ないしょで繕うハートのエプロン
「賑やかだなあ、チェルたち」
きゃいきゃいとはしゃぐ声が聞こえてくる扉を閉じ、貰った花束を抱えたままで、俺はリビングの奥へと歩いていく。
窓際には父さんが日曜大工で作った背が低めな木製の棚が置かれており、その上にはいくつかの写真立てと、母さんの写真も飾られていた。
そのうちの一番大きな、母さんがピンク色の紫陽花の前で笑って写っている写真に話しかけるのが、俺のいつもの日課だった。
「……母さん。お見舞いに来てくれた友達がさ、可愛い花束をくれたんだよ。ほら、ピンク色のシオラス。母さんこういう色好きだったからさ、近くに置いておくよ。好きな時に見られるようにさ」
ゆっくりと花束を解きながら、一本を写真に見えるようにかざす。
こうして日常的に話しかけているのは家族も知っていることで、エチェットも日々の食事を少しだけ取り分けては、「美雫さんの分」として、写真の前に小皿を置いてくれている。
父さんもよく持ち帰ってきた荷物を見せては無意味にお伺いを立てているし、ユエリスもまた、散歩で摘んできた花を「おにーちゃんママにあげるねっ!」と律儀に飾ってくれている。
そんな光景を眺めるたびに、この家族で良かったな、なんて思うのだが……恥ずかしいから誰にも言えていない。
「よしっ。我ながら上手くできた!」
シオラスのブーケをバランス良く見えるよう花瓶に生け、花を束ねていた綿のオーガンジー生地のリボンを、花瓶の上部に結んでみる。
白くてキラキラした布地が陽の光に透けて見えて、とっても綺麗だ。
「そういえばシオラスって、向こうではチューリップって名前だったけど……母さんはやっぱり、シオラスのほうが馴染みがあったのかな? こっちの生まれだから。俺はまだチューリップのほうが馴染みがあるけど。幼稚園の年少の頃はチューリップ組だったし……さてっ、と!」
水で満たした花瓶を母さんの写真の近くへと置き、いまだ聞こえてくる姦しい笑い声を背景に、俺はひとり、キッチンで準備を進めることにした。
とはいえすでに使う物は用意済みなので、これは単なる最終確認だ。
三人分のエプロンに三角巾、髪をまとめるためのヘアピンやゴム。必要な物がちゃんと足りているか、忘れていた物はないかと、一つひとつ確認をしていく。
ちょっと用意周到すぎるかもしれないけど、いくら子供の料理とはいえ、これから作るのはお客さんの口に入る物なんだ。
異物混入や食中毒なんかが万が一にも起きないよう、大人の俺がなるべく気を付けて、衛生管理を徹底しないと。
「髪をまとめて貰って、それから三角巾とエプロンを着けて。服にはブラシをかけて、手洗いを忘れずに……っと、そうだ。俺のエプロン、端がほつれたからエチェットに直して貰えるよう頼んであったんだった。もう直ってるかな?」
急にそんなことを思い出し、かなり小さめに畳んである自分のエプロンを持って広げてみる。
確か、下側のフリルが部分的に取れかかっていたような……。
「おッ――……おぁァあああぁあァァあぁっ!!? なん、なンっ、なんじゃこりゃああぁああぁああぁぁぁ!!??」
その素っ頓狂な大声に、さっきまではしゃいでいた二人とカルムが、バタバタとリビングに突っ込んでくる。
「なになになにっ、なんですの!?」
「ウェ……ッ! セーア、どうしたっ!!? 何があった!!??」
「どうしたのー?」
けれど俺は言葉を失ったままで、呆然と立ち尽くしながらそれを見つめていた。
「……あら? ずいぶんと可愛いらしいエプロンじゃありませんのっ! 前のとはかなりデザインが違いますのね?」
チェルが固まっている俺の手元を覗き込んでくる。
