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10話


 すぐに弥咲が工具箱を抱えて駆けよってきた。


「悠介さん、可憐さんを横向きで寝かせてください。時間がありません」


 言われるがままに、二人で重くなってしまった体を横向きにする。


 髪の毛を掻き上げて、延髄の場所を先ほどと同じように押した。小さな扉が開き、彼女はドライバーをその中に差し込んだ。


「な、何を……」

「お願いされていたんです。可憐さんから……」


 赤い冷却液に手を染めながら、弥咲さんは1枚の基板を取り出して、タオルで拭い俺に渡してくれた。たくさんの半導体がギッシリ載せられている重いものだった。


「可憐さんの、メインプロセッサーチップです。この中に、可憐さんのシステムと記憶が納められています」

「可憐が……」


「昨日、可憐さんが伝えてくれました。悠介さんとの楽しかった記憶を全てこちらのメモリーに目いっぱい移し替えておくとおっしゃってました。ですから、今日の可憐さん、少し動作が重く感じておられませんでしたか?」


 確かに体が少し重そうにも感じた。寿命が近いことで、不具合があったとも思っていた。自分の性能を落としてまで、記憶の容量を確保していたなんて。そこに、本当に故障が起きていた。最後のバージンロードは、必死に歩いたに違いない。


「電源を落としましたし、メインボードから外してしまいましたから、再び動作することはありません。ですが、可憐さんは、これを悠介さんに渡して欲しいと頼まれていたんです」


 俺は、その基板を握りしめ、横たわっていた彼女を再び抱き寄せた。


「よく、頑張ったな……。お疲れさん」




 純白のワンピースを着せたまま、俺は彼女を抱き上げた。


 そこに、メーカーの技術者と思われる一団が走り込んできた。


「停止していますよ。時間オーバーはありませんでした」


 持ってきていたストレッチャーに乗せる。自分で動くことがないから、腰や足を伸ばして楽な姿勢にさせてやった。

 隣を見ると、仲田博士もその作業を手伝ってくれた。


「弥咲、みんなも怪我はなかったか?」


 恐らく、最後に動作不良を起こしたことは知られていたようで、それが誰かに危害を与えていないかだけが心配だったらしい。


「何も危ないことはなかったよ。本当に素敵な最期だった……」


 孫娘にそれを聞くと、俺に頭を下げた。


「もっと、なんとかしてあげたかったが、力及ばず本当に申し訳なかった」

「いえ、長い間ありがとうございました」


「おじいちゃん、これ抜かせてもらった。ご本人の意志だから」

「うむ。構わないよ。それはこちらでどうにでもなる」


 弥咲さんは俺の手にあるボードを指さして言ってくれた。


「あの……、仲田博士。ひとつお願いをしてもいいでしょうか?」


「なんでしょう?」

「この子はこのあとどうなるんですか?」


「まだ決まっていないけれど、唯一の生体移植OSが動いた例だから、一度点検して博物館行きかも知れない。ただ、私自身はあまりそういったことはしたくないんだがな……」


 恐らく部品レベルではこれまで回収されたどのマニュロイドよりも劣化しているだろう。このまま再使用というわけにはいかないと素人ながら思う。


「もし、可能であれば、ネジ1本でもいいんです。彼女からの部品を新しいマニュロイドに使っていただけませんか。子どもを産むことができないこの子にとって、それがせめてもの救いになります」


「……分かった。必ず約束するよ」


 思い出したように、仲田博士は鞄の中から小さな箱を出して俺に渡した。


「これは……」

「会社には無断で持ち出しましたが、本来あなたにお返しすべきものです」


 気がついた。研究所に保管されているというあの可憐たち(・・)の遺灰。

 俺はその箱を両手で受け取ると、そっと声をかけた。


「おかえり」


 これで、全て元通りだ。一つの長い時間が終わった気がした。



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