ニューヨーク 1991年 クリスマス
眞子とノエルが私生活でもパートナーとなってから、もうすぐ1年近くが経とうとしている。
33階から眺めるマンハッタンの夜景は、2年近く前にオーディションでこの部屋に滞在したときよりも、眞子の目にはずっとロマンチックに映る。
「いやぁ、同じマンハッタンにいるのになかなか遊びにきてもらえなくて。涼子おばさんに叱られそうだよ」
スケジュールがつまった大学生活を送る眞子と、ニューヨークと日本を行き来する聡はお互い多忙なため、聡夫妻が眞子の舞台を観に来てくれることはあるものの、ゆっくりと会うのは久しぶりだ。
この夜は、フランスへの転勤が決まっている聡がアメリカで過ごす最後のクリスマスということもあり、夫妻が自宅で開いたパーティーに招かれていた。
友達もつれてきていいよと聡に言われていた眞子は、ノエルとふたりで来るつもりだったのだが、夏までボストンに住んでいた家族が日本に帰国したためこのクリスマスは予定がないと淋しそうに話していた龍も誘って、3人で訪れた。
眞子と同じく内気な龍は、
「へーえ、キミ、ピアノ弾くの?」
「好きな作曲家は?」
「クラシック?ジャズ?まさかロック?ハーハハハッ」
と弾丸のように話しかけてくるアメリカ人中年男性に、
「はい」
「あの」
「ええと」
と、しばらく居心地悪そうに相槌をうっていたのだが、やっと逃れられた体で、今は眞子と並んで摩天楼を眺めている。
15人ほど集まった客の半分は日本人、半分はアメリカ人やフランス人で、主に英語と日本語が飛び交い、時折フランス語が聞こえてくる。
銘々に椅子やソファーに腰掛けたり、立ったまま料理をつまんだりしていて、誰が誰のどういう知り合いだか完全に把握できていないが、ノエルを取り囲んで
「かっこいいよねー」
と高い声を発しているのは、日本から遊びに来ている、聡の会社の東京オフィスに勤めるOLさんたちだ。
「かっこいい」という日本語を、ノエルが理解できることを伝えるべきだろうか...
「かっこいい」の他にも、ノエルが理解できる日本語はいくつもある。
「日本語ではなんて言うの?」
と尋ねられて教えた言葉もあれば、眞子の口から出る日本語をノエルが真似して覚えることもある。
だいじょうぶ
いいよ
だめ
なんで
あとで
かわいい
すき
うそ
ほんと
おやすみ
おはよう
ありがとう
と、ノエルが知っている日本語を眞子が頭の中でぼんやり数えあげていると、
「眞子さんのすきなチョコレートなくなっちゃうわよ」
と、セシールに声をかけられた。
聡との会話で使うだけでなく、ここ何年かマンハッタンにある日本語学校に通っているとはいえ、アメリカに住んでいるにも関わらず、セシールの日本語は、会うたびになめらかになっている。
「足痛くなってきちゃった。靴ぬいでこようかな」
ピンヒールを履いてドレスアップしているセシールが顔をしかめ、
「そろそろお皿かたづけちゃってコーヒーでも出したいんだけど」
と言うので眞子は、自分が皿をさげておくから、靴をぬいで休憩してきてはどうかとセシールにすすめる。
「ほんと?じゃあそうしようかな。眞子さんありがとう」
と寝室に向かうセシールから眞子はチョコレートの皿を受け取り、龍もカマンベールチーズやクラッカーの残骸をさげる。
2人でキッチンに皿を運びながら、2つだけ残っていた大粒のトリュッフチョコを龍と1つずつ口に入れたところに、後ろから追いついてきたノエルが眞子の口元から、チョコレートを少しだけ齧りとる。
「んんっ」
ふさがれた唇で眞子は、
「お皿…」
忠告する。
「気をつけて」
と。
忠告に従い、ノエルは皿を眞子からそっと受け取ると、シンクトップに置いてから、
“I never drop anything important and precious.”
と意味ありげな表情で言う。
その言葉通り、ノエルがリフトで眞子を落としたことはない。
落とすどころか、この上なく丁寧に扱ってくれる。
「唇。チョコレートついてるよ」
龍に指摘さるが、ふき取るより先に、チョコレートはノエルに優しく舐めとられる。