「お泊り会の時に着ていたのは確か、フリルが付いた白地のシンプルなエプロンでしたわよね? ドレスに重ねて着られるようなタイプの。でもこれは……エプロン自体がわたくしたちの衣装みたいで、すっっっごく、可愛らしいですわ!」
「わっ。ホントだ、かわいいー!」
フィノも横にいるチェルにくっつくようにして、もたれかかる形でそれを眺めている。二人とも興味津々だ。
「胸元のおっきなハートとおっきなリボンがポイントになってて、フリッフリでかわいいね。ちっちゃなリボンがあちこちに付いてて、ボタンもハート型でかわいーし……あっ、ポッケもハートだ」
「あら本当っ! ベースが白色で、飾りのフリルやリボンがピンク色っていうのもすっごくセーアちゃんぽくて良いですわよね! ほらほらっ、早く着てみて下さいませ! セーアちゃんっ!」
子供の純粋すぎる目には、ただ人形に着せるような可愛らしいデザインのエプロンにしか見えないんだろう。
――けれど俺は大人だ。いくらガワが子供だろうが、中身は立派な成人男性。こういう「あからさまなデザイン」の商品がどういう使われ方をするのかなんて、男ならば大体が知っている。
「……や……。やあぁぁ……!」
「『や』って……なにが嫌なんですの? いつもの衣装と変わらないじゃありませんの?」
「そうだよ。水着じゃないよ、セーアちゃん?」
二人は俺の反応を「理解できない」といった様子で不思議そうに見ている。
けれど俺は、ここ最近で異様に活発的になっていた、エチェットの趣味的活動とコレとが完全に符合してしまっていて、頭を抱えたい衝動に苛まれていた。
エチェットはかなり交流が広いほうで、元々の趣味でもあった家庭菜園をきっかけにして、神託者の女性陣とは多方面での付き合いがある。
好奇心を持って相手に寄り添う姿勢もあるので、趣味も自然と多くなっていった。そんななかで、彼女の興味をとりわけ引いたのは『同人活動』。
いわゆる趣味でイラストや漫画・小説を書いたりして、それを頒布したり、販売するような行為だ。
カルムとは違ってエチェットはそんなにオタク的な人間ではないのだが、なんせ俺のことになると途端に暴走する悪癖がある。
二次創作の界隈に『ナマモノ』というジャンルがあるのを知ってしまった彼女は、勇者ウェスティンが様々な状況――危機的シチュエーションに陥り散々な目に遭うだとかいう、よく分からない内容の同人本に異様ほどにハマり始めた。
顔を真っ赤にしながら夜中まで興奮して読み耽っているので、それなりには面白いのだろう。
なかには「エチェット×ミナ」とかいうのもあって、なんとなくの登場人物は察せたものの、果たしてどういう内容なのか。
なんで掛け算になっているのか、どんな計算式なのかもよく分からなかった。
とりあえず中身を読んでみたところ、毛先が跳ねた長い黒髪が特徴の気弱そうな女の子が、その爆乳を強調するような破廉恥な恰好をして、似た恰好のエチェットとイチャイチャしながらあーんなことやこーんなことをして組んず解れつしていた。
あまりにも大人向けな内容だったので、「まだ読んじゃダメだ!」と思い、とっさにページを閉じて元に戻してしまったのだが――……その女の子が着ていた衣装が、今まさに目の前にある。
「やああぁああぁぁあぁああぁ……っ!」
修繕というかもはや、これじゃあ『改造』だ。
胸に当たる部分は大きなハート型になっていて、上部には目立つリボンとこれまたハート型の小窓がくり抜かれており、枠はピンクのリボンで飾られている。
端にはピンクのフリル。前掛け部分は円形になっていて、腰で結んだリボンの下部分のヒラヒラが、お尻を隠すようになっている。
これ……これっ、大人が裸で着るようなやつだ!
ラブラブの新婚夫婦がノリノリで買っちゃうようなやつだ! 大人って汚い! スケベで汚い! 気持ちはスッゲーわかるけど!
