表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/45

第四十話 緑陽祭

 ———緑陽祭。長期休暇前に行われる毎年恒例のダンスパーティは、生徒達がその訪れを大いに楽しみにしている行事のひとつです。


 もちろん、全校生徒の殆どが参加をしており、婚約者のいる者は共に会場入りをしては仲睦まじく踊り、婚約者のいないものは新たな出会いを求めて意気揚々と参加をする場所でもあります。


 ミーアはどのドレスを着るべきか迷いに迷った末に———昨夜贈られてきた鮮やかなブルーのドレスを着る事にしました。送り主不明のこのドレスは、白いレースであしらわれた胸元を繋ぐように淡い水色から下へ向かう程に色が濃くなっていくグラデーションがかったもので、不思議とミーアの身体にぴたりと合います。まるで、彼女の為だけにあつらえたかの様に。


 メッセージカードに添えられていた内容が、ミーアは気になっていました。この送り主はどうやら緑陽祭に来るらしい。それならどうして彼女を同伴者として誘わなかったのか。


 初めは誰かの悪戯かとも思いました。けれど、ドレスの生地はミーアが今まで触れた事のないくらいに上等なもので、細かな宝石が幾つも縫い付けられて光を反射しながら、キラキラと星屑のように輝いています。


 ミーアのくすんだ金髪はアップに纏められ、普段は緩やかに編んでいるおさげのせいで隠されていた、彼女のほっそりとした首筋が現れています。この年頃の少女だけがもつ得難い魅力を放っており、ドレスに同封されていた、大粒のブルーサファイアでできた髪飾りを耳の上に留めると、不思議と彼女の髪の色すら明るく彩られていくようでした。


 ミーアは迎えに来たレジーと共に学園のダンスホールへ足を踏み出します。


 会場は既に訪れていた人々で賑わいを見せており、この日の為に呼ばれた楽団が、今はしっとりとした音色を奏でています。


 雑踏の中をエスコートされながら歩いていくと、ダンスホールへ辿り着く頃には曲目がワルツに変わり、ぴたりと歩みを止めたレジーが優雅にお辞儀をします。それに合わせるようにミーアも軽く膝を曲げて身体を下げました。片側の手を握り合い、背中に手を添えられてのホールドを確認してから、二人はゆっくりと、ステップを踏み出しました。


「ミーアさん……綺麗です」

「あ、ありがとうご、ざいます……こんな風に普通のご令嬢みたいな格好をした事があまり無かったから、なんだか照れ臭いです。 ……あのう、似合ってる、でしょうか……?」

「ええ。自信を持ってください。貴女はとびきり美しいです」

「………えへへ。嬉しいです」


 ほんのりと頬を赤くして、ミーアは小さくはにかみます。見ればレジーも目元を赤く染め、照れたように淡く微笑んでいました。辿々しい動きでステップを踏むミーアが上手く踊れるように、レジーが誘導しながらドレスの洪水の中をひらりと移動します。


 軽やかな曲のテンポに合わせてミーアはクルリと回り、それをレジーが受け止めてくれます。


「ダンスって結構楽しいもんなんですね? レジーさんの誘導がお上手だから、実は自分がすっごくダンスが上手なんじゃないかって、勘違いしてしまいそうです」

「いいえ。ミーアさんはとっても筋がよろしいですよ。 ……実は、貴女にお伝えしたい事があるのです」

「? なんでしょう……?」


 レジーは視線を彷徨わせた後に、少し、躊躇いがちな表情で、ミーアに向き直ります。


「私は、貴女に出会ってから、随分と変えられてしまいました。少し前までの私は、自身の周囲に心を砕かず、自分からも決して近寄ろうとしない、本が大好きなだけの人間でしたから。本は友人だ。本は私の知らない世界中の知識を教えてくれるかけがえの無いものだと。ですが、そうやって自分一人だけの世界に閉じこもっていては、人間らしさを失ってしまう。貴女が何度も私を訪ねて来てくれるうちに、ようやく私も外界へ目を向ける事が出来たのです。ですから……」


