ニューヨーク 1992年 ①
クラッセンでの日々は刺激的で充実している。
次から次へと課題が与えられ、常に新しいスタイルやテクニックや表現を習っては踊り、自分たちでも振り付けて踊り、新しい作品を覚えては更に踊る。
手を抜かず、手の抜き方も知らず、全力疾走するような毎日は負担や苦痛ももたらすが、努力がむくわれたときの喜びと達成感は、なにものにも代えられない。
日常生活では味わえない快感をくれる。
演劇科とのコラボレーションで、眞子とノエルがバルコニーのシーンを踊った《ロミオとジュリエット》の写真が、新聞のエンターテイメント欄に大きく掲載された。
〝パートナーについて”インタビューされた眞子のコメントは、以下のとおり。
「ノエルは私に安心と勇気と自信を与えてくれる存在です。彼と一緒なら、舞台上で何が起きても大丈夫だと思えるのです。彼と踊っていると、コントロールされながらも解放されるような、一番ゆるぎない自分になれるような、そんな感覚で満たされていくんです」
以下はノエルのコメント。
「パートナーと踊るのは一人で踊るより難しいし重労働だけど、まこと踊っていると可能性が無限に広がっていくような感触があると言うか、ふたり一緒にしか到達できない領域に行ける瞬間があるんです。これからもずっと長く、いろいろな作品を、まこと踊っていきたいです」
ノエルと踊る眞子は喜びにあふれ、満たされている。
自分とは無関係に遠く離れたところに存在していた世界の真ん中に、いつの間にかノエルに手を引かれてつれてきてもらった気分だ。
この自分が、他の誰かになりたいと子供のときから願い続けていた自分が、今この瞬間は、他の誰にもなりたくない。
このままずっとノエルのパートナーとして踊っていたい。
むろん他のパートナーと踊る機会もあるし、誰と踊るときもちゃんとやっているつもりだけれど、
「心を開いていない」
とか
「パートナーをもっと信用して」
とか、ついには
「マコ。どれだけノエルと完璧に踊れても、ノエルとしか踊れないダンサーなんてプロとしての利用価値がないわよ」
と教師から厳しい言葉を浴びせられることもある。
そんなことは、眞子にだってわかっている。
でもやはり、ノエルと踊っているときが一番幸せだ。
世界一幸せだ、とまで感じる。
このような幸せがいつまで続くのか、続くわけがないのではないかと、心のどこかでおびえている。
3年生に進級するタイミングで眞子とノエルは、寮を出てアパートで暮らし始めた。
「こんなふうに部屋をゆずることになって…」
気のせいか少しくたびれた印象のミッチは、そこで言葉をつまらせた。
公私共にお似合いのパートナーだった、一学年上のミッチとケイトが別れたという噂は本当だった。
アパートを出て別々に暮らすことになったのだと言う。
眞子とノエルは、ミッチとケイトの代役として何度か一緒にリハーサルをしたのがきっかけで2人と親しくなり、キャンパスの近くに部屋を借りるにはどのぐらい家賃がかかるのかと、アパートですでに一緒に暮らしていたこの先輩カップルに尋ねたことがあった。
ミッチとケイトが住むアパートの家賃は、ノエルが考えていたよりも(眞子には見当すらついていなかったのだが)安かった。
あのとき、
「この部屋は学校から近くて家賃も手ごろだから狙ってる下級生は多いけど、ぼくらがここを出るときにはノエルとマコをオーナーに推薦するよ」
と言ってくれたミッチは、こんなに早く部屋を去ることになるとは考えていなかっただろう。
クラスやリハーサルを休みがちだったケイトの体調不良の原因がどうやら妊娠で、その後、流産(または中絶したとの説もあった)したのをきっかけにミッチとの間に亀裂が生じたのでは、との憶測が下級生たちの間でとんでいた。
真実はわからないが、自分たちにそのようなことが起こったら、と眞子は考えずにはいられない。
ミッチとケイトの思い出がつまったアパートを見回せば、まだ聞こえてきそうな2人の笑い声が、眞子の耳の奥で泣き声にかわった気がした。
「このやかんも持ってっていいわよ、もっといいの買ったから」
使っていない食器や調理器具を譲ってくれると言うナタリーの申し出で、丸っこい小ぶりのやかんや「新婚のときしか使わなかった」というペアのカフェオレボウルなどを眞子とノエルはキャリーバッグに詰めていく。
ついでにあれもこれも、重くないわよティーバッグぐらい、などと言って手渡していくナタリーが、ふと手を止め、
「でもあんたたち、一緒に住んでもいいけど結婚はまだ早いわよ」
と、いつになく真剣な表情で言った。
家庭を築くのは早すぎるという意味だろうか、と、眞子はその夜、ノエルに抱かれるベッドで考えていた。
子供ができたら…
妊婦になったダンサーはどうなるのか…
そんなことにならないようにふたりとも、どちらかと言うとむしろ眞子よりもノエルの方が、十分に気をつけている。
でも万が一そうなったらあきらめるしかないと、でもどちらをあきらめるのだろうと、頭の片隅で考えている。