「な……、なんでえぇぇ……。なんでエチェットは自分じゃなく、おっ……セーアに、これ着させんのぉ……? じゅよう……需要ってもんが、あってれすねぇ……。まど……せっかく窓、ついてんのに……こっ、こんなぺったんこに、着せて……どうすんれすかあぁ……?」
「何か半泣きでブツブツ言ってますわ」
チェルとフィノが顔を見合わせる。
「よく分からないね? こんなにかわいいエプロンなのに」
「たまにこうなるんですわよね……。恥ずかしさの反動? なのかしら?」
「お前たちは知らないでいい」
そうため息まじりに言ったカルムは、拒絶している俺の首根っこを引っ掴んだ。
「観念して着ろ。これしか無いんだから」
「ひ、ひどい。カルムひどい……」
「それともあいつらに着せるつもりか? これを」
バッと眼前にかざされ、いよいよ崖っぷちに立たされた俺は、そのエプロンをしぶしぶ震える両手で受け取ったのだった。
「わっ、わかったよぉ……。恥ずかしい格好なんて、チェルとフィノには絶対にさせられないもん。セーアが肩代わりするし、大人だから汚い仕事だって納得して受けられるもん。合法ロリだから……いやショタか? どっちだ……?」
「どっちでもいいから早くしろ」
急に冷静になった俺の体をグイとキッチンのほうに向かせ、カルムは買ってきたばかりの材料を指で示す。
「支度が遅れるぞ。今日中に百枚作るんじゃないのか?」
「うっ。……はあぁぁーい……」
半泣きでモソモソとエプロンを着こみ始める俺をよそに、チェルたちは疑問符を浮かべながらカルムを見上げる。
「百枚って、もしかしてお客様に配るっていう……?」
「ああ、そのクッキーだ。こいつがエチェットにレシピを訊いておいてくれたそうだからな、それを元にみんなで作ろう。俺も協力する」
「まぁっ、カルム様も!?」
あんまり料理をするイメージはなかったのだろう、チェルとフィノが驚きの顔でカルムを見つめる。
それに対し、彼はやや恥ずかしそうに俯いた。
「『様』はやめろ、そんなふうに呼ばれるような人間じゃない。気軽に『カルム』でいいし、それが嫌なようなら……まあ、好きに呼んでくれ」
「それじゃあ……『カルムおにーちゃん』?」
カルムのズボンをきゅっと指先で握り込み、フィノが上目遣いで問うように呼びかける。
それに倣ってか、チェルも「カルムにーさまっ!」と勢いよく胴に抱き着いた。
「に、兄さまって。また『様』が付いてるじゃないか」
「あら。わたくし、こっちのほうが呼び慣れてるんですのよ? もっともホンモノのお兄様は、『おにいさま』ですけれどもねっ!」
七歳児に抱き着かれ、「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と慕われて、くっ付かれ……。
筋肉が凄いと称賛されて、きっとこれから、料理の腕だって褒めちぎられるんだよなコイツは……。
「いいなあぁぁ…………。カルムいいいぃぃなあぁぁああぁぁ…………!」
俺も「お兄ちゃん凄い! カッコイイ!」って言われたいのに。
なんでこっちはハートのフリフリエプロンを着させられて、似合う似合うって言われて恥ずかしい思いをさせられてるんだよ……。おかしいよ、格差だろこんなの……。
「セーア……その、目が血走ってて怖いんだが……? 飢餓状態のモンスターみたいになっているぞ……」
「グルルルルルル……ッ!」
「セーアちゃんも格好良いし、とびっきり可愛いと思いますわよ? ねえフィノ?」
「うん。どんなお仕事も大人みたいに笑顔でこなせちゃうし、困りごとにも色んなアイデアを出してすぐに対応できるし。『デキる社会人』ってカンジで、格好いい」
「ハッ!?」
まさに〝言われたいワード〟のうちのひとつを言われ、恥ずかしい恰好でいるのも忘れて俺は前のめりになった。
「セーア、社会人っぽい?」
「うん。ぽいと思うよ」
「ぽいですわね!」
ふたりの同意を得てさらに気分が良くなってきて、カルムのほうを向く。
「セーア社会人? 頑張って働いてる社会人だよねっ?」
「あ、ああ……。そう、なんじゃないか……?」
「社会人……憧れの社会人かぁ……。子供の目にもそう見えちゃうかぁ……。んっふっふぅ。どんな仕事も笑顔でこなせちゃう、アイディアマンの凄腕社会人……。それがうぇッ――! ……セーア!!」
「「うぇっ?」」
いきなり挟まった謎の奇声に、ふたりは揃って首をかしげた。
「なんですの今の? しゃっくり?」
「そういえばさっき、カルムおにーちゃんも似たような声をあげてたような……」
