男の恋の行方
捨て子だった私は自国の間者に拾われ、なるべくして間者となった。
数人の部下と隣国の動向を探るために国境を渡ったのは二年前だった。
部下たちは商人や漁師など様々な職につき、私は万屋として働きながら、閉鎖的な隣国の動きを探っていた。
ある日部下のうちの一人が城勤めの女官と恋仲になったと報告された。
城の守りは何処も厳重なため、城勤めのものと恋仲になって怪しまれずに城の中の情報を得るという手段は間者の間では普通のことだった。
よほど口が軽いのかその女官からは多くの情報を得ることが出来た。
今までの獲物の中で一番口が軽いと部下は嘲笑っていた。
町民と間者の顔を使い分けて生活していたある日のこと、私は一人の女性と出会った。
容姿は優れているという訳でもなく、平凡ながら身についた教養の高さが内面から溢れている女性だった。
調べた所、偶然にもその女性は城勤めの女官だった。
間者として部下の誰かと恋仲になってもらうべきだろうと考える一方で、心の何処かでそれを否定する自分がいた。
彼女を利用するつもりがないのであればもう会わないほうがいいのだろうとわかっていても、彼女と会えたときの胸のざわめきは止めることが出来なかった。
初恋だったのだと思う。
幼いころから間者として、人を騙し、女を騙し、他国を騙す生き方をしていた私が初めて感じた感情だった。
自覚したと同時に止めることができなかった。
部下たちには女官と恋仲になり、情報を得るためだと思い込ませ、その裏ではどのようにすれば彼女と添い遂げられるのかと模索をしていた。
彼女の為に、国を裏切る覚悟さえあった。
ただ、彼女との逢瀬には十分気を使った。
彼女が間者と通じていると思われないように、人目を避けて逢瀬を重ねた。
将来は静かな場所で暮らしたい。
子どももたくさん欲しい。
そんな未来に思いを馳せては、彼女に語り、嬉しそうに将来を話す彼女の笑みに見とれていた。
彼女と恋仲になって一年程した時、国から撤退命令が出た。
必要な情報は手に入ったということでの命令だった。
撤退命令が出たからと言って、すぐに国へ帰ることはしない。
勤めているものもいる中、全てを放り出してすぐに国へ帰ってしまえばかえって怪しまれることになるからだ。
その時には秘密裏に行っていた自国を捨てる為の準備も終わりに近づいていた。
他の部下たちは私の様子に微塵も疑問を感じていなかったが、一人の女の部下の視線が気になった。
少し疑いを持っているような視線に気がついた私はより慎重にことを進めるようにした。
一人の部下は恋仲になって情報をもらっていた女官との別れをすでに済ませていた。
やっと開放されたと喜んで酒を口にしていたので、よほど疲れる相手だったのだろう。
私も彼女との逢瀬の為に、夜の町に出た。
彼女の主である姫の輿入れの忙しくなりため、しばらく会えなくなる。
明日からしばらく会えなくなると思えば、妙に切ない気分となった。
けれど、それだけの時間があればこちらの準備も終わるだろうと思えば、気持ちは浮上した。
待ち合わせ場所の宿の一室足を踏み入れて、眉をひそめた。
夜も更けているのに、明かりが灯されておらず、また彼女の気配を感じなかったからだ。
怪訝に思いながら周囲を探って、すぐに口元が緩んだ。
縁側を覗けば彼女が座っていた。
「遅くなってすまなかった。今夜は冷え込む。中に入ろう」
そういって彼女を部屋の中へと誘い、明かりをつけようと手を伸ばした所で、彼女の華奢な手に止められた。
「最近忙しくて、あまり眠れてないの。酷い顔をしているから見られたくないわ」
私は気にしないと言ったのだが、それでも女性は気にするのかもしれない。
彼女に横になるように勧めたが、それも大丈夫だと言われた。
彼女の肩を抱き、労わるように体を擦るとほっとしたように息をついた気配を感じた。
いつものようにぽつりぽつりと話をしながら、時間が過ぎていく。
お互いに言葉は多くないが、それでも私はこの逢瀬に不満を持ったことはない。
愛しい人の側にいれる。
それだけでいいのだから。
残酷に時間が過ぎていく。
あまり長居すれば彼女の不在が城のものにばれてしまう。
後ろ髪引かれる思いで彼女と別れを告げて、部屋を出た。
振り返れば彼女を抱きしめて離したくなくなることがわかっていたので、私はまっすぐ前だけを見つめて町へと出た。
次の逢瀬のときに、彼女に結婚の話をしよう。
そして、静かな場所に建つ家で暮らし、彼女も望んだ通り子どもも多く設けるのだ。
出来れば男女同じように生まれてくれたら嬉しい。
