第二十七話 司書とチャラ男とオネェと
翌日、お昼休みも半ばを過ぎた頃、ミーアはさっそく図書室へと赴きます。ちょうどそこにはカウンター席に座りながら本の補修を行っていたレジーの姿があり、声をかけると焦ったように本を落としながら身を乗り出して、矢継ぎ早にミーアに質問をしていきます。
「あの後なにもありませんでしたか?」「ヒューバート君にまた触られたりしませんでしたでしょうか?」等の問いかけに、ミーアは特になにもなかった事や、友好的にご飯を食べ終えて家まで送ってもらった事を伝えると、レジーはやっと落ち着いたらしく、ほっとした顔をしながら力なく椅子に座りました。
「良かった……あの後、とても心配していたのです。無理矢理にでもついていけば良かったと何度思った事か。貴女が無事で本当によかった」
「レジーさん……」
申し訳なさそうに眉をへにゃりと下げながら、ミーアはカウンター席へと腰を下ろします。
「なんだか心配かけてしまってすみません。でも、ノーツ先生って悪い人間じゃないみたいです。昨日なんか自分の分のご飯までくれたんですよ?」
「そうだったんですね。 ……彼も案外優しいところがあるんですね」
「ええ! 世間の評判なんて、あまり当てにならないのかもしれません。全然ろくでなしなんかじゃありませんでしたもの」
「……そうですか。それなら貴女に対してはきっとそうなのかもしれませんね」
「? それってどういう意味……」
なにやら歯切れの悪いように意味深な事を言うレジーの言葉が引っかかり、思わずミーアは聴き直そうとします。が、丁度扉が開く音がしてそちらを振り向くと、噂の人物が顔を覗かせていました。
「や! ミーアチャン、こんにちわ。 ……昨日は楽しかったね?」
颯爽とこちらに向かってくるヒューバートは、ミーアにむけて色気の滲んだ流し目を送り、流れるように彼女の手を取り口づけを落とします。
「あ、ノーツ先生! 昨日はご馳走様でしたっ」
「いいんだよ、俺と君との仲じゃない? また時間を作ってご飯を食べに行こう?」
「わあ! いいんですか? えへへ! すごく助かります!」
人は短時間でこのように仲良くなれるものなのでしょうか。昨日の放課後までは、まだ距離感があった筈のこの二人は、今では昔からの知り合いのような雰囲気すら醸し出しています。その様子を眺めながら、レジーはポツリと呟きました。
「……本当になにもなかったんですよね……?」
『そのはずなんだけどねえ……やだわぁ! あのタラシにつられて悪い子にならなきゃいいけど」
隣で行われている光景を眺めながら、またもや息ぴったりな会話をする二人を横目で見ていたミーアでしたが、逆に彼女の方も、レジーに対して本当にオネェが見えてないんですよね? と内心密かに思っていたところ、ギュッと手を握られて視線を戻します。
「あのう、ノーツ先生……?」
「いやだなぁ、ミーアチャン。俺の事も名前で呼んでよ? ヒューバートって」
「いやでも……」
「どうして? レジーセンセの事だって名前で呼んでるでしょ? なら俺だって呼んでくれても良いはずだよ? ……ね?」
うーん……と唸りながらミーアは考えます。レジーの事は成り行きで自然と名前呼びをするようになったのですが、このチャラ男を名前呼びした場合、彼を慕う女生徒達からボコボコにされてしまうのではないかという一抹の不安が付き纏います。が。物事を深く考えるのが苦手なミーアが下した結論は「ま、いっか!」でした。
「それもそうですね! では、折角なのでお名前で。えーと? ヒューバート先生……?」
ヒューバートは不満そうにピクリと片眉を動かすと、ミーアの腰へするりと手を這わせて力強く抱き寄せます。「わっ!」と驚いた声をあげながらミーアは彼の胸元に顔をうずめる体勢になり、身動きが取れません。
「やだなあ、ミーアチャン。もっと親しげに呼んでよ? もっと恋人みたいにさ。例えば……そう、愛しのバートってね……あたっ」
腕を組みながら一連の流れを見守っていたレジーでしたが、流れるような動作でカウンターに置かれた分厚い本を手に取ると、調子に乗り出したヒューバートの頭へ勢い良く振りかぶりました。本は鈍い音を立てながら彼の頭にめり込みますが、それがなんだというのでしょうか。
仮にも教師ともあろうものが生徒に手を出すとは何事か! これは正義の鉄槌である。そう。マーリオを除いた中で一番の年長者であるレジーは、正しい大人として彼を導いてあげねばなりません。
