第二十六話 帰宅
和やかに食事が済んだ後、ミーアはあっさりと家まで送ってもらいました。マーリオなんかは『気をつけなさいよ? きっとここから家に連れ込まれてアンタなんかぺろっと丸呑みかもよぉ〜?』等と言いながら始終警戒していたのですが、それもどうやら杞憂に終わったようです。
ミーアの両親は、娘がまたもや豪奢な馬車で送られてきて、しかも今度は見た事もないくらい上等なドレスを着ているのを見て激しく動揺していました。ミーアの母親の方は娘の手を取って馬車から降り立ったのが顔の良い男だったので色めきたち、キャーキャーはしゃいでいます。
ヒューバートは例の如くチャラさを隠そうともせず、ミーアの母の手を取り軽く口づけをしています。先程までの本心を見せてくれた彼の素顔はなりを潜めてしまっていますが、少しだけ、ミーアに心を開いてくれているようで、周囲に気づかれないように、こっそりと微笑んでくれていました。
それをバッチリと見ていたマーリオは嫌そうな顔をしてましたが。
僅かな時間、両親を交えて和やかに話をした後、ヒューバートは馬車に乗り込む前に、ミーアの耳元に口を寄せて甘い声音で囁きます。
「また明日。ミーアチャン?」
「———っ! 今名前……!」
吐息が耳元に当たり、ミーアは真っ赤になりながら、ヒューバートが自分の名前を呼んでくれた事に驚いていると、ヒューバートは愉しそうに投げキッスをしながら馬車に乗り込み、帰路につきます。
彼を乗せた馬車が完全に見えなくなるまで手を振り続けていたミーアでしたが、それまでぎこちなく応対していた父親が慌てて彼女に駆け寄り、両肩をガシッと掴んで娘に質問の嵐を浴びせていきます。
「今の顔の良い男はなんだ?」「まさか変な遊びをしてるんじゃないか?」「どうして最近歳の離れた男性ばかり連れてくるのか」「そういえば最近ルイズ君を見ないがどうしたのか」と矢継ぎ早に質問をされ、どう言っていいものか分からず上手い言葉を見つけられずにいると、隣でマーリオが『こういう時は任せて頂戴?』と頼もしく名乗り出てくれます。
耳元でボソボソと囁きながら父親が納得しそうな言い訳を教えてくれるオネェにミーアは心から感謝しながら、マーリオの考えた言葉をそのまんま伝えて躱していきます。
一応納得した様子の父親の手をやんわりと剥がし、「明日も学園があるのでもう寝ますね?」とだけ伝えて、自室に引き籠る事に成功しました。
「ふーっ! マリー様のお陰でなんとか切り抜けられました! ありがとうございますっ」
『うふふ! こういうのは昔から得意なの。学生時代なんか、よく教師を言いくるめて単位を貰ったりしたものよ? オッサンを打ち負かすのは得意なんだからぁ!』
「あ、ひょっとして常習犯ですね? でもすごいです。私じゃ咄嗟に言い訳なんて思いつかないですもん」
ふー、とお腹の底から息を吐きながら、ミーアはドレスのままベットに腰掛けてひと息付きます。両手をシーツに沈ませながら、脚をブラブラと揺らして食事の余韻に浸っていました。
「それにしても、お夕飯、美味しかったです……! ノーツ先生の分も頂いちゃったし、きっと、今日で結構太れたと思います」
『ああ……』
そう呑気に話すミーアに、マーリオは頷きかけて———ハッ! と気がつきます。
『ってそうよアンタ! なんだかんだで上手く行ったから良いものの、あんなチャラいのにホイホイついて行っちゃあ駄目よ?』
「す、すみません……でも、なんとなくですけれど、一瞬、ノーツ先生の本心が垣間見れたような気がするんです。やっぱり、ただチャラいだけじゃないんですよ。なにか理由があるのかも」
『そうかしらねぇ……?』
力説するミーアの言葉を、マーリオは余り信じていない様子です。彼の中でヒューバートは初対面の印象が悪く有害な人物、という評価のままの為、それを覆すのは難しそうでした。
