第四十三話 おかえりなさい
ヘリオにエスコートされながら会場へ戻ると、先程よりも辺りはざわめきで包まれています。ミーアは隣を歩く彼の影響かと思いましたがどうやら違うらしく、騒めきは彼女達よりも離れた場所で起きているようです。不思議に思いながらもヘリオに誘導されるままに歩みを進めて行くうちに、騒めきの方へ歩かされている事に気がつきます。
「あ、あれ……? ヘリオ君。そっちへ行くんですか? もしかして、あのなにか起こっているところへ行こうとしてません……?」
「ええ。勿論。 ……さあ、まもなく着きますよ?」
「え? ……っわ!」
群衆を抜けると、さあっと視界が開けました。その場所には、高貴な衣服に身を包んだ美しい人が居ます。金色の髪に、宝石の様に輝く深い深い碧の瞳。彼はミーアを見つけると、とても嬉しそうに微笑みます。まるで、大事な友人にやっと出会えたかのような、親愛の笑みを。
「……………マ、マリー、様……?」
無意識に唇から零れた言葉は、群衆の声に掻き消されていくけれど、彼の耳には届いたようでした。マーリオは片目をパチンと閉じて、妙に色っぽいウインクをします。ミーアは信じられないものを見たように、大きな瞳を更に見開いて目の前の人物を見つめます。
「ああ。私だよ。ミーア嬢。貴女にまた会えて、とても嬉しい」
———彼女が会いたくてたまらなかった人物。マーリオ・ビスコンティーヌが、確かにその場に居たのです。
「さあ、ミーアさん。彼とは久しぶりの再会なのでしょう? 束の間のひと時をどうぞお楽しみ下さい」
ヘリオは握っていた手を解き、恭しくお辞儀をしてから下がります。彼の姿は人々の中へ消えて見えなくなりました。ミーアは一歩、足を踏み出します。
躊躇いながら手を伸ばして、彼の腕に触れてみます。以前のように身体を通り抜ける事はありません。霊体だった時よりも、少し痩せているような気がします。あんなに話したい事があった筈なのに、いざ目の前にすると上手く言葉が出てきません。
「あ、う……えっと、本当の本当にマリー様……じゃなくって、マーリオ様、なんです、よね……?」
「ああ。勿論。貴女のお陰で、私はこうして今ここに来る事が出来た。 ……さあ、ミーア嬢。一曲踊って頂けますか?」
「えっと……はい。是非。私の方こそ、お願いします」
優雅にお辞儀をし、マーリオは手を差し出します。ミーアはおずおずと彼の手に自身の手を乗せます。すると、グイッと引き寄せられ強く抱きしめられました。周囲の騒めきはより一層大きくなります。
「わっ! ま、マリー様? だだだダンスはしないのですか!?」
マーリオは耳元に唇を寄せ、ミーアにしか聞こえない声音で囁きます。
「うふ。ごめんなさいね? アンタに会えたのが嬉しくって! ……途中で昇天しかけて復讐失敗しちゃうだなんて、アタシもまだまだね。でも、こうして生身の身体で再会できるなんて思わなかったわ? ……ドレス、着てくれたのね? よく似合っているわ?」
「これ……マリー様が贈って下さったんですね。 ……えへへ、嬉しいです」
ドレスの色はグラデーションがかった、深い深い碧の色。あ! とミーアは思います。煌く海を連想させるこの色は、マーリオの瞳の色と同じものだと。
抱きこまれたまま、胸元にそっと頬を寄せると、衣服越しに微かに心音が聞こえてきました。ああ。目の前の彼は、確かに生きているのです。
「………やっぱり、その喋り方の方が、マリー様らしいです」
「そうでしょう? まあ、流石に大っぴらに出来ないもの。本当のアタシを見せるのはアンタだけよ?」
「マリー様……!」
自分だけが特別なのだと言ってもらえた気がして、ミーアは目尻にじわりと涙を浮かべます。
「……身体、どこにも怪我はしてない? ごめんなさいね。本当は、アタシの手でアンタを助けに行きたかったけど、ヘリオの奴に止められたの。『貴方が直接出て行ったら、計画が全部無駄になるって。だから大人しく引っ込んでろ』だなんて言うんですもの。上司に向かって酷い言い草だと思わない?」
「えっ、それってどういう……? マリー様、ヘリオ君の上司なんですか……?」
一気に大量の情報を与えられて混乱するミーアに、マーリオは色っぽくウインクをして続きを話します。
「ええ。今のアタシは、かの英雄、マーリオ・ビスコンティーヌじゃあないわ? レオンの奴に、その英雄の子孫だって事にしてもらったのっ! 時間が無いから、詳しい事は後で全部説明するわ。 ……今はそれよりも、アンタにお願いがあるの」
「私に、ですか……?」
一体なんだろう。ミーアは不思議そうに首を傾げます。
「ええ。ミーア。これはとっても大事なお願いよ? アンタだけにしか出来ない事なの。 ……アタシの為に、叶えてくれるかしら?」
