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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
玖・秋良と『過去』
147/152

弐・微火 前



 秋良は闇の中に立ち尽くしている。


 村の空の色も、森の湿った土や木の匂いも。近くをを流れる小川のせせらぎや鳥達のさえずりも。

 細工師として過ごした村の日々も。村の人たちの温かさも。兄の笑顔や温もりも。

 こんなに確かに、この身に残されているのに。


 周りを包むのは、黒一色。


 眼を開けているのか閉じているのか。

 立っているのか、寝ているのか。そもそも地面があるのかすらもわからない。

 温かさも冷たさも感じない。

 ほんの微かな音すらも聞こえてこない。


「馬鹿だな、せっかく望んだ暮らしなのに。自分で捨てちまうのか?」


 あまりにも聞き覚えのある声に、思わず身構える。

 聞こえてきた声は、自分自身のものだった。


「見ろ。ここには何もない」


 さっきよりも確かに、近く聞こえた声に、秋良は振り向いた。


「そんな……どう、して……」

「あの暮らしが欲しくて、俺をこの闇に閉じ込めたんだろうが」


 日に焼けた肌に、うっすら白く残る無数の傷跡。黒褐色の髪は、不揃いに肩口で切られている。

 鳶色(とびいろ)の瞳は鋭い眼光をたたえ、身につけた山吹色を基調とした男物の衣服の腰には、左右に小曲刀を提げている。


 相対する自分は、あまり外に出ないため肌は白く傷もない。長く伸ばされ、ゆるく後ろで編まれた髪。草木染がほどこされた質素な綿の衣服は、村の女性が好む長い裾のものだ。

 似ても似つかない、正反対の姿。

 それでも、秋良は理解した。

 自分の眼の前にいるのもまた、秋良自身であると。


 秋良は、眼の前の自分に尋ねた。


「閉じ込めた。あたしが?」

「そうだ。自覚はないんだろうがな」


 はき捨てるように言い、彼女は言う。


「村で事件の起きたあの日から、俺が生きてきた八年間を、お前は否定した。そして、惨劇の起きなかった村をここに作り出し、そこで八年間を生きた」


 言われた通り、偽りの八年間を生きてきたことには気づいた。

 しかし、惨劇のなかった村で過ごした八年の上に存在する自分にはわからない。

 眼の前の秋良が、どのような八年を過ごしてきたのか。


 そんな秋良に、彼女は挑戦的な笑みを見せた。


「ようやく同じ場所に来たんだ。見せてやる。お前が否定した八年間を――」


 言葉が終わらないうちに、ふたりの間に小さな白い光が生まれる。

 光は闇を蝕みながら大きく膨らみ、秋良の身体すらも光の中に飲み込んでいった。


 視界一面を埋める白の奥から、浮かび上がってくる光景。

 そう、これは村を襲った惨劇の記憶だ。その幕を開けた者が、幼い秋良の眼前にいる。

 息を呑む自分を襲う、刃の閃き。噴きあふれる紅く温かい液体共に、生命の力は確実に失われていく。

 全身から抜け落ちる感覚と遠のく意識が完全に失われ、訪れる闇。


 闇の中、冷たくなっていく身体を、温める光があった 。

 薄れる意識の中でそう感じてから、どれほど経ったのだろう。闇の中を漂っていた意識は、光を求めて浮上する。


 等間隔に身体を揺らす振動。そして木製の車輪が軋む音を、秋良は認識する。

 うっすらと開いた瞳にぼんやりと映し出されたのは、こちらをのぞき込む幼い顔。自分と同じ年頃の少女だった。

 彼女は秋良の目覚めに気づき、振り返って声を出す。


「お父さん、お母さん、眼が覚めたみたい!」


 少女に呼ばれ近づいてたき女性が母親なのだろう。

 眼がかすんで良く見えないが、どことなく少女と面差しが似ているような気がする。


「良かったわ。あなた、怪我をして道端に倒れていたのよ」


 み、ち……?