『ま、アンタの言う通りだったにしても、その点は本人次第よね? 子供ならいざ知らず、あのタラシ、もういい歳なんだもの。変わりたいなら自分で気付いて変わらなきゃだめだわ? そうだ! アンタすぐ食べ物に釣られるんだから駄目よ? ご飯ならアタシが連れてってあげるからっ! ね?』
「いやマリー様……お気持ちは嬉しいんですけど、それって周りからは私一人でお店に来てるみたいに見えますよね……?」
『やあねぇ、野暮な事言うんじゃないわよ? これでもね、アタシ、約束を破った事が一度も無いの。意地でも元の身体に戻ってアンタを連れていく事にしたわ! 危なっかしくて見ちゃいられないんだもの。だからアンタもアタシの身体が起きれるようにちゃあんと力を貸すのよぉ〜? 良いわね?』
「マリー様……! はい! 勿論ですとも!」
バチン! 色気を含んだウインクをしながら微笑むマーリオに、ミーアは嬉しくなって元気よくお返事をします。近頃の彼女は、なんやかんやで面倒見の良いこのオネェの性格に引っ張られているらしく、あまりうじうじとしなくなってきました。
「よし! ノーツ先生ともっと仲良くなれるように、私、頑張りますね? 結構良い具合に進展していると思うんです。だって私の事、名前で呼んでくれたんですよ? 仔猫チャンからまっとうな人間になれたんですから! これってすごい事じゃありません?」
『まあそうなんだけど……やだわぁ、アンタ、変なのに好かれちゃったんじゃなぁい?』
「まあまあ、良いじゃないですかっ! ご飯をくれる人に悪い人間はいませんものっ! きっと大丈夫ですよ〜!」
とっても良い笑顔を振りまきながら熱弁し続けるミーアを半眼で眺め、こんなにもチョロ過ぎてこの娘、大丈夫かしら? と不安になりながら、マーリオは頬に手を当てやれやれと言わんばかりに溜息をつきます。
『…………すっかり餌付けされてるじゃないの……やだわぁ。アタシ、すっごく心配』
「もう、マリー様ってば気にしすぎです! そもそも私がモテる訳無いじゃないですかっ」
『う〜ん……まぁ、これがどんな結果になるかは、明日学園に行けばわかる事ね? ……そうだわ! まずは司書君に食事の事をちゃあんと話すのよ? あんなに心配してくれたんですもの。恋愛抜きにしてもああいう人間は大事にしなくっちゃ駄目よ?』
「はい! 勿論ですともっ! ……あ、じゃあドレスを脱ぐのでマリー様はあっち向いてて下さいね?」
『はいはい。わかったわよぉう〜』
後ろをくるりと向きながら、マーリオはミーアが脱ぎ終わるのを待っていました。が、慣れないドレスの着脱に手間取っているらしく、なかなか終わりそうにありません。うー、だとかあー、だとかの呻き声を聞きながら待ち続けること半刻、いい加減待つのに飽きてきたマーリオは、普通に後ろを振り返りました。
『…………ねえアンタ、誰か呼んできた方がいいんじゃなぁい?』
「おわぁっ! なに振り返ってるんですか!! エッチ! スケベ!」
『ハン』
罵倒の言葉を受け流し、オネェは鼻で嗤いました。そのようなモヤシ体型に、色気のある感想など抱くはずがないだろう愚かな小娘めっ! たった二言。彼の発した言葉にはその全てが滲んでいました。
「ひ、久しぶりに鼻で笑われた……! いやでもモヤシじゃないですもんっ! ほら、こことか見てくださいよ!? 肉もこんなについてふっくらしたんですからっ!」
『やだアンタなにしてんのよっ! 見せびらかしてないで早く服着て頂戴! いい? んなもん見せびらかされてもね、こっちもいい迷惑なんですからね!』
「あーっ! ひ、酷い! ……というかマリー様! ドレスが脱げません! なんとかして下さい……」
『ほらみなさい! とりあえずアンタ、母親を呼んできなさいよ……?』
「…………そうします」
不毛なやり取りを一通り終えた後、着替えを諦めたミーアはポツリと呟きました。




