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第二十八話 ノーツ公爵邸

「わあ……! お、おっきなお屋敷ですね……!」

「そうかな? まあ、腐っても侯爵家だし、こんなもんじゃない?」

「な、なるほど……?」


 ミーアは現在、ヒューバートの実家へ訪問しており、豪華絢爛なこのお屋敷を見上げては感嘆の息を吐きます。


 彼の実家であるノーツ侯爵家は、淡いクリーム色の外観をしており、周囲を取り囲む生垣には黄色のミモザの花々が美しく咲き誇っています。彼の母であるノーツ侯爵夫人が好きな色で屋敷を整えているのだそうで、落ち着きながらも柔らかな印象を感じさせるものでした。


「そんなにかしこまらなくてもいいよ。 ……さあ、おいで。ミーアチャン」

「あ……はい。では、お言葉に甘えて」


 先に馬車から降りたヒューバートがこちらへ手を差し出してくれます。その手をおずおずと取ると、ぎゅっと握りこまれ、手を繋いだまま、ミーアは馬車を降りました。


 見ればみるほど立派なお屋敷です。果たして制服姿のまま来ても良かったのか。ドレスを着てもっと身なりを整えた方が良かったんじゃないかとばかりミーアは考えてしまいますが、その間もヒューバートは玄関へ向かって優雅な足取りで歩いていき、ミーアも手を引かれるままに、慎重に彼の隣を歩いていきました。


 玄関に辿り着き、ヒューバートはノッカーに手を掛け何度か扉に打ち付けます。すると、間をおかずに扉は開かれて、この家の家令と思われる老人が現れました。


「お帰りなさいませ。ヒューバート坊っちゃま。随分とお久しぶりでございます。お元気になされていましたでしょうか?」

「ああ、久しぶりだね? 五年ぶり、ぐらいかな? 相変わらず、ここは呆れるぐらい変わらないね? ……どうせ、両親達は出払ってるんだろう?」


 飄々と返すヒューバートに、あれ? とミーアは思います。一見、普段通りのようにも見えるのですが、なんとなく、言葉の端々に皮肉げなものを感じてしまうように思うのです。彼が以前言っていた、家族と上手くいっていないという話は、どうやら本当のようでした。


「爺さんが遊びに来ているんでしょう? でも、あまり身体の具合が良くはないんじゃなかったのかな? ……今はどうだい?」

「…………はい。大旦那様は今、床に伏せって居られます。こちらに来られたばかりの頃はお元気そうだったのですが、長旅でのご無理が祟ったようでございます。まだ動けるうちに、と遠路はるばる参られましたのに、お可哀想な事でございます」

「えっ……!」


 感情を込めずにあんまりにも淡々と話すこの家令に、ミーアはおもわず声を漏らしてしまいます。

 と、そこで初めて家令はミーアに向き直り、上から下まで全身をざっと眺めた後、表情を崩さずにヒューバートへ問いかけます。


「ヒューバート坊っちゃま。こちらの女性が……」

「うん。俺の付き添いの仔猫チャン。どう、可愛らしい子でしょ?」


 それには一切答えずに家令は一礼した後、身体の向きをくるりと変え「…………では、ご案内致します」と言いながら先頭を歩いていきます。


『あのおじいちゃんのお眼鏡に敵わなかったみたいね?』とか言いながら冗談めかしていじってくるオネェに対して、ミーアは不満な気持ちを隠さずに頬を膨らませながら、ヒューバートと共に後に続きます。


 先頭を進む家令の後ろを歩きながら、ミーアは屋敷の中をキョロキョロと見回してしまいます。通路の端々には、高名な芸術家の作品がズラリと並べられており、それらを眺めながら、奥へ奥へと通路を進んでいくのですが、その間ヒューバートも家令も一言も喋る事はなく、目的地までの通路を無言のままひたすらに進んでいる為、ミーアはなにやら居心地の悪さを感じました。