「――はいはいはいはいはいっ、髪まとめてまとめてっ! ヘアピンもゴムもあるからね! まとめたら三角巾を着けて、前髪とか横の毛が垂れてこないようにねっ!」
慌ててテーブルの上に置いていた小物類をパパパッと彼女たちに手渡し、なんとか誤魔化す。
その合間にこっそりとカルムを窺ってみると、彼はちょっぴり呆れた様子で「うかつだぞ」と小声で囁いていた。
「お前も言いかけてたじゃん」
口の動きだけでそう言い返し、クッキーの材料を広げていく。バターに薄力粉、粉砂糖、たまご。何の変哲もない材料たちを前にして、チェルもフィノも困惑した表情でこちらを見る。
「日持ちするクッキーを作るんじゃないんですの? 普通の手作りクッキーだと、もって二日か、三日ぐらいしか持ちませんわよ?」
「連休を挟んでるのに、だいじょーぶなの?」
「んっふっふぅ。これはね、一週間から二週間ぐらいは持つクッキーなんだよ」
「「ええぇっ!!?」」
「もちろん、手作りの場合は一週間以内に食べ切っちゃったほうが安全なんだけどね。それでも、この方法だったら普通のクッキーよりかは持つと思うよ」
俺の返答に、彼女たちは食い入るように材料を見つめる。しかしそれらはやはり、素朴な味わいのクッキーを作る際に使う材料でしかない。
「〝アイシング〟っていう技法を知ってる? お砂糖で、お菓子に文字とか模様を描くアレ。それをするとね、お砂糖の保存効果でちょっとだけ日持ちするんだって。もっとも塗る面積とかお砂糖の量にもよるし、クッキー自体の水分量や、保存方法にも関係してくるから、一概には言えないんだけど。けっこう古くから伝わっている方法だから、効果は確かだと思うよ」
「へぇー……。『アイシング』かぁ……はじめて聞いた」
フィノが感心した様子で頷く。魚人族は海のものばかり食べるというから、あんまり馴染みがなかったんだろう。
「わたくしはケーキの飾りなんかで見たことがありますわっ!」
チェルが得意満面に手を掲げた。
「パーティーに華を添えていて、見栄えが良くてとおっても素敵で綺麗でしたわよ! ……でも、あんなのわたくしたちに出来るんですの? すっごく難しそうに見えましたけど……」
「そりゃあパティシエ並みのことは難しいよ。でもね、ちょっと頑張れば、素人でもそれなりの物が作れるはず。……それに……」
「「それに?」」
「セーアたちが手作りした、っていうのが何よりの付加価値だから。ちょっとヘタクソで歪んじゃってても、味が出ていい感じになるんじゃない?」
ちょっとおどけて言ってみせると、ふたりはプッと吹き出した。
「セーアちゃんあざとい」
「あざといですわね! さすがセーアちゃん」
「さすが!? その『さすが』ってどういう意味!?」
「「しらなぁーーーーい」」
「ええぇぇえぇぇ……?」
クスクス笑いながら流されてしまい、俺はカルムのほうへと向き直った。
「カルム……お兄ちゃん」
「ん?」
俺たちが担当するクッキーとは別にアイシングのクリームを作っていた彼は、「どうした?」と顔だけでこちらを向く。
そんな彼にだけ聞こえるようにして、顔を寄せながらコソコソと訊いてみた。
「俺、そんなあざとかった? 悪いように見えた?」
答えを求めてじっと彼の瞳を見続けていると、カルムは少し目を泳がせてから、「タチが悪いなこいつは」とぽつりと呟いた。
「ちょっといけない方向に成長してしまっているとは思っていたが……。いいかセーア。お前は自分の容姿を武器にするにはまだ早すぎる、というかやめろ。危なっかしいし、なにがあってもお前には絶対に対処ができない。そう言い切れる」
「なんでっ!? なんで訊いただけなのに怒られてるの!? ――んぶっ!」
「いいからお前はエチェットにだけ媚びを売っていろ。他はダメだ、俺が許さない」
わし掴んだ指の先で頬をムニムニされ、なんか説教を受けているというのは分かったけど、どうにも納得がいかない。
「どういうこと!? お前はセーアの何なの!?」
「親友でボディーガードだ」
「ガードするどころかさっきからアッパーかけられてるんだけど!?」
「アッパーじゃない。ムニムニだ」
「お前のほうはそうかもしれないけどな、こっちは『グワシグワシ』って感じなんだよ! もうグワシグワシすんなってば!」
押しのけたり何だりしていると、「あらあら」とちょっと嬉しそうな声が聞こえてきた。
そちらを見てみると、チェルとフィノが含み笑いをしている。
「わたくしたちの目の前で堂々と浮気ですの? セーアちゃん」
「エチェットお姉ちゃんに言っちゃうよぉー」