将来のことに思いを馳せながら、家路へと急いだ。
私を待っていたのは部下のしでかした大失態だった。
国からは撤退命令が出ていたはずなのに、部下の一人が何を思ったか城へと忍び込み、国主の暗殺を謀ったというのだ。
それだけならまだしも、城のものに気づかれ、かつがつ逃げ帰ったとのことだった
すぐに状況把握の為、部下たちに指示を出した。
暗殺を謀った部下を拘束し、牢代わりにもなる部屋へと閉じ込めた。
その部下は私の行動を怪しんでいた女の部下だった。
国にいる上司に指示を仰いだところ、連れて帰れとの命令があった為、部下を引き連れて国へと帰還することとなった。
女には猿轡をさせ、その日のうちに国へと帰還した。
女を上司へと引渡し、私は秘密裏にすぐに隣国へと向かった。
女を捕らえてすぐ、他の部下に尋問せよと命令をしていたのだが、どれだけ痛めつけても私でなければ何も話さないと頑なだった為、私が直接尋問することとなったのだ。
捕らえてある部屋に入り、女に尋問してその目的を知った時、私は憎悪に飲み込まれそうになった。
曰く、隊長をお慕いしていた。あの女に惚れていることは同じ女としてわかっていた。私が忍び込めばあの女が疑われて罰せられると思ったから。だから痕跡を残すように人目につき、隠れ道をつかったのだと。
雄弁にどれだけ自分のほうが優れているか、どれだけ自分のほうが隊長を思っているか述べる女が不快で、女の舌を切り落とした。
女を喋れないようにし、上司へは少し偽りの報告をした。
予定よりは早くなってしまったが、彼女を連れてすぐに逃げよう。
そう思い、隣国へと急いだ私を待っていたのは最悪の事態だった。
震える足を必死で動かして、処刑場へと向かう。
その場には一組の老夫婦が泣き叫ぶ声がこだましていた。
そのほかの人たちは恐怖に顔を歪めて、足早にその場を去っていく。
私が彼女の目の前に来たときにはもう一組の夫婦しか残っていなかった。
「何故」
出会いは本当に偶然だった。
嬉しそうに笑う顔も、疲れたようにため息をつく姿も、悲しさのあまり涙を流す顔も全てが愛おしかった。
手を伸ばせば簡単に彼女の頬に触れることが出来た。
やわらかい弾力は間違いなく彼女のものだった。
しっかりとした髪も彼女のもので間違いはなかった。
優しい声をしていた彼女の喉も見間違うことはない。
けれど、もう彼女は息をしていなかった。
あるべき体は遠くへ無造作に放り出されており、私の目の前には飾られるように机に置かれた彼女の生首だけがあった。
「何故」
何故こんなことになったのだろう。
彼女は何も悪いことなどしていないのに。
私が関わったからなのか。
私は幸せになるべきではなかったのか。
私は彼女と出会うべきではなかったのか。
涙は不思議と出てこなかった。
体の真ん中に大きな穴がある気がする。
あぁ、彼女の体が烏に蝕まれてしまう。
血で着物が肌が染まっていく感触にも何も感じなかった。
その日、斬首された女の体と生首はまるで最初からなかったかのように河川敷から消えた。
「ほら、みてごらん。君の好きな花がつぼみをつけたよ」
静かな山奥にその一軒家はあった。
人目を避けるように建っているその家の縁側には家の主である一人の男が座っていた。
「隊長」
侵入者が背後から家の主に声を掛けた。
「突然訪ねてくるのはやめてくれないか。ほら、妻にも準備というものが必要なのだから」
男のひざには死後何日も経っているであろう女の生首があった。
「隊長。俺が何しに来たかわかってますよね」
「少し待っていてくれ。妻に化粧をしなければならないからな」
「隊長!何故国を裏切ったのですか!あなたほどすばらしい上司はいなかった!俺はあなたに憧れていたのに!どうして!!」
「よし、出来た。やはり君にはこの口紅が似合うな」
侵入者はぞっと体を震わせた。
ちらりと見えた顔には全く生気がないのに、目だけは蕩けたように生首だけ見つめていた。
異常だ。
自分が知っている隊長は常に表情を動かさず、何事にも合理主義者で冷静にやってのける人物だった。
そんな人物が生首に微笑み、愛を囁いているのだ。
「・・・変わってしまわれたのですね」
ぽつりと呟いた元部下の言葉も男には届いていないようだった。
「そろそろ子どもが欲しいね。君はたくさん欲しいと言っていたから、子どもが出来たらにぎやかになるだろうね」
生首の頬を優しく包みながら微笑む姿が、最後の元隊長の姿となった。
急所を刃物でつかれ、ゆっくりと倒れていく男の顔には変わらず、笑みが浮かんでいた。