「こらヒューバート君!! 君は本当に学びませんね! 良い加減留置所に送られても擁護できませんよ?」
「あれ、レジーセンセ、妬いてるの?」
「はあ!? な、ななななにを言ってるんですかっ! 私はただ、君の為を思ってですねっ!?」
「そうだ、レジーセンセもミーアチャン、って呼べば良いよ? 二人共知らない仲じゃないんだしさ。ね?」
腕の抱擁が緩んだ隙に、ミーアは胸板に手を押し当てて隙間を作ると、ヒューバートの身体越しにひょこっと顔を覗かせます。
「あ! そうですねっ! 確かに私だけ名前で呼ばせて頂いてましたし、レジーさんも名前で呼んでください。是非っ」
「あ……うう……でも……」
『あらぁ、この子、すごく照れてるわねぇ〜? 顔が真っ赤よ?』
視線をウロウロと彷徨わせていたレジーでしたが、こほん、と咳払いをして真っ直ぐにミーアを見つめます。
「えっと……では……み、ミーアさん……?」
「はいっ! レジーさん?」
ほんわかとした空気が辺りに漂よいます。
「……なんだろうねこの空気。けしかけておいてなんだけどさぁ。ちょっと妬けちゃうね?」
「ヒューバート先生? わっ」
ぎゅう、とミーアを包む抱擁が強まります。
「あ! こ、こらヒューバート君! 君はまたしても性懲りもなく!!」
『これがモテ期ってやつかしらねぇ……はっ! そうだわミーア! ちゃんと堪能しておくのよっ! 今だけしか体験出来ないこの光景をっ! 歳とったらこんな事、絶対におこらないんだからぁ!』
などと隣でヤジを飛ばしながら舐めるように近距離で凝視し続けるオネェに気が散りながらも、ミーアはこの二人との仲が更に良くなれたことに嬉しさを感じていました。
「あっそうだ、ミーアチャン? うちの爺さんに会ってみる? 今実家に遊びに来ているみたいだから、ちょうどいいんじゃないかな?」
「えっ! いいんですかっ! 是非お願いします!」
「ん。じゃあ今日の夕方空けておいて。うちの実家にご招待するから」
何日か先の予定なのだろうと早合点していたミーアは、まさか当日の事とは思わずに言葉に詰まってしまいます。ヒューバートは学園近くの高級アパートメントに間借りしている為、普段はほとんど実家に帰っていないようでした。
それを、一生徒でしかない自分が気軽に会いに行っても良いものなのでしょうか。とは言え、早々に本来の目的であった彼の祖父———アランに会えるのは大変ありがたいのですが。 ……そう思ったミーアは躊躇いがちに聞いてみます。
「えっと、今夜……です? あのう、突然ご実家にお邪魔してご迷惑になりませんか?」
「まあ……爺さんにだけは会いたかったし。タイミング的にもちょうどいいのかな。こっちもミーアちゃんの都合に乗っかっただけだし、別に気にしなくても良いよ?」
「それなら安心です。じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しますねっ」
言いながら、ミーアはヒューバートを見上げてにへらと笑い、気づいた彼の方も妙に色っぽく微笑みます。それにしても、この少女の警戒心の無さ。未だに抱かれたままなのに顔一つ赤らめずに普段通りにのほほんとしている様は、幾らなんでも馴染みすぎではないでしょうか。心の奥底にわだかまる不安を、レジーはどうしても拭う事が出来ません。
「連日ですか……? み、ミーアさん、大丈夫なのでしょうか。いやでも今回はヒューバート君の実家ですし、ある意味安全なのやも……」
『ああ司書君! 可哀想に……! でも今回はこのミーアの事を責められそうにないの。なんたって、あの人に会えるかも知れないんですもの。 ……だから、ごめんなさいね?』
マーリオは鳩尾のあたりを押さえながら呻くレジーの側に移動をして背中を摩るような仕草をすると、申し訳なさそうに謝罪の言葉を囁いています。心配する様子をしつつも、これだけはマーリオも譲れないようでした。
「もう、レジーさんってば心配性なんですからっ! 大丈夫ですって! ヒューバート先生ってそんなに害は無いんですよ? なんだかちょこちょこ触られるぐらいですし、これといって大した被害もないですもん」
「……それが大丈夫じゃないのですが……う、胃が……」
『ごめんなさいね、司書君。目の前でベタベタ触るこのタラシを止められないアタシを、どうか許して頂戴……!』
「ええ……」
よよよと泣くような仕草をするマーリオを眺めながら、ミーアはいつものように嘆息するのでした。




