東京 1999年 ②
出産時に1リットルを超える出血があった眞子は今も貧血気味だが、大きく生まれた葵は母乳の飲みも良く、すくすくと成長している。
姉の朱実からはたまに電話があるものの、眞子が京都で涼子と暮らしていたときや、大阪で一人暮らしをしていたときと同様、結婚して東京に暮らし始めてからも、そして妊娠出産の折にも、訪ねてくることはない。
結婚が決まったときも、会場探しからドレス選びまで、すでに東京いた健一はなかなか同行できず眞子が一人奔走する中、朱美が付き添ってくれたり相談にのってくれることはなく、そのくせ自分が結婚した時はああだったこうだったと大して面白くもない思い出話を一方的に聞かされて閉口したが、妊娠がわかってからもそれは同じだった。
昔、眞子に妊娠はおろか結婚の予定もなかった頃には、
「お姉ちゃんもつわりの時とかお産の時はお母さんのいる人が羨ましかったから、眞子ちゃんに赤ちゃんができたらその時は、もう何にもせんでええように、全部やったげようと思ったわ」
と、まだ何もしてくれる前から恩着せがましく言っていたのだが、実際眞子が妊娠してみると、妹を京都の自宅に呼び寄せる気も東京に手伝いに来る気も皆無なのだった。
27年の人生のうち、母親のいない年月のほうが母親がいた年月よりはるかに長い眞子は、万事自分でなんとかすることに慣れており、里帰り出産ができないくらい嘆き悲しむことではない。
それなのに、わけもわからず不意に泣きたくなることがある。
妊娠中からそれは始まり、産後の今も続いている。
あれは、予定日が近づいていたある午後のことだった。
テレビで再放送していた《母をたずねて三千里》をぼんやりと見ていたら、終わりの歌が流れ出したとたんにわんわんと泣き出してしまった(明るく爽やかなメロディーにのせてマルコが遠い空の下にいるお母さんに朝の挨拶をするくだりで、眞子は子供のように泣き出してしまい、自分で自分に仰天した)。
またあるときは、安産になるようにと夕方に近所を散歩していたところ、夕闇がつれてくる不安に揺らぎ、このまま消えていく夕闇といっしょに自分も消えてしまいたい、という意味不明な衝動にかられて泣きそうなった。
出産後にも病室で、両腕から入れられていた点滴が外されたと同時に気分がふさぎ、病室を訪れていた夫に打ち明けてみたところ、夫は葵の寝姿に
「ホントかわいいねぇ」
と見入ったまま、ふんふんと相槌を打ち、
「寒くないかな」
と、眠る赤ん坊に冷風が当たらないようエアコンの風を調整して、さっさと帰っていった。
ほんとうは眞子も里帰り出産をして、母親にあまえたかった。
健一は健康で、明るくさっぱりとしていて、小さなことを気にしない。
眞子にはどこがおもしろいのかわからないテレビ番組にも大声で笑い、失敗した料理でもがつがつと平らげ、うるさくても熱くても寒くても夜になればぐっすりと眠る。
健やかで無頓着で強い。
健一とは正反対に眞子は、母親になった自分が、万が一我が子を残して死ぬようなことがあったら、と考えずにはいられない。
暗い、と自分でも思う。
しかし万が一どころか、自分の母親もそうであったように、今日もこうして生きていることのほうが奇跡だと感じる。
眞子は、自分が死ぬようなことがあっても、それが葵の物心がつく前だったら、1日でも早く健一に再婚してもらい、葵にはその女を実の母親と思ってしたってほしい、と本気で思っている。
そのためなら自分の写真も持ち物も、自分がこの世に存在したあかしはすべて自分の体と一緒に棺桶に入れて焼いてしまってかまわない。
自分など最初からいなかったものとしてくれればいい。
母親が死んだときの自分のように、記憶が残る年齢になっていたとしたら、それでもやはり新しいお母さんと呼べる人が現れてくれるのを望む。
新しいお母さんにもかわいがってもらえるように葵を育てたい。
父親にも姉にも邪魔者扱いされた自分のような子供時代だけは送ってほしくない。
簡単には口にできないこの思いを、眞子は健一にだけは打ち明けた。
すると健一は、眞子が何を言っているのか理解しかねるし、理解しようとするのも面倒くさいといった表情をうかべ、
「不治の病が見つかったわけでもないのに何言ってるの。過去のこととかもう忘れたら? 未来に向かって明るく生きるしかないでしょう」
と呆れた声を出した。
健一の言うとおりだ。
眞子は後ろ向きで暗くて弱い人間なのだろう。
でも、こんなことを話せる相手など他にいないのに…
そう訴える眞子に健一は、
「じゃあ、他に友達作れば? おやすみー」
と寝室に引き上げていった。
眞子はこの日を境に、健一に心のうちを話すのをためらうようになった。
そして自分のことを話せないのと比例して、夫の話にも興味をもてなくなっていった。




