃないね』


 剣もかなりの耐久性を持っていた。

 真っ向から倒すことは無理と分かりつつも今さらそんな理論が今のミコトの頭に入っていると思えない。


 一方的に攻撃し続けるこちらと、受ける側。このまま永遠に続くのではないかと思い始めてからどれくらいたったろうか。


「がぁっ!」


 ミコトが歯を立てる。


 黒い血飛沫が舞って、喰らいついた肉をむしり、爪で破いては放り捨てていく。

 いくら生えていこうが関係ない。


「あっ……あぁ……やめろ、やめろ! 喰われてく……僕が……!」


 やめろという命乞いもどこ吹く風。

 ミコトは雄叫びを上げながらも喰らい尽していく。

 

「はぁ……はぁ……こんだけやればいいでしょ」


 それが、いきなりピタリと止まった。


 かと思えば、突然瘴気がより濃くなっていく。 流石に、ミコトたちももうガス欠のようだ。私ももう交代できないほど疲れて膝を折った。 


『ハハハハハッ!』


 この場を支配するような笑い声がけたたましく轟いた。

 空気が段々と重苦しく、息を吸うのも難しくなるような瘴気に咽そうになったのは何も私達だけでない。


「あ……あ……」


 神日たちもまた、目の前の現象が信じられないといった様子で動きが止まっている。

 その瘴気の正体が、ミコトの行動の理由私にも、段々と分かってきた。


「くっ……!」


 私は思いっきり手を伸ばした。

 もう、こうなればどこまでだって行ってやるつもりだ。

 

「がっ……あっ……」


 これで四体目。

 ドクンッ。と心臓が高鳴って一瞬だけ自分が自分でなくなる感覚は慣れないもので、もうこれっきりにして欲しいものだ。

 

 私の体が徐々に変異していく。

 人ならざるものの姿へ。

 そして、私の喉の奥から私の意思と反して詞が飛び出す……





「ハハハハハッ……素晴らしい! 十年ぶりの身体だ、このままどこまでも飛んで行けてしまいそうだよ」




 白い布切れとベルト……拘束衣に包まれた

ミコトよりもずっと高い、2m近くはありそうな背丈の女性だった。


 にも関わらずそれよりもずっと長い黒髪は何十mあるのか。

 その一本一本に意思がやどり、神経が巡っているかのように動き、生き物のようだ。


「あれが……」

「なんだいこれは……あんな物が僕の中にいたって……言うのか……!?」


『クロナ!』

『クロ姉様……』

『クロ姉久し振り!』


「やぁ、姉上。妹たち」

「久し振りだねぇ」


「ううううっ……なんで……」

「なんでなんでなんでなんでなんでなんで!」


 再開を喜ぶ暇もなく、神日はまるで駄々をこねる子供みたく触手を振り回し地面をえぐり出した。


「なんだよなんだよなんだよ……どうしていつも悪魔は僕の邪魔をするんだ!」

「悪魔なんて元々人に仇なす物だろう?」 

「黙れよ! お前たちさえ、お前たちさえ居なければ全部うまく行ってたんだ!」


 豹変した彼の言葉はもう聞くに耐えず、どこまでも惨めだった。


「もういいよ、僕個人は君になんの恨みも執着もない」


 髪の毛は脈を打ち、クロナの意思に呼応するように蠢いている。


「この怪物への対処は簡単だ」


 クロナは、解放されたことにより自動で拘束衣のベルト一つ一つを引き剥がしていく。


「細胞の一片残すことなく圧縮してしまえばいい。姉上、レベル3まで解除して欲しい」

『2でいいでしょ』

「フフ、暫く見ぬ間に喰えなくなったものだねぇ」


 クロナは神日の肉体を引き絞る。


「あっ……が……あ」

「ま、いいだろう」


 雑巾でも絞るかのごとくネジ曲がった肉体は身体の一変も残すことなく、前衛的なアートへと仕立て上げ、ネジ切れて行った。


「ヤ……ガ……」


「僕は動けないなりに君の中で、ずっとこの生物の解析を続けてたんだ」

「神話生物というのはどうも訳のわからない体の構造をしてて面倒だったけど」

「こうなっちゃえば呆気ない物だねぇ」


『うわぁ、えげつない』


 長かった戦いも、終わる時は存外呆気ないものだった。と言うより、私は何もしてなかったのに。


 神日だったそれは、手足がもがれて川も剥がれて、声だけでどうにか神日だとやっと認識できるくらいだ。

 