 それにしても、随分と屋敷の奥まで来たでしょうか。客間に通されるのかと思っていたミーアでしたが、この様子だとどうも違うようです。


「あのう……一体どちらに向かってるのでしょう…」


 恐る恐る尋ねてみると、家令はぴたりと動きを止めて、無表情のままこちらを振り向きます。


「……着きました。大旦那様の部屋にございます」

「えっ……!」


 家令の側には荘厳な造りの扉があります。この奥に、マーリオの思い続けた特別なアランがいるのでしょうか。緊張と、僅かな希望と。二つが混じり合った複雑な気持ちのまま、ミーアはマーリオをチラリと横目で盗み見ます。


 彼は瞳を潤ませてじっと佇んでいました。どこかそわそわとしながら落ち着かないようにも見えるその姿は———言うなれば、押さえきれない程の期待、でしょうか。


 次いで、視線をヒューバートの方へと向けると、相手もちょうどミーアを見ていたようです。「さ、どうぞ?」そう小さく囁きながら、彼は小首を傾けて、ミーアに微笑みました。


 扉をノックする前に、家令が注意を促します。


「先程もお伝えした通り、大旦那様は具合がよろしくありません。あまりご負担になるような言動は謹んで頂きます様、お願い申し上げます」

「わ、わかりましたっ」

「ハイハイ、わかっているよ? そんなに念を押さなくても大丈夫さ。お前の爺さん贔屓は相変わらず変わらないねぇ」


 神妙に頷くミーアとは対照的に、軽口を言いながら受け流すヒューバートでしたが、表情が少し、固い様です。彼も緊張しているのかもしれません。


「それでは……」


 コンコン、と軽快な音を響かせて、家令は扉をノックします。

 内側からは、少しくぐもった声で入室を許可する声が聞こえました。いよいよ最後のアランとのご対面です。家令は扉を大きく開いて室内へ入りながらドアノブを押さえ、二人の入室を確認した後に、静かに扉を閉めてくれます。


 緊張からドクドクと脈立つ動悸を抑えながら、ミーアはヒューバートに続いて室内へ足を踏み入れました。


「やあ、いらっしゃい」


 耳に心地よいバリトンの声がベットの上から聞こえてきます。ですが、こちらからはちょうど逆光になっている為、その人物の姿をうまく捉える事が出来ません。窓が開けられているようで、流れてくる穏やかな風をミーアは心地よく感じます。カーテン越しに降り注ぐ陽光に目を細め、ベットの上に佇む人物の顔を確認しようとじっと凝視します。


「私にお客様だなんて何年振りの事だろうねぇ。 ……ヒューバート。お前は随分とハンサムになったなぁ。本当に久しぶりだ。会うのは10年振りぐらいになるのかな? 無理してこちらに来てみるものだねぇ。天からの迎えがくる前に、お前とは会えないのではないかと思っていたよ」

「やだなぁ、爺さん。俺が会いに来なかったからって恨み言かい? でも、軽口を言えるのならまだまだ大丈夫そうだ。 ……今日はこの子がアンタに会いたいっていうから連れてきたのさ。 ……ほら、ミーアチャン?」

「あ、はい……!」


 背中をポン、と軽く押されて前のめりになりながら、勢い良くお辞儀をして、ミーアはもう一度チラリとマーリオの様子を窺います。ですが彼は、先程と変わらぬままじっと眺めるばかりでミーアに何か伝えてくれる訳ではありません。このアランの表情から昔の面影を探しているのでしょうか。

 マーリオの反応を確かめるのを諦め、ミーアはハキハキとした声で挨拶をします。


「あ、あのう……初めまして、ムッシュ。私、ミーア・バンプキンともうします。ヒューバート先生には大変お世話になっており……あ! 学業では全然お世話になっていないのですが……! ええっと……」 

「……ミーアチャン……?」

「あっ! すみません、ヒューバート先生! ええと、そうじゃなくって! ……あのう、ムッシュ。変な事をお尋ねしても良いでしょうか……?」


 チラリ、とミーアは老紳士の様子を眺めてみます。


 その頃には、ミーアの目は陽射しに慣れてきたようで、シルエットのみだった老紳士の姿が徐々に浮かび上がってきました。白いものが混じった銀髪と、湖面のように淡い水色の瞳をした老紳士は、ヒューバートによく似た風貌をしており、きっと彼が歳をとったらこうなるだろう、という面立ちをしていました。もっともこの老紳士の方が真面目であり、決して女性に対してだらしなくはないでしょうが。