 声は全く出なかった。

 しかし唇の動きで察してくれたのだろう。母親は小さくうなずいた。


「そう。風翔国(かぜかけるくに)から火燃国(ひかがるくに)へ抜ける、日方山(ひかたやま)の中腹を通る街道よ。覚えていない?」


 その道は知っている。風和(ふわ)の村から真っ直ぐ街へと下る道と交差している、旅人の多い街道だ。

 だが意識を失う前は、村長宅の裏手にいたはず。

 そこで深手を負って意識を手放した。

 自分はここで死ぬのだと、そう確信するほどの深手だったはずなのに。


「手当てはしてあったんだけど、周りにも誰もいなし」


 手当て……一体誰が?

 その人物が、自分を村からあの場所へ運んだ……光の主、なのだろうか。

 なら、その人は、一体どこへ?


「……ねぇ、一体何があったの?」


 優しく尋ねる声に、秋良は重い瞼を閉じた。

 脳裏に浮かび上がる。

 この世のものとは思えないほど冷たく冴え冴えと光る、あの眼――。


 力なく首を横に振ると、柔らかい手が髪を撫でた。


「いいのよ、無理はしないで。……ごめんなさいね。さ、休ませてあげましょう」


 言って彼女は娘を伴って荷台から前の方へと移動した。

 聞こえて来る家族の会話から察するに、彼らは行商の家族らしかった。両親と娘、それから御者を務めている奉公人らしき若い男。

 次の街で秋良を医者に診せたり、知っている者がいないか探したりするという相談が車輪の揺れる音に途切れ途切れ聞こえて来る。


 秋良が寝かされている所は、商品や家族の荷物をよけて荷台の後部を空けたようだ。そこに布団を敷き詰めた上に、横たえられている。

 馬車は幌付の簡素なもので、後部と外は二枚の帳で仕切られているだけだ。揺れる帳の隙間から流れていく街道の景色が見え隠れしていた。


 秋良は眼を閉じ、ゆっくりと息を吸い、吐いた。

 自然と眠気が襲ってくる。不思議と、身体はさほど痛みを感じない。手当てのおかげなのだろうか。


 傷。

 あの人の刀に斬られた胸の傷。

 村の皆も、あんなふうに斬られたのか。

 いや、鮮紅の海に浮かぶ無数の黒い塊。あれらはもっと無惨な姿にされていた。

 意識を失った兄の身体を支える、その姿が。 優しかったそれとはかけ離れた、冷たく鋭い瞳が。


 頭から離れない。

 胸が痛いのは、きっと傷のせいではなく――。


 ああ……だけど。

 痛みを感じるということは、生きているということに他ならない。

 兄は、春時は、他の皆のように……?


 無意識に手を握り締めた時、手の中にあるものに気がついた。


 再び開かれた眼に映ったのは、兄から譲り受けた小曲刀だ。

 収められた鞘こそ質素なものだが、その刀身に彫られた流線状の紋様が綺麗で。先生から刀の扱いを習い始めた兄に、自分は小曲刀を習うからと言って貸してもらったのだ。


 先生が村を訪れてからの日々が思い出されるのが苦しかった。

 なぜ、このようなことになってしまったのだろう。

 脳裏に鮮明に焼きついた、最後に見た兄とあの人の姿が繰り返し映し出される。


 無限とも思われる悪夢の中、秋良はほんの僅かな光を見出した。

 村で見たあの光景の中、秋良の意識が奪われるその直前まで。

 兄は間違いなく、先生の腕のなかで生きていた。


 確かめなくては。

 あの後、どうなったのか。

 兄が生きているのかどうか。

 そのためには――。


【風翔国】斎一民が治めていた国。魔竜の乱で守護石を破壊された際に王を失い、大多数の国民は各国に散った。


【火燃国】天翼族が治める風翔国の隣国。火山の地熱で年中暖かく、ところにより暑いほど。


【風和】秋良の故郷である小さな村。山間にあるため戦火を逃れ、村人は風翔国に留まっていた。



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Xの宣伝から来ました! VIKASHです! よろしくお願いします! 最新話まで、拝読させていただきました! 素晴らしいですね。 設定の奥行きに脱帽しております。 3年前になるんですかね、フォローし…
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