第三十二話 オネェが消えた日
カタカタと馬車が軽快な音を立てながら、夕暮れの街道を進んでいきます。車内は明るさを取り戻したヒューバートとミーアの談笑の声が響いており、今はお互いの幼少期の話をしては軽口を言い合っていました。教師と生徒という枠組みを取り払った空気の中、馬車はバンプキン邸へと到着します。
「じゃあ、ミーアチャン。また明日学園でね?」
「はいっ! 今日はありがとうございました。 ……あっ、そうだ! ヒューバート先生!」
馬車から降りようと足を踏み出しかけたミーアは、車内に座るヒューバートの方へクルリと振り返りました。
「ん? どうしたの? 俺と離れるのが寂しくなっちゃった?」
「違いますって! もう! まぁたそんな事言って! ……さっきのお話ですけれど、明日も明後日もそのまた先も……私とレジーさんは図書室で待ってますからねっ! アランさん……いえ、アレンドラさんに会えたからと言って、ヒューバート先生との縁が切れただなんて、私、思ってませんからね?」
「つまり? ミーアチャンは俺に会ってくれるって事? 今後も、なんの見返りもなしに」
「いいえ逆です! 私の方が無理に会って貰ってましたものっ! ええと……こういうのって、なんて言うんでしょうね? 友人、と言うのでしょうか……? でも先生にこんな事言うの、変……ですかね……?」
「……いいや。そんな事、ないよ。 ……友人、か。いいね、それ。流石に、こんなに年下の女の子の友人は初めてできたかな」
「本当ですかっ! あ、いいえ。では……」
こほん。と一度咳払いをして、ミーアは右手を差し出します。ヒューバートはキョトンとしながら瞬きをしますが、やがて口の端をにっと吊り上げ、その手を握り締めました。
「……これからもよろしくお願いしますね? ……友人として」
「そうだね……今のところは、それでいいかな。よろしくね? ミーアチャン?」
彼女の手に顔を近づけて、ヒューバートはミーアの手の甲に口づけを落としました。ちゅ、っと軽いリップ音が響いて麗しい顔がゆっくりと離れる最中、咄嗟になにが起こったのか分からなかったミーアは、その様子をぼうっと眺めていました。が、ハッ! と正気に戻り、慌てて手を引っ込めます。えっと……? 友達なんですよね?
「ちょ、ちょちょちょっ! ヒューバート先生なにやってんですかっ! 友人に口づけってしないですよねっ?」
「言ったでしょ? 今は友人で良いって。まあ、親愛の情だと思ってくれればいいから。 ……それじゃ、ミーアチャン。また明日ね?」
ミーアが馬車から降りるのを確認してから扉は閉められ、ヒューバートは窓越しにひらひらと手を振ります。動揺しながらもミーアもつられて手を振り、来た道を戻っていく馬車を見送りますが、手の甲にはまだ、ヒューバートの唇の感触が残っているような気がしてドギマギとしてしまいます。
「流石、チャラ男……」
と、板につき過ぎているあの動作はやっぱり素なんじゃないかと内心思いながら、ミーアは玄関の扉を開けると、案の定、一部始終をばっちりと目撃していた両親からの質問責めを受けますが、今回は一人でなんとか躱していき、自室へ引っ込む事に成功しました。
ーー
ーーー
「あのう、マリー様……? アランさんの事で、なんて言ったらいいのか……元気を出して下さいって、いうのも変ですし……」
「……………」
「マリー様が落ち込むのも最もだと思います……えっと……そのう……あっ! そういえば、アレンドラさんの前だと話し方が違うんですね! もう! びっくりしましたよ〜! まるで別人みたいなんですもんっ」
「……………」
「マリー様……」
話しかけても反応を示さないマーリオに、ミーアはどうしていいかわからなくなりました。辛い事実に飲み込まれ過ぎてもいけないからと話題を変えてみても、マーリオは一向に返事をする様子がありません。こころなしか、彼の姿がいつもより透けているような気がして、ミーアは焦ります。生き霊のくせに妙に覇気に溢れたいつものマーリオとは違い、今の彼は掻き消えてしまいそうな程に儚く、ミーアの瞳には映ったのです。
「…………そ、そうだ! マリー様! お久しぶりにアレンドラさんにお会いできてよかったですねっ! マリー様の親しいご友人だったなんてびっくりしましたよー! どうして教えて下さらなかったんですか? ヒューバート先生に似てらっしゃいましたし、それから……」
『ねえ、ミーア』
マーリオは、抑揚の無い声音で話します。
『アタシね。 ……アレンドラの事、思い出せなかったの。ううん。それだけじゃない。昔の事、どんどん忘れていくの。 ……だっておかしいじゃない。普通、仲の良かった人間を忘れるかしら……?』
「で、でも! お二人で話しながら、昔を懐かしまれてたじゃないですか! だから……!」
『いいえ。違うのよ。 ……何度も黙りこんでしまったでしょう? 都合が悪くて言えなかった訳じゃあないわ? ……わからなかったの。アレンドラが話す思い出が。 ……ねえ。アタシって、本当にマーリオ・ビスコンティーヌなのかしら。もしかしたら、実は違うのかも。……英雄だと思い込んでいるだけで、良く似た別人かも知れないわ。そういった事って、実例があるじゃない? だから……アタシ……』