 レジーは一度言葉を区切り、言葉を紡ぎます。


「ミーアさんさえよろしければ、貴女を伴侶にと望む許可を頂けないでしょうか……?」

「え…………!」


 ミーアは目をぱちくりと見開き、固まります。まさか、自分が誰かに望まれるだなんて夢にも思っていなかったのです。


「……だめ、でしょうか……?」


 反応の無いミーアの様子に不安になり、レジーは恐る恐る彼女の顔を覗き込みます。動かなくなったミーアに合わせてレジーも動きを止めた為に、ダンスホールで踊っていない彼等は周囲から目立っていました。たっぷりと時間を置いた後に、ハッ! と正気に返ったミーアは、つっかえがちに伝えます。


「あ、えっと……ごめんなさい、まだ、そういった事は考えられなくて……でも、レジーさんの事は大事なお友達だと思ってるんです。だから……!」

「…………そうですか」


 レジーはがっくりと肩をおとしながら、力なく呟きます。


「レ、レジーさん……?」

「は、はは。いえ、なんでもありません。そうですよね……ミーアさんはまだそういった事は考えられませんよね。 ……ですが、私はまだ諦めません。貴女が私を見てくれるまで、何度でもチャレンジしようと思っていますから」

「えっと……」

「ははは……今はわかって頂けなくても構いません。ですが、覚悟していてください。ミーアさん」

「あ、う……はいっ!」


 元気よく返事をすると、レジーは微笑みます。その顔はどこか晴々としたもので、身の内に燻らせていた感情を吐き出したかのように見えました。その頃にはぎこちなかった二人の動きは元に戻り、くるりと軽やかにターンをしたミーアは、会場の隅で談笑するアランとヒューバートの姿を見つけます。


 そちらに向かってひらひらと手を振ってみると、彼等は既に二人に気づいていたようで、アランは口角を上げて愉しそうに微笑み、ヒューバートの方はというと、少し面白くなさそうにしながらも、片手を軽く上げ、同じようにひらひらと手を振ってくれました。



「レジーさん! ヒューバート先生達も来られてますね! 一曲終えたらお二人の元へ行きましょう?」

「ええ。そうですね。 ……少し名残り惜しいですが、そうしましょうか」


 やがて演奏は終わり、今度は先程よりもアップテンポな曲が流れ始めます。そのまま踊り続ける者達もいれば、パートナーを変えて踊る者、隅へ移動して談笑に混じる者等様々です。ミーアとレジーも移動し、ヒューバート達のいる方に向かいます。


「やあ、ミーアチャン。久しぶり?」

「ヒューバート先生っ! お変わりなくて安心しましたっ! あれからアレンドラさんの具合はいかがでしょうか?」

「うん。爺さんね、意識が戻ってきてから随分と元気になったんだ。ありがとうね、ミーアちゃん。 ……それに、レジーセンセも。気にしてくれたんでしょ?」

「いえ、そんな……私に出来る事なんてたかが知れてますから」


 レジーは首を振りながら淡く微笑みます。この二人も初対面の時とは比べものにならないくらい仲が良くなったなぁ、とミーアは思います。初めて引き合わせてもらった時なんかは、レジーがヒューバートを諫める側で、ヒューバートに至っては不埒な事をする度に分厚い本でひっぱたかれていたのが嘘のようです。


 その二人のやりとりを眺めていると、低く心地よいテノールでアランから声を掛けられます。


「やあミーアさん。そのドレス、とても似合っていますね。いつも可愛らしいが今日は一段と素敵だ」

「えへへ……! ありがとうございます。実はこのドレス、誰が贈ってくれたかわからないんです。それがすごく気になって。着てみたら、きっと送り主が分かるんじゃないかって思いまして」


 アランはおや、といった風に意外そうな顔になり、レジーとヒューバートの顔を交互に見ます。その彼ら———レジーはなんとも言えないような顔をしており、ヒューバートの方はというと、若干驚いているようですが、ややあって納得したように頷きました。


 送り主不明のドレスなど、普通の令嬢ならば警戒して着ないでしょう。ですが、一般的な淑女の基準からはみ出しているミーアならばありえる、という考えに至ったようでした。


 ただ、そこに別の男の影がちらつくような気がして、ヒューバートとしては面白くありません。


「そうか……これはうかうかしてられないなぁ。 ……ね、ミーアチャン。俺とも踊ってくれる?」

「あ、はい! こちらこそ是非!」


 今度はヒューバートと手を取りあいながら、レジーとアランに見送られて、ミーアは再びダンスホールへ歩みを進めます。ちょうど、アップテンポな曲は終わり、しっとりとした楽曲が流れ始めます。お互いに挨拶を交わしながら、ヒューバートはミーアの腰に触れて引き寄せます。