「なんだかそのセリフも久しぶりに聞いた気がします。ええ。勿論ですとも! 私にできる事でしたらなんだってやってみせます!」
「…………………本当に?」
「はいっ! 女に二言はありませんっ」
「あらそぉお? 嬉しいわ? アンタが快諾してくれるなんて。アタシ一人じゃできない事だったから、困っていたの。 ……とぉってもね」
言いながら、マーリオの雰囲気はドンドン怪しいものになっていきます。ミーアには覚えがありました。邪悪にも見えるこの微笑みは、マーリオに取り憑かれていた頃によく見た表情だ、と。
懐かしさ反面、妙な居心地の悪さを感じます。なんでしょうか。すごく嫌な予感がするのは。
いつのまにか楽団の演奏はやみ、踊っていた面々は立ち止まって二人の一挙手一投足をじっと見つめています。シン、と静まりかえった会場の中、マーリオは抱きしめる力を強め、右手でミーアの顎に手を添えると、そっと持ち上げました。
「えっと……? マリー様……?」
「ミーア。 ……大好きよ?」
気がついた時には、視界一杯にマーリオの顔が迫り———唇にふにっとした柔らかな感触がして、ミーアは驚いたまま固まります。周囲からは一層、ざわざわと声が上がるのが聞こえますが、そちらにまで頭が回りません。呆然としていると、やがてマーリオの顔は離れ、先程よりも更に、力強く抱きしめられました。
「ミーア・バンプキン嬢。貴女も私と同じ思いでいてくれたのですね? どうか、私と結婚してください」
「…………………は……い?」
わあ、という歓声があちこちから湧き上がり、彼等を祝福する拍手の音が響き渡ります。ミーアの返事は肯定の意味で捉えられたようでした。 ———違う! 聞き返す意味で言ったのに! ギギギ、と錆びたブリキのおもちゃのように、ミーアは引きつった顔でマーリオを見つめます。
「うふ。これでアンタはもう逃げられないわよぉ〜? アタシの婚約者として、よろしくねっ! ダーリンっ!」
「か、勘弁して下さ……っ もがっ!」
絶叫しそうなミーアの口元は大きな手のひらで塞がれ、周囲から見えないようにマーリオの胸元へ抱きこまれてしまいます。
彼等から離れた隅の方では、何が起こったのか理解が追いつかず、ポカンとするレジーとヒューバートの姿が見えます。見事に玉砕した彼等を慰めるように、アランは二人の肩をポン、と叩いていました。
ルイズ達はというと———近衛隊にガッチリととり囲まれたまま一連のプロポーズを見せられていました。が、先程巻き込まれて襲われた時のショックが抜けきれず、今でも青白い顔のまま震えています。
そこへ人垣を抜けながらヘリオが現れ、部下にルイズ達の様子を聞きながら、チラリとマーリオの方へ視線を向けました。
今度の上司は策士……というよりも、とんだ鬼畜だなどと、ヘリオは思います。
復讐とは様式美である。
ダンスパーティーで華々しく令嬢を掻っ攫い、告白の場面を見せつける事。それこそが、ルイズ達への復讐になるのだと、新たに上司となったマーリオからあらかじめ聞いていたのです。
ミーアとルイズの婚約破棄の場面は学園の生徒たちの知るところではあります。その後が難航していることもまた、広く知れ渡っていました。まあ、これはベアトリーチェが悲劇のヒロインのように言いふらしていたせいではありますが。
そこへトドメと言わんばかりに、ダンスパーティーの衆目の前でマーリオが派手にプロポーズをした事で、対照的に、ルイズは浮気をしたあげく、自分よりも身分の高い人間に横から女を盗られた情けない男として評判がガタ落ちになるのだと、底意地の悪い顔で告げてきたマーリオの顔を思い出します。もちろん、ベアトリーチェも同じく、相手のいる男に手を出したふしだらな女だというレッテルを貼られるでしょう。
ですが、恐慌状態の彼等に見せつけたところでそこまでダメージは負わせられないだろう、とヘリオは考えます。が、もちろん口にする事はありません。ここは敵国の自分を受け入れてくれた大事な職場ですから、かしこい彼は、上司の意には逆らわないという信条を持っているのです。
次いで、深く抱きこまれてドレスしか見えないミーアに視線を移します。彼女も厄介な人間に目をつけられたものです。あんなに大勢の前で愛を乞われては、決して逃げられないでしょうから。
そんな風に思いながら、ヘリオは楽しそうに口の端を吊り上げます。
やはり、自分の目に狂いはなかった。こんなに面白いものが見れたのだから、次はもっと良いものが見れそうだ。その為には、どうやって再びミーアにとりいってみせようか。背中を壁に預けながら、ヘリオトロープ・ヴィオルは、次なる策を練るのでした。