「ハハッ……ハァ……ハァ……」

「なんで……」


 あんなになってもまだ自分の境遇が、末路が信じられないといった様子だ。


「神日……」


 最初、あんなに怒っていた彼に対して郷愁の思いを馳せたのは土夜さんだった。


 無理もない。

 彼とは私が初めて会ったときは、普通の親友同士だったから。


「なぁ、ひょっとして俺がどこかで気づいてやれたら……」

「アマテさん! どこにいるの……あぁ……もう目が見えないんだ……」


 そんな彼の哀愁も踏みつぶすみたく私の名前を呼び続ける。

 私は心底ゾッとした。


 彼の抱える絶望と闇はどれほどのものなのか。それは「神様」によって引き出されたものなのか。

 それとも生来抱えていたものなのか。


 私には分からない。


「もういいから、お願い」


 けど、私が彼にかけてやれる言葉があるとしたら、一つしかなかった。


「貴方が私を好いてるんだったら、これ以上私に私を嫌いにさせないでくれない?」


 もう何でもいいからさっさと死んでくれ。

 本音を言うとその一言に尽きるが、その言葉を出させるのは最後の良心が咎めた。


 人の死に目にこんなことを考えている自分がいることが恐ろしくて堪らなかった。

 もうこんなモヤモヤした気持ちでいるのもウンザリで、吐き気がする。


「本当、あの日ほど自分の行動を後悔した日はないと思ってる」

「私は貴方が思うような英雄でも何でもない、ただの人間なの」


「明日も、明後日も。私は生きていたいし死にたくもないし、これ以上貴方みたいなのに何もくれてやりたくないから頑張った。それだけ」


 呪いっていうのは布にこびり付いた泥みたいな物だ。洗っても洗っても、ちっとも落ちやしない。

 

「いつまでも私にこびりつくな!」


 その布ごと切り取って処分するしか消す方法がないように。


『ハハッ。お姉さん言うようになったね』


「ハァ……ハァ……手厳しいなぁ……」


 もう、息をしているのもやっとだろう。


『大丈夫? 油断させて飛びかかってきたりとかしない?』

『いや。これはもう放っておけば死ぬね』


 後ろから機関銃を構えた菱輝さんが楽にしてやるかと構えたが、大丈夫と降ろさせる。


「いい、大丈夫」


 放っておいても長くはない。

 それにどうせ、こんなになっても機関銃撃ったくらいで死んではくれないのだろうという嫌な確信があった。

 

「ねぇ、最後に一つ聞かせて」


「音黒さんを殺した時、どんな気持ちだったの?」

「彼女、貴方のこと好きだって」

「優しくて頼りにな」


 私の言いかけた言葉を遮って、彼はあっさりと吐き捨てた。



「あんまり感じなかったよ」



「僕が君たちの知らない所で何人殺したと思っているの。音黒さんだっけ。あぁ、今言われるまで忘れてたよ」


 ちょっとだけ、期待してたと思う。

 心のどこかで私たちとの出会いが嘘でないと信じさせてくれるのでないかって。


 でも、これでもうなんの未練もない。


「さようなら、神日さん」


 私はそのまま彼をその場へ捨て置くつもりだった。


 だが、それを許さない何者か。

 神日の首にどこからともなく、触手が伸び、すっぽりと顔全体を覆面のように覆う。

 

