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夜の風が肌に冷たい。
ひんやりとした石造りの城壁に立ち、わたしは東の空を望む。深い霧の向こうに、全てを覆い尽くす闇色が広がっている。
わたしがこの国の正式な王太子妃になってから、ひとつ、またひとつと季節が移り変わり、もう少しで豊穣の季節が終わろうとしていた。
夫であるセイラム様との仲は、可もなく不可もなく。彼はわたしを、わたしは彼を、信頼のおけるパートナーとして認め合っている。
そこに愛があったとしても、それは恋愛におけるものではなくて。彼の優しさに触れるたびに、わたしの存在は彼がこのリンデガルムの国王になるための必要条件でしかないことを思い出し、悲嘆に暮れる日々を送ってきた。
――たとえ政略結婚だとしても、少しずつお互いに歩み寄って、いつか愛し合うことができたなら、それはとっても素敵なこと。
かつてのわたしが口にした言葉。
心が渇ききってしまった今のわたしにとって、それは夢みる少女の戯言でしかない。
今のわたしは、セイラム様の妃という身でありながら、遠い地で戦いに明け暮れるあの人を想うだけの、罪深い存在に成れ果ててしまった。
そして今夜もまた、月も星も雲さえも見えない霧の向こうに想いを馳せる。
――私も、既に数え切れないほどの人間を手に掛けてきました。
そう嘆いたあの人の手が、これ以上、血に穢されることがないように。
わたしはわたしにできることをする。
それが、かつてのわたしが望んだ、わたしがわたしであるための、たったひとつの道だから。




