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第三十一話 心の澱

 アレンドラのいる部屋から退出すると、扉のすぐ側にヒューバートの姿がありました。どうやら壁に背を預けたまま、扉から漏れ聞こえる室内の様子を伺っていたようです。


「わっ! ヒューバート先生、ずっとここに居たんですか……?」 

「まあね。だって、しょうがないよね? お化けが見えてるだなんて話、気になってしょうがないじゃない? 爺さんは俺の前では話したくなかったみたいだし。 ……おっと。直に両親達が帰って来るんだったね? 早々にここを出てしまおうか。話は馬車の中で二人っきりで。 ……ね?」

「あ、はいっ」


 スルリとミーアの腰に手を添えながら、ヒューバートは玄関へ向かって歩みを進めます。いつもよりも歩くスピードを早めているヒューバートの様子を見て、両親を苦手としているのは本当なんだ。ミーアはそんな風に思いながら、促されるままに隣を歩きます。


 が、ぴったりと身体を密着させているこの状況に、なぜだかノーツ侯爵邸に来た時よりも親しい距離をヒューバートから感じました。

 彼等を見送る為、少し距離を置きながら家令が先導してくれています。


 玄関の扉を開いてもらい、馬車に乗り込んだミーアとヒューバート、それにマーリオは、家令に見送られながら、馬車に揺られてバンプキン邸への道を進んで行きます。

 行きは向かい合わせで座っていたのに、帰りはなぜか、隣にヒューバートが座ります。腰に添えられたままの手は、ずっと変わらずに。


「俺さ、爺さんとミーアチャンの話してるとこ、全部聞いてたんだよね。 ……ねえミーアチャン。隣に生き霊がいるって、本当? 今も側にいるの?」

「あ……はい、居ます。でも、今は多分、落ち込んでいるんだと思います。あんまり喋ってくれなくて」

『…………………』


 ミーアの言葉のとおりに、マーリオは憂いを帯びた表情のまま、何も話そうとはしません。


 ———アランが亡くなっている。掴みかけていた最後の希望が絶たれ、ぷつり、と糸の切れた人形のように力なく漂うマーリオの様子を眺め、ミーアはなんともいえない気持ちになっていました。それでも、ミーアの側を離れる事はないようで、向かい側の座席の上でふわりと浮かんでいます。


「ああ……探してた人が亡くなってたんだよね。 ……お気の毒だけれど、しょうがないよ。人はいずれ死んでしまう。寿命であろうが、事故だろうが、ね。 ……彼、ウチの爺さんと友達だったんでしょう? 爺さんも、あれで結構危ないんだ。年取ってから心臓が弱くなっちゃってさ。次に発作が来たら助からないかも、って言われてるんだよね」

「えっ! ……そ、うだったんですね。 ……でしたら、お元気な時にお会いできて良かったです。マーリオ様とも楽しそうにお喋りしてましたし」

「……そうだね……」


 ギュッと、腰に添えられた手の力が増しているような気がして、ミーアは不思議に思い、ヒューバートを見上げます。


「ヒューバート先生……? あのう……?」

「…………ねぇ、ミーアチャン。爺さんから、俺の話、聞いた……?」

「あ……えっと、聞いてません」

「本当……?」


 怯えたように瞳を揺らしながら、ヒューバートは問いかけました。秘密にしていたかった自身の過去を、ミーアが知ってしまったのかもしれない。恐る恐る、確認するかのように。


「はい。そう言う話は本人がいないところで言っちゃいけないんです。だって、自分の秘密を知らないところで話されたら嫌じゃないですかー! 私も覚えがあるんです。だから、秘密は秘密のまま、大事に閉まっておく、という事で」

「……そっか。ねえ。ミーアチャン。俺の秘密の話、聞いてほしいって言ったらさ、君は聞いてくれるかな? 誰かに話してしまえばさ、もしかしたら、気分がスッキリするんじゃないかって、思うんだ。だから……」

「ヒューバート先生……」


 俯き、小さくなっていく声に、彼が幼い子供の様に怯えている様な気がして、ミーアは出来る事ならば力になりたいと思いました。だから———


「……もちろん! 私でよければ聞きますとも! なんでも言ってみてください!」

「……ん。ありがとう……」


 そう言いながら、ヒューバートは小さく溜息をつき、目を瞑ります。なにから話そうか。少しのあいだ考え、ややあって目蓋を開き、重く言葉を紡いでいきます。


「これはさ、本当によくある話なんだけれど……俺、家に居場所がなくてね。まあ、さ。三男なんて、長男になにかあった時のストックとしても中途半端な立ち位置だし、どこの家でも似たようなもんなんだろうけど、ね」


 頭の中で言葉を整理しながら、ヒューバートは続けます。


「俺が13歳ぐらいの時かな。長男が落馬事故で死んじゃってさ、それで次の相続候補に俺へお鉢が回ってきそうになった訳。自分で言うのもなんだけど、次兄よりも俺の方が頭が良くて優秀だったからさ、急にチヤホヤされて戸惑ったよ。それまで俺の事なんか放置してた癖に、ね。でもね? 蔑ろにされた方は、例え血が繋がっていようとも恨みの感情止められないもんでさ。 ……いや、血が繋がってるからこそかもしれないね。それからは酷いもんだったよ。嫉妬した次兄から食事に毒を盛られたり、事故にみせかけて殺されそうになったり。両親なんか見て見ぬふりをするんだから、早々に俺の方から見限ってやったんだ。そんな中でも、爺さんだけは俺の事を気にかけてくれたんだよね……」