思い詰めたように表情を曇らせ、マーリオは下を向きます。いつものオネェ口調に戻りはしたものの、マーリオは自分自身が信じられなくなっていました。動揺を露わにする程に、彼の身体はノイズが走ったかのように不明瞭になっていきます。
従兄弟である王太子は覚えている。けれど、気心の知れたあんなに仲の良かった友人の事は覚えていない。それに……彼が会いたかったアランは———既に、亡くなっている。
後悔すら果たす事のできない、この惨めで愚かな自分はなんだ。自然の摂理に反しながら、生き霊として中途半端に彷徨っている間に、彼の親しい人間はその殆どが亡くなっていたのです。自分が存在している意味など無いのではないか。 ……それならば、いっそ。
『……もう、潮時かも知れないわね。いつまでも未練がましく現世にしがみついているもんじゃないわ? 生き霊だろうが幽霊だろうが、潔く消えなくっちゃね……』
ポツリ、とマーリオは言葉を溢します。今度こそ、冗談ではなく、本当の意味での消滅を願った一言を。
彼の思いに直結しているのか、マーリオの姿は儚さを伴い、徐々に透き通っていきます。終わりの時が近づいているのを肌で感じて、ミーアは激しく動揺しました。
「そ、そんな事、言わないで下さいよ……マリー様がいなくなっちゃったら、私……」
彼女にとって、マーリオが隣にいる光景は、既に当たり前になっていたのです。いなくならないでほしい。消えてしまわないで。そう思いながら、ミーアは必死で考えます。なにか、ないでしょうか……彼を繋ぎ止められるなにかが。そうでなければ、マーリオが消えてしまう。考えて考えて、そうしてミーアが閃いたのが、三人目の”アラン”の存在でした。
「そ、そうだ! ねぇマリー様っ! 折角ですもん! うちのお爺さまのお顔を見ていって下さい! あの名簿に載っていたんですもん。アランさんがお爺さまだっていう可能性もまだありますよね? これでもうちのお爺さまは頭が良くって、子供の頃なんかは神童だなんて言われてたらしいんですっ! ね? ね? いいでしょう? だから……!」
『…………ありがとう、ミーア。そうね……じゃあ、肖像画、見せてもらってもいい?』
ゆらりとこちらを振り向くマーリオの姿は、そのほとんどが透きとおり、朧げです。それでも柔らかく微笑む様は、現実感を伴わない程に儚くて、息を飲む程に美しくすらありました。
「は、はいっ! もちろんですともっ! ……えっと、確か、お爺さまが亡くなってからは物置に大事に仕舞い込んでるって、母様が言ってました。 ……マリー様、ついて来て下さい!」
『ええ。 ……わかったわ』
力なく微笑みながら了承をすると、マーリオはふわりと浮かび上がり、ミーアの後をついていきます。ミーアは焦りながら、急いで自室から飛び出すと、廊下を駆け抜けて迷わず突き当たりの部屋へ進みます。
あまり開けられる事のないその部屋には、バンプキン家が今まで溜め込んできた数少ない思い出の品が仕舞い込まれているのです。祝い事にしか使用しない食器類や、歴代の当主の肖像画も、こちらに仕舞い込まれています。ただ、バンプキン家は気の遠くなるような昔から財産がなかったので、絵心のある領民に描いてもらっている、という形でしたが。
「ええっと……確か、お爺さまのだっていう肖像画は…………あ! あった! これです! キャンバスの裏にアランって名前が描いてありますもの!」
肖像画の仕舞い込まれた木箱を開けて、全身埃まみれになりながら、ミーアは目当ての古びたキャンバスを見つけると、両手で額縁を掴み、マーリオに良く見えるよう上に掲げます。
『これ…………』
マーリオはピタリと動きを止めました。ですがそれ以上反応が無く、ミーアは、キャンバスの影からチラりと顔を覗かせてマーリオの様子を伺ってみます。すると———
「マリー様……身体が……」
マーリオの身体に、淡い光が纏い始めます。輪郭すら霞んでいく程に。
『……ああ、アラン。貴方はこんな所にいたのね…………絵画になっていても、貴方の優しそうなお姿はちっとも変わらないのね……』
震える指先を伸ばし、マーリオはキャンバスにそっと触れます。愛おしそうに、けれど懐かしいものを眺めるかのように。キャンバスに描かれているアランは、年齢を重ね、バンプキン家当主として、なんとか領地を立て直そうとしている時分であり、彼が30代の頃の姿を切り取ったものでした。
学生だった時よりも更に柔和さと知性が滲み出ている肖像画のアランから、マーリオは、昔の面影を探しているようにも見えました。
『ミーア……ありがとうね』
マーリオは、嬉しそうにふわりと笑います。耳馴染みの良い優しい声音に、ミーアもつられて笑おうとして———マーリオの身体が眩い光に包まれていきました。光は徐々に激しさを増し、ミーアは咄嗟にキャンバスの影に隠れ、ぎゅっときつく目を瞑りました。
目蓋の裏に届くほど強い光が差し込み、辺りを窺うことが出来ません。光は次第に弱まり、やがてそれが止んだ時、ミーアは恐る恐る目を開きました。
「…………マリー、様………?」
名前を呼び、姿を探すのに、どうしても彼を見つける事が出来ません。先ほどまでマーリオが居た場所には、何もない床が広がっているだけ。それの示す意味は、つまり———
「………嘘」
マーリオの魂は解き放たれ、まるで最初から無かったかのように、忽然とミーアの前から消えてしまったのです。