「ちがっ……!? カルム……お兄ちゃんは新婚さんだし、セーアだって絶対に浮気なんてしないもん!! セーアにはエチェットお姉ちゃんしかいないし、それに…………っ!!」
「「それに??」」
ふたりが妖しい目つきで先を促してくる。
「こっ、こんな格好……………………エチェットお姉ちゃんがセーアに『着て欲しい』って思って作ってくれたものでなきゃ、絶っっっっっ対に、着なかったんだからああああぁぁぁぁぁッ!!!!!」
『キュイッ』
「はっ、はぁっ、はぁ…………っ!! …………今の『きゅい』って音なに?」
「録音させて貰いましたわ」
チェルがにっこりと微笑みながらポケットから魔方陣が描かれた端末を取り出してみせる。
「エチェットお姉さまへのお土産にしますわね?」
「やっ! やめて消して、今すぐそれ消して!」
「浮気じゃないっていう証明になるから、物的証拠は残しておいたほうがいいよ?」
フィノがごく真面目な顔で言ってくるが、裁判の予定は今後もないので、俺に残るのは恥だけなのである。
「もーーっ! いいからクッキー作るよ、カルムお兄ちゃんはもうアイシングクリームを作ってるんだから!」
「「あいしんぐ、くりーむ?」」
ようやく恋愛に逸れていた興味がこちらに向いたようで、ふたりがカルムの手元を興味深げに覗き込む。
白くて滑らかなクリームが詰め込まれた、小さな円錐状の袋がふたつ、彼の目の前に置かれていた。もうひとつ作るようで、ボウルに入った卵白と粉砂糖を慣れた手つきでカシャカシャとかき混ぜている。
「クリームちっちゃい……」
フィノが調理台に置かれた円錐状の袋を手のひらに乗せ、そのサイズ感に首を傾げる。
確かにクリームが入った絞り袋というと、大体の人がけっこうな大きさを想像するはずだ。子供が扱うにはちょっと手間取るぐらいの、生クリームの入った本格的な絞り袋をイメージするだろう。
けれどこれは、チェルやフィノの手でも軽々と扱えてしまえるほどに小さかった。空気が入らないよう上部がギュウギュウに折り畳まれ、クリームが先の細まった部分にまでみっちりと詰まっている。
「アイシングは手元でやる繊細な作業だからな。より細かな線を引くためには、それなりに持ちやすい方が良いということだ」
「みっつも作るんですの?」
すでに作られている二つの袋とは別に、また新たに作られようとしているクリームを見て、チェルも疑問を口にする。
「クリームの固さにも三種類あるんだ。ひとつは基本の『ロイヤルアイシング』といって、こう……持ち上げた時に角が立つぐらいの固さだな。口金を使って、花の造形を作る時なんかに用いるんだそうだ」
混ぜ途中のボウルの中身を見せながら、実演を交えて解説してくれるカルム。
「これよりも少しゆるめで、角がふにゃっと横に倒れるぐらいが中間の固さだ。文字や模様を描いたり、パーツの接着なんかにも使うそうだぞ。……で、一番ゆるくてとろとろした柔らかさの物が、広い面を塗る時に使うものだな。今回は中間の固さのクリームをたくさん使うだろうと思って、いま作っているところだ。あとは色んなデザインが作れるよう、一番ゆるいのも作っておこう」
言いながら彼は、あらかじめエチェットが作ってキッチンに置いてくれていたクッキーが入った袋を、チェルたちに見えるように差し出す。
レシピを書くだけではなく、エチェットは出来上がりの物がイメージしやすいよう、先に自分で試しに作っておいてくれたのだ。それだけではなく、失敗しないようにと注意点まで細かくレシピに記載してくれている。
「生地の水分量を減らすために、クッキーはなるべく長めにしっかりと焼くように……。焦げ目が付かないよう、温度は低めで……。エチェットお姉さま、わたくしたちのために、こんなに用意してくれてたんですの……?」
レシピを手に、感極まって目を潤ませるチェル。
俺は少しばかり恋人を自慢したい気持ちから、大きく頷いてみせた。
「うん。そういう子なんだよ、エチェット……お姉ちゃんは」
困ったところもいっぱいあるけど、それ以上に他人を思いやる気持ちをまっすぐに言葉にしたり、行動に移せる凄い子なんだ。エチェットは。
その眩しいほどの優しさに、俺は…………御崎成哉は、恋をしたんだ。
つい会いたくなってしまい、胸がきゅっとなる。
彼女自身の欲望と愛情とがみっちり詰め込まれたハートのエプロン。そのおっきなハート部分に手を添えながら、俺は声を張り上げる。
「さあっ! これから、セーアたち『ピィニア』にふさわしい、レースのクッキーを作るよっ!!」




