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ずっとおぼえてる   作者: ことり あきこ
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京都 1993年 ③

 眞子が英会話学校の非常勤講師になったのは、まだまだ残暑厳しい8月の末だった。


 誰かが雇ってくれなければ永遠に「経験者」になれないではないかと思いながら、そして「大卒以上」に勝手に落ち込みながら、「経験者求む」「実務経験2年以上」と判で押したように並ぶ求人広告に目を通すのが習慣になっていた眞子は、大手英会話学校の講師募集の広告に記されている条件が、

「英検準1級以上かTOEIC900点以上、もしくはそれに準ずる英語力。留学経験のある方歓迎」

 とあるのみなのを見つけて、さっそく履歴書を送ってみた。


 眞子が唯一もっている資格らしいものといえば、クラッセン入学前に取ったTOEFLのスコアだけだったが書類は通り、その後の面接と筆記試験、更には与えられた教材で模擬レッスンをするという審査も通過した。


 最終面接で、

「いま京都の学校は空きがないんですけど大阪でも通えます?他のどの都道府県の人も地元から出ることに抵抗ないみたいなのに、なんだか京都の人だけすっごく京都にこだわるんですよねぇ」

 と、ぱっつんぱつんのスーツに身を押し込んだ30歳ぐらいの女性(←京都、大阪、兵庫を管轄する鬼エリアマネージャーだと後々判明する)に挑戦的なまなざしで尋ねられ、わたしもほんとは京都がいいんですけどと思いながらも眞子が渋々了承すると、2日後に合格通知の電話があり、翌週の月曜から金曜までさっそく研修を受けてほしいと告げられた。


 面接を受けることを予め伝えておいた、バイト先の髭のマスターは、

「そう。おめでとう」と静かに喜んでくれたあと、

「寂しくなるなぁ…」と、まったく寂しくもなさそうにつけくわえた。

 


 英会話学校への転職の一番の理由は、時給が洋館でのバイトよりも高いからだったが、求人広告には「時給2100円」と明記されているにもかかわらず、授業は基本的に50分だからと一クラスにつき実質1750円なのだった。


 更に、授業の準備に費やす時間にはもちろん手当がつかず、新規の来校者のレベルチェックなどを授業の合間に頼まれることもあり、実質労働時間に対して時給をごまかされている気もしたが、それでも収入は増えた。


 日本ではバブルというやつが弾けたそうだが英会話はブームを維持しているらしく、高校生から主婦や会社の社長までが楽しそうに通ってくる。


「先生、帰国子女なの?」

「発音きれいですね」

「子供の頃からアメリカに住んでたんですか?」


 若く美しく、英語が流暢に話せるという付加価値がついた眞子は生徒たちの羨望の的だ。


 スタッフも和気あいあいとした雰囲気で、アメリカ人講師は男性が圧倒的に多かったが日本人講師やマネージャーは若い女性が多く、そういう人材を集めているのだろうがそろって明るく華があり人当たりがよく、新人で年若い眞子にも親切だった。


 日本人が周りにほとんどいない環境で3年間過ごした眞子は、流暢に話す能力には長けていたが、文法や読解問題を解説する能力は、英文科卒で教員免許をもっているような人と比べて劣っていた。

 英語を日本語に訳さずそのまま理解し、話すときは最初から英語で考える癖のついている眞子は、和訳するのも苦手なことが判明した。


 主任教師に相談すると、

「そうなん? 眞子先生、羨ましいほどペラペラやのに」

 と言いつつも、あっさりと資格試験コースから担当を外し、会話クラスだけを受け持たせてくれた。


 誰も眞子を叱らないし、酷評しないし、難しい課題も与えない。


 最初は手間のかかった授業の準備にも徐々に慣れ、生活のパターンができると気持ちにも余裕ができ、睡眠も栄養も十分にとっているうえ、過度の運動による貧血や体調不良もなくなった眞子は、普通の生活を送る人の体はこんなにも楽なのかと驚く。

 こんな状態は、本格的にバレエを始める前、子供のころ以来ではないか?

 いや、子供の頃はすぐに風邪をひいたり熱を出したりしていたことを考えると、今が自分史上最高に健康体なのかもしれない。


 街が人であふれる日曜日は家から出ないことも多いが、もう1日の休みである木曜日には哲学の道だけでなく、家をはさんで哲学の道とは反対側にある白川通りを歩いたり、鴨川まで足を伸ばしたりもする。


 京都の中心部はマンハッタンと同じく碁盤の目のような構造で、方向音痴の眞子でも歩きやすい。


 京都で生まれ育ったものの、留学前は家とバレエか学校を行き来するのみの生活を送っていた眞子だが、今なら「大丈夫」だと意気揚々と街中を歩くが、何が「大丈夫」なのかと言うとそれは、「今ならノエルを案内できる」などと妄想していたのだと気づき、そんな日はもうこないのだと思いなおして、急に足取りが重くなる。

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