「わっ! ヒューバート先生?」


 ヒューバートはパチンとウインクをひとつ、曲に合わせて足を引き、優雅に踊りを始めます。


「……ねえ、ミーアチャン。俺との事も考えて欲しいな? 例えばさ、婚約者になってもらう、とか。 ……俺ってさ、嫡男じゃないから、家を継ぐとかしなくていいし。面倒な親戚付き合いとかは兄夫婦がしているから、こっちはなにもしなくていい。結構優良物件だと思うんだけど。  ……どう?」

「えっと……? それってつまり……?」 


 ヒューバートは淀みなく告げます。ここまでハッキリと言われれば、流石に鈍いミーアでもわかりました。


「うん。ミーアちゃんにプロポーズをしているね?」

「うええっ!?」

「し。ミーアちゃん。声が大きい。まあ、急いでいないから、考えておいてね?」

「は、はい……」


 抱かれた手の力が強くなったせいで意識してしまい、心臓の鼓動が早まっていきます。


 ———緑陽祭で思いを告げた男女は永遠の時を結ばれる———



 ふいに、そんな言い伝えがあるのを思い出し、ミーアはぼっ、と頬が赤くなっていくのを感じました。


 レジーに続き、ヒューバートにも愛を請われているこの状況に、ミーアの頬は益々赤くなります。どうしたら良いのか分からなくなった彼女は、一度、一人でゆっくりと考えたくなったのです。楽曲が終わるタイミングで踊りを終え、ヒューバートへと告げます。


「あ、えっと……すみません。少し一人で考えたくて。席を外しますね?」

「そう? 気をつけて行ってくるんだよ? 特に、人気の無いとこには行かないように」


 握っていた手を名残惜しそうに解きながら、ヒューバートは自分の元から離れていくミーアの後ろ姿を見送ります。ミーアはというと、それどころではありません。心臓がバクバクと高鳴り、なかなか落ちつきそうにない。どこかゆっくり落ち着ける所へと、彼女は歩いて行きました。


 会場の扉から抜け出でて、ミーアは中庭へ向かって歩いていきます。噴水の設置されたあの場所ならば、静かに考えるのにちょうどいいかもしれない。


 真っ暗な夜の闇を、等間隔に設置された外灯が照らしているお陰で、彼女が迷う事はなさそうです。ふわりと頬を擽る風が気持ちいい。外気は初夏の空気を孕んでいるからか、ほんのりと湿っており、ミーアはまもなく訪れる夏に思いを馳せました。


 目的の噴水を見つけたミーアは、懐からハンカチを取り出して縁にふわりと広げると、その上から腰を下ろします。


 ———これから、自分はどうすればいいのでしょうか。彼女を導いてくれたマーリオはもういません。それに、異国の友人も、彼女を手助けした後に消えてしまいました。


 婚約者の話だって見ないふりを続けながら、結局なにも手を下さない。なにもかもが中途半端なままなのに、それでも、こんな自分でも良いのだと、愛を乞うてくれる人達がいる。


 視線を下に落とすと、鮮やかな青色のドレスが視界いっぱいに広がります。仄かな外灯の光と、白く輝く月明かりに照らされて、生地に縫い付けられていた細かな宝石達は一層、その美しい輝きを放っていました。


「そうだ……このドレス、結局どなたが贈って下さったのか、わからないままでした」


 小さくポツリ、とミーアは呟きます。少し離れた会場からは、緩やかな音楽が流れており、ミーアの微かな声は、空気に溶けて消えていきました。




 ——————パキ




 すると、背後から木の枝を踏んだかのような物音がします。誰かがやってきたようで、ミーアはおもわず後ろを振り向きました。が、降り注ぐ噴水のカーテンが邪魔をして、音の主を上手く見定められそうにありません。


「ど、どなたですか……?」


 立ち上がり、噴水から離れて闇の先を凝視すると———


「ひさしぶりだな芋娘」

「貴女、本当に目障りなんだから。いい加減婚約破棄の件、ご両親に伝えたら?」


 そこには、元婚約者とその恋人の二人が、心底憎らしげにミーアを睨みつけていました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