「かっ……!」


 言い終わるより早く、元より捻れて緩みかけていた首はぐるりとゼンマイでも回すくらい軽く捻れていった。


 首から上をなくした身体が力なく落ちる。

 これだけの惨劇だというのに、血は一滴も溢れることなく、骨が砕けるような音もなかった。


「おいおい……あれって」


 神日の首を奪った触手は後方へ下がっていく。その先にあったものは、筆舌尽くしがたい何かだった。


「悪いけど、計画は俺が継ぐよ」

「剣……!」


 一緒にまとめて潰れたものとばかり思っていた。


「ハハッ……俺は疑り深くてさ」


 その正体を示すように、引き千切った神日の首を無理やり粘土をくっつけるかというくらい重ね合わせた。


「まだ終わらせねぇ……終わらせてやるかよこんな凄いことをよ!」


 バラバラの肉片となって、もはや人間と呼ぶにはあまりにも冒涜的な喋るだけの血肉色をしたただの怪物が剣の声を真似て使って喋っているにも等しい。


「なんだ、まだ生きてたのか……あっ……ぐ……」


 ミコトが全力を出し切ったことと、クロナに魔力を持っていかれたせいで私の身体に限界がくる。

 

「あっ……ハァ……ハァ」


 今、飛びかかれば倒せる。

 なのに、心臓がバクバクと言って息が苦しい。長いこと潜水して浮上したみたく、息が続いていない。


『おやおやっ……人間は脆いと聞いてたが、想定以上だなこれは……』


 声を出せない。膝が立ち方を忘れてしまったみたいに弛緩して動けない。


「あんた、まだこんなこと続ける気かよ!」


 土夜くんが声を荒げて叫ぶ。

 もはや、こんなになってまで成し遂げたいことかと。


「てめぇにもう興味はねぇんだよ!」

「こんな世界、消し飛ばすことだけは辞めさせてやるものか……俺は一々回りくどい真似はしねぇ……一気に……一気……に」


 地団駄を踏む子供みたいに周囲を手当り次第吹き飛ばし粉塵を撒き散らす剣と有彩ちゃんはいつの間にかいなくなっていた。


「……消えた」


 もう少し、この吐く物もなくなってきそうな胸の悪くなる話が続きそうだ。


「うっ……なんだこれ……」


 突然、生ゴミやヘドロを混ぜたような腐臭放つ首を失った身体は、まるで風船の空気が抜けた見たくペラペラになって萎み、やがて原型を留めなくなって服も残ることなく黒い塵となって消えた。




「……神日」

『神日と言う人間自体は消滅したようだねぇ、今の剣と言う人間はあの邪神の核だけ持って逃げたようだ』


 一度に色んなことがありすぎて混乱していたが、とうとうミコトたちの元にクロナが戻ってきたのだ。


『クロ姉様、めっちゃ久しぶりだよね』

『あ、クロ姉久しぶり』

『あぁ。久しぶり、妹たち』


 こうして聞くと、仲睦まじい姉妹と言った雰囲気にも思える。


「うぉ。なんか俺たちにも声が聞こえる」

『どうやら四人揃ったことでだいぶ魔力も溜まりやすくなってきた、私たちの声も外まで漏れるようになったようだねぇ』

『フフッ、まだまだなんかやれそうだよ』


『やれやれ、久々に会ったと思えば随分面倒な手合にまきこまれてるじゃないかぁ姉上』

『……まぁね』


 ただ、せっかく戻ってきたと言うのに当のミコトの表情はどことなく優れない。


『フフ。魔界の高等悪魔がよもや人間に追従するとは、これもまた面白いかもねぇ』


『ま。これも姉上の血の半分が人間だからこれもなにかの縁かね』

「え!?」

『は?』

『マジで……?』


 私達が知らないのは当然として、驚いたのはシオンとレイラもだ。


『ちょっと……クロナ!』

『いいじゃあないか、いつまでも隠すようなことでもあるまいて』


 なんだか、今後。また恐ろしいことになりそうだという一抹の不安がよぎるのだった。


 



 



 

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