 今は……ミーアの問いかけを受けて、怪訝そうに片眉を上げています。


「その制服……お嬢さんはヒューバートの教え子なのだね?」

「あ、うう〜ん……? そ、そうで、す?」


 厳密には違うので返答に困ってしまいます。が、正直に実は貴方にお会いする為にこのタラシに近寄ったのですだなんて言える筈もなく、ミーアは歯切れの悪い返事をしてしまいます。ですが、先程から妙な反応をしているこのお嬢さんの事を特に気にした様子もなく、老紳士は話の続きを促しました。


「なにやら変わったお嬢さんのようだね? 聞きたい事というのはなにかな? 私に答えられる事ならば幾らでも答えてみせようか。……さあ、お嬢さん?」

「あ、う……では、お言葉に甘えて。えっと……私は古い友人の最後の頼みで、ある人を探しています。 ……貴方は、マーリオ・ビスコンティーヌ氏をよくご存じですか……?」

「マーリオ……」


 老紳士にとっては思いもよらなかった人物の名前だったらしく、驚いた顔をしています。ですが、瞳の奥には懐かしいものを思い出しているかのような、温かな光が灯っているように見えました。


「マーリオか……懐かしいねえ。当時は彼を探しに良く図書室まで行ったものだよ。私達はとても仲が良かったんだ。いやあ、まさかお嬢さんの口からその名前を聞くだなんてねえ。長生きはしてみるもんだ」

「じゃ、じゃあ! 貴方がマーリオ様の一番のアランなのですねっ!」


 見つけた! 彼こそがきっと、特別なアランだ。 ミーアは表情をパッ! と明るくし、期待の籠もった眼差しで老紳士を見つめます。


『………アレンドラ……?』

「え? アレンドラって……」


 隣でマーリオが呟く声を拾い、うっかり声に出してしまったミーアでしたが、その名前を聞いた途端、老紳士は「いかにも」というように頷きます。


「確かに私がアレンドラだが。 ……いや、お嬢さんはアランの事を聞いているのかな? そちらは私の仮り名になるねえ」

「え……? えっと、それってどういう……?」

「ああ。今では廃れた風習の一つにね、子供が成人するまでは違う名前を名乗る、というのがかつてのこの国にはあったのだよ。我が家の男児は身体の弱い子が生まれやすくてねえ。幼い時分に悪魔に魂を取られないように別の名前を名乗らせよう、と考えた我々のご先祖様達が始めた慣しのひとつだ。それで、例に漏れず私も仮り名を名乗っていたのだよ。まあ、正直そちらの方は好みではなかったから、友人達には『アレンドラ』と名前で呼ばせていたんだがね!」

「あ……そう、なんですね……!」


 老紳士は砕けたように話しながら悪戯っぽく笑います。懐かしい名前を知っていたミーアに対して、それまで抱いていた不信感が払拭されたようでした。


「そうだ、申し遅れたね。 ……私の名前は、アレンドラ・F・ノーツと言うんだ。 改めて、宜しく頂こう。お嬢さん?」


 スルリ、と流れる様に手を取られ、手の甲に口づけを落とされます。


「あ! 爺さん何してんの? 俺の仔猫チャンに勝手に触らないでくれるかな?」

「はっはっは、ヒューバートがムキになるのは珍しいねえ。 ……いやあ、今日は実に愉快な日だ」

「…………それだけ元気だったら、しばらくは死にそうにないね?」


 老紳士とその孫の攻防を見守りながら、もしかしたら彼は特別なアランでは無いのかもしれない。そんな風に考えて、ミーアはマーリオの横顔を横目で眺めます。


 ですが、マーリオはまた、心ここにあらずといったふうにぼんやりとしながら、自分と仲の良かったというアランを、じっと眺めているのでした。

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