「ヒューバート先生……」


 額をミーアの肩に押し付けて囁くヒューバートの声は、どんどんと小さくなっていきます。幼少期のトラウマが、ヒューバートの心を今でも蝕んでおり、酷く苦しそうに吐き出し続けます。


「だから……駄目な俺を演じてきたんだ。女にだらしなくて成績も下位を彷徨っていれば、家も俺を見放すだろうと思ってね。思惑は上手くいって、侯爵家を相続するのは次兄の手に収まり、俺は命を狙われなくなったけれど……俺の手に残ったのは、屑でどうしようもない自分の存在だけだ。初めはフリだけの筈だったのに、演じているうちにそれが本物になっちゃったんだよ。 ……ねえ、ミーアチャン。俺はどうすればいいんだろうね」

「……………」

「ミーアチャン?」


 自分はなにを話しているのだろう。一介の生徒に身の上話を聞かせたところで何になるというのだろうか。目の前の少女をただ困らせているだけで、こんな男の話等聞かされても受け止めきれないかもしれない。ヒューバートはそう思いながら、黙ったままのミーアの顔を覗き込みました。


 すると、彼女は囁く程に小さな声音で「うーん」と唸っており、眉間には深いシワが刻まれています。彼女なりに、ヒューバートに対して、なにか良い言葉を伝えられないかと考えていたようでした。


「えーと……ヒューバート先生、お話しても?」

「あ、うん……どうぞ……?」


 なにかを思いついたようでパッ! と顔を輝かせたミーアは、肩にくっついたままのヒューバートを特に気にした様子はなく、普通に話しかけてきました。対してヒューバートの方は、妙に明るいミーアの態度にやや戸惑っています。


「すみません、最初に謝らなくっちゃいけないと思いまして……! 私、ヒューバート先生って生まれついてのタラシだと思ってました。 ……だから、ごめんなさいっ!」

「あ、うん……? それは、いいんだけど……」


 まさか謝られるとは。こういう重い話をされたら、普通相手は同情するものだと思っていたヒューバートは面食らってしまいます。


 彼としては心の淀んだ澱を吐き出してしまいたかったのであって、別に同情されたい訳でもなかったのですが、予想もしないミーアの態度に却ってどうすればいいかわからなくなっていました。


「ええ、と……あ! そうじゃなくってですね……! ヒューバート先生の過去、お辛かったですよね……? でも、安易に同情されるだなんて、なんだかそれだけで惨めになりませんか? 例えば……ええっと、私の話で恐縮なんですけど、うちって、ご存じの通り貧乏なんです。しかも幼少期は今よりももっと貧乏で。お芋の収穫時期が来るまではご飯も三食雑草だったんですよね、へへ!」 

「それは……可哀想に……」


 三食雑草という、今時庶民でも経験しない様な想像を絶する食生活を暴露され、ヒューバートは無意識に同情の言葉をかけてしまいます。すると、ミーアは真っ直ぐ前を向いたまま、力強く頷きました。


「そう! それです! 皆さんそうやって仰るんですけど、言われた方は逆に惨めな気持ちになるんですよ。無いなりに頑張って頑張って毎日必死で生きているのに、安易に同情されるのは傷つくんです。しかもですね、優しくするにしてもやり方が酷いんですよ? 小学部の時なんて、クラスの子達から『貧乏人はこれでも食ってやがれ!』って言われながらパンとかクルミとかぶつけられましたし!」 

「ええ……」


 自分とはまた違った、ある意味酷な過去を話すミーアに、ヒューバートは未知の世界の出来事を聞いている気分になってきました。この話の着地点が一体何処へ落ち着くのか、変に気になってきます。自分の抱える澱を聞いてもらう筈が、いつのまにかミーアの話にすり替わっているのに気がつかないまま、彼は変な合いの手を入れていました。


「だから思ったんです。人間よりも虫の方が、酷い事もしないし寂しい時は側にいてくれます。しかも人の役にたってくれるんですもん! ミミズのパーシィレノアはその頃からの付き合いなんですけど、あ! 今の子は代替わりをしていてちょうど15代目ぐらいなんですけどねっ! ……後ろ向きな考えかもしれませんが、誰かに期待をするからいけないんです。だから裏切られた時に酷く傷つく羽目になる。自分だけを見ていれば、そんな事、起こらなくって済むでしょう? もちろんずっとそのままじゃ駄目ですけれど、外に目を向けるのはちょっとずつでもいい。だから……最初は自分の中に閉じこもったまま、周りなんか見ないで歩いて行くっていうのはどうでしょう? あ! もちろん私が責任もって側にいますよ? それに、レジーさんも、きっとヒューバート先生の事を馬鹿にしたり故意に傷つけたりしないと思います! ……って事で、いかがでしょうか……?」

「…………ふふ」


 突然、身体を震わせて笑い出すヒューバートに、ミーアはぎょっとしてしまいます。


「ヒューバート先生……? ど、どうされたんですかっ! はっ! もしかして……過去の行いに耐えきれずに、遂におかしくなってしまった、とか……?」

「ち、ちがうよ……! ふふ……! やっぱりミーアチャンは変わってるよね。はぁ……なんだか、今までの自分が馬鹿らしくなってきちゃったよ」

「それなら良かったですけど……なんでしょう。釈然としないのは」

「やだなぁ。これでも褒めてるんだよ? ……ありがとね、ミーアチャン」


 こてん、と再びミーアの肩に頭を乗せたまま、ヒューバートは瞳を閉じて、馬車に揺られるがままに身体を預けてきました。いつになく近い距離のまま、ミーアはどうすればいいのかと視線を彷徨わせてみたものの、特にいい案が思いつく筈もなく、ヒューバートの好きにさせたまま、自宅に着くまでの道のりを黙って馬車に揺られるのでした。




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