第三十三話 新たな友人
マーリオが居なくなってしまった日から、ミーアは糸の切れた凧のようにふらふらとしながら、ぼんやりと学園生活を過ごしていました。マーリオの本体を確認しに行こうにも、例の隠れ家には警備の人間がおり、前のように入る事すら叶わないのです。
溌剌として人一倍元気さが取り柄だったミーアの変貌ぶりに、学園長であるアランや、司書のレジーは心配そうに声を掛けては、なんとか彼女を元気付けようと昼食に誘ったり、彼女の喜びそうなお菓子や本などを渡してはみるのですが、なにをしてみてもミーアは虚空を見上げたままで、返事も要領を得ないものばかりです。
こういう時こそ、人の機微に聡いヒューバートの出番なのですが、現在、彼は学園を休んでいました。ヒューバートの祖父であるアレンドラの容態が悪化してしまい、つい先日心臓の発作を起こし、今も生死の境を彷徨っています。ヒューバートは祖父の為に、苦手な実家にも関わらず、ずっと側で付きっきりでいるのです。
もしかしたらアレンドラも、消えたマーリオの後を追うように亡くなってしまうのではないか。そんな悪い想像が、ミーアの心を更に蝕んでいきます。
昼休みもまもなく終わりを告げる頃、中庭に設置された噴水の淵へ腰掛けていると、ミーアに向かって歩いてくる二人分の足音が聞こえてきました。ふと視線を向けると、そこには随分と久しぶりに見る元婚約者のルイズと、そのパートナーの姿がありました。
態々そちらから出向いて来たくせに、二人はミーアのことを憎々しげに見下ろしています。ルイズの方はミーアに対して鬱憤が溜まっているらしく、流麗な眉を歪めて皮肉げに話しかけてきます。
「久しぶりだな。噂は聞いているぞ? 貴様、自分よりも年上の、それも独身の男に色目を使っているらしいな? ……ふん。やはり貴様を見限っておいて正解だったわ。もしあのまま婚姻までいっていたら外で男を作られていたに違いない。ベアトリーチェを選んだ俺は間違っていなかったと言う訳だ」
「…………」
そのあんまりな言い様に、ミーアは反論しようと口を開きかけて……やめました。自分が知らない間に、周りからそんな風に思われていただなんて。
マーリオの目的の為に行動していたとはいえ、同年代との交流を一切してこなかったツケが回ってきたのでしょうか。ただ、相手が悪く言われずに、自分だけに矛先が向いているのならばまだマシかもしれない。そう思ったミーアは、ただ黙ってルイズの言葉を受け入れます。ですが、ルイズの方はなんの反応もみせないミーアを苛立たしく感じ始めており、次第に語気も激しくなっていきます。
「おい、聞いているのか! 貴様、まだ父親に婚約破棄の件を伝えていないらしいな? どういうつもりだ? 棒切れのようだった外見は少しは見れるようにはなったが、俺は貴様とはやり直すつもりはないからなっ! チヤホヤされるようになったからって、いい気になっているんじゃないのか?」
「…………」
「黙ってばかりでなんだその態度は。貴様が父親に伝えて承諾を取らねばこちらも父上が納得せんのだ。いいか? 俺と貴様はとうに終わった仲なのだからさっさと伝えてこい!」
「早くしてよね? わたし達はね? 深く愛し合ってるの。ハッキリ言わせてもらうけど、貴女、迷惑なの。お願いだから、わたし達の邪魔だけはしないでよね? ……じゃ、そういう事だから」
「…………」
ベアトリーチェは吐き捨てるようにそう言うと、ルイズの腕へ自身の腕を絡めて校舎へ帰っていきます。彼等の後ろ姿をぼう、と眺めていたミーアでしたが、彼女もまた、午後の授業の為に教室へ帰らなくてはなりません。が、どうにもそんな気にすらなれず、再びぼんやりとしていると、ふいに、彼女の身体に人影が差します。
「わあ……あの方々、絵に書いたように屑な発言をなさるのですね。やはり虚構よりも現実はとても面白いですよね? ……失礼。大丈夫ですか?」
「…………」
声の人物は先程のやりとりを見ていたらしく、どうやら興味本位で話しかけているようです。ミーアは無意識に、そちらへ顔をあげました。
そこには、この国では珍しい、烏のように真っ黒な髪をした、深い紫色の瞳をもつ少年が立っていました。右耳につけた金細工のピアスが陽の光に反射してキラリ、と揺れます。綺麗な顔立ちの少年をぼんやりと眺めて、こんな子いたっけ、とミーアは思いました。
少年は猫のように目を細めながら、先ほどのやりとりについて面白そうに話します。
「止めたほうが宜しいかと思ったのですが、無理に入ったら余計に拗れるかと思いまして遠慮しておきました。あれ? もしかして、喉を痛めてます? だから僕の言葉に反応しない……という訳ではなさそうですね?」
「…………ごめんなさい。今は、誰とも話す気分になれないんです」
暗い表情のまま断りをいれるミーアの様子を特に気にした風もなく、少年はにっこりと笑った後、続けて口を開きます。
「そうですか。では、ここからは僕の独り言ですのでお気になさらず。 ……ああ、そうでした。僕の名前はヘリオトロープ・ヴィオルと申します。本日付で隣国からこちらへ留学しに参ったのです。それにしても、ここは面白い学園ですね? あんな三文芝居のようなことをする男女を見る事ができるだなんて、却って僥倖とでも言えるでしょうか。わが国は洗練されていますから、品のない人間を間近で見る事など稀なのです」
「…………そうですか。面白かったのならよかったです」
「失礼。話からするに、先ほどの男性は貴女の婚約者なのではないですか? ……いいのですか? あんな頭の悪そうな女に取られてしまって。見返して、絶望の底に叩き落として、辛酸を舐めるほど苦痛に歪む顔を眺めてみたいとは思われません? 気持ちがスッとしてとっても清々しくなること請け合いですよ? 実は僕、そういった策略が得意なのです。貴女さえ良ければお手伝いしましょうか?」
「…………………ふふ」
ヘリオトロープと名乗ったこの人物は、どうやら口が悪いようです。しかも復讐を匂わせるような、どこかで聞いたような台詞を言うのが、なんだか例のオネェを思わせて、ミーアは小さく笑ってしまいました。
「……ここまで言って笑われるのは初めてです。貴女、変わってるって良く言われません?」
「それはお互い様だと思いますけど。 ……少し前に、貴方と同じ事を言ってた人がいたんです。でも……もう、いなくなってしまいましたけど」
「……そうですか」
「すみません、こんな話をしてしまって。なんだか話やすいからつい……どうぞ忘れて下さい」
「いいえ。いいのですよ。実は僕、ここへ来たばかりでまだ友人がいないのです。貴女さえよければ、この地での最初の友人になって頂けませんか? 同性の方々は……なにやら敵意のようなものを感じてしまってどうにも苦手で」
困ったように眉尻を下げる彼を、ミーアはなんだか憎めなくなりました。たしかに人形のようにも見えるこの顔立ちならば、同性からの嫉妬も、彼女の想像もつかないくらい凄まじいものかも知れません。
「それなら……私で良いのなら、いいですよ。私の名前は、ミーア・バンプキンといいます」
「そうですか。よろしくお願いしますね? ミーアさん?」
大きな瞳を楽しげに細めながら、ヘリオトロープ———ヘリオはミーアに手を差し出して、艶めかしく微笑みました。




