きびだんごという名の「契約(コントラクト)」
(……意識の端で、絶えず「リソース不足(空腹)」のアラートが鳴り続けている。低電圧で無理やり駆動している回路のように、視界がチカチカと白く明滅しやがる)
キビの泥濘に立ち、排水路の設計図を引き直してから数週間。
現場の進捗は、最悪の一言に尽きた。
一歩進むたびに足首を掴み、体力を吸い取る粘土質の泥――即ち「地盤不良」。
そして、それを掻き出す民たちの瞳には、もはや「工期」を信じる光の一ビットも宿っていない。
(……クソッ。理性は『まだやれる』と叫んでいるのに、この肉体は、震えが止まらねえ……),
「……もう、限界だ」
一人の男が、泥にまみれた鍬を地面に叩きつけた。
それをトリガーにしたかのように、周囲の男たちも次々と動きを止める。
彼らの鼻を突くのは、滞留した水が放つ硫黄の匂い――即ち「腐敗したエラーログ」の臭気だ。
「イズモの小僧が何を言おうと、腹は膨らまねえ。泥を掘って野垂れ死ぬなら、このまま寝て死んだ方がマシだ!」
男たちの瞳に宿るのは、強烈な不信感と諦念。
彼らは今まで、何度も「統治者」を名乗る者たちに裏切られてきた。
俺の兄たちである出雲族の将軍たちが、派手な軍装で現れて精神論をぶち上げ、結局は地盤改良に失敗して逃げ出す様を、彼らは特等席で見届けてきたのだ。
「……兄様、手が。兄様の手が、冷たくなっているわ」
隣で俺の衣を掴むミツ(十歳)の声が震えている。
彼女の中に流れる月読族の血が、現場全体の「士気」が臨界点を下回り、完全な「システム停止」に向かっていることをスキャンしていた。
ここで引けば、このキビという現場は永遠にスクラップだ。
俺とミツは、イズモやヒムカの連中が望む通り、泥の中でデリートされるのを待つだけの存在に成り下がる。
(……笑わせるな。現場監督が、資材不足くらいで工期を諦めてたまるか)
俺は、意識を失いかけた肉体に「根性」という名の無理なパッチを当て、一歩前へ出た。
「全員、手を止めて聞け。……腹が減っているなら、それを口に入れろ」
俺はミツに合図を送った。
彼女は黙って、大切に抱えていた風呂敷包みを広げた。
中には、イズモを追放される際に月読族の地下蔵から「廃棄資材」として持ち出した特殊な玄米と、吉備の泥から抽出した「純白の塩」を練り上げた、小粒の団子が並んでいた。
「それは単なる餌じゃない。……俺とお前たちの、対等な『契約』の証だ」
男たちが、不信感に満ちた目で団子を手に取る。一人が、投げ捨てるようにそれを口へ放り込んだ。
「……っ!? なんだ、これは……!」
男の顔色が、劇的に上書きされた。 口の中に広がる、濃厚な穀物の甘み。
そして、激しい労働で失われたミネラルを補完する、鮮烈な塩気。
月読族に伝わる「清め」の知恵で精製
されたその塩は、単なる調味料を超えた、生命維持の「ブースター」であった。,
噛みしめるほどに、冷え切っていた胃の腑が熱く燃え上がり、震えていた指先に確かな「電力」が戻っていく。
「美味いか。……その名は、この吉備の地そのものを表す『きびだんご』だ」
俺は一文を短くした鋭い声で、膝を突く民たちを見据えた。
「その団子を食ったということは、俺の『工程表』に従うと誓約したということだ。だが、俺が本当に配っているのは、団子じゃない。……お前たちの将来の『利権』だ」
俺は、泥の上に広げた設計図を、彼らの足元に突き立てた。
「それは、『キビの領地』を分け与えるという約束だ。この不毛の地を黄金の田畑に変えた後、俺に従った者には、その土地を管理する権利を永久に保証する。……お前たちは、ただの作業員じゃない。この国をビルドする『共同経営者』だ」
この時代の仕様において、土地という名のアセットは王や豪族が独占するものであり、民はそこで生かされるだけの、いわば『読み取り専用』の奴隷に過ぎない。
そんな彼らに、俺は『土地の実行権限』を分配するという、世界のOSを根底から書き換えるような設計思想を叩きつけたのだ。
それは彼らにとって、天変地異に等しい衝撃だったに違いない。
それを証拠に、俺を見つめる彼らの瞳には、処理能力を超えたエラーログのような、激しい動揺が映し出されていた。
「……小僧。いや、トシ様。……その契約、本気と捉えて良いんですか?」
最初に団子を口にした男が、震える手で再び鍬を握り直した。
彼の瞳に宿る虚無が、剥き出しの欲望と希望を孕んだ「熱量」へと再起動していく。
「俺の辞書に、嘘という名の仕様変更はない。……工期までにこの堤を完成させろ。黄金の稲穂が見たいなら、今は泥を啜ってでも動け!」
民たちが、一斉に立ち上がった。
それは、信仰でも忠誠でもない。
「自分の利権を守る」という、極めて合理的なインセンティブが生んだ、執念にも似た団結であった。
バラバラだった「モブ(群衆)」が、俺の設計図に従う「組織」へと変貌を遂げた瞬間であった。
ミツが、俺の隣で静かに夜空を見上げて呟いた。
「……兄様。民の心が、一つの『線』に繋がったわ。でも、その線の先には、血と鉄の匂いがする……」
ミツの銀色の瞳には、「ツクヨミ暦」が導き出す新たなリスク――即ち、この豊穣への歩みを「略奪対象」として狙う、温羅一族という名のイレギュラーの影が映っていた。
俺は泥に塗れた掌を見つめ、次工程の罠を、脳内の図面台に描き始めた。武芸ができぬ俺が、どうやって鉄の鬼を屈服させるか。その答えは、既に月読族の技術と、この泥だらけの「現場」の中に埋まっている。
「……着工だ。キビを、俺たちの城(現場)に変えるぞ!」
腐敗臭の漂う荒野に、目的を持った男たちの力強い足音が、地響きとなって響き渡った。
惨めで、孤独で、何も持たなかった二人の新規着工。 それは今、キビの泥濘の中に、消えることのない「契約」という名の杭を、深く、熱く、打ち込んだのだ。
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