ペンシルヴェニア 1990年 5月~ ①
開いた車の窓からふわりと風が流れ込み、刈りたての芝の青臭さで眞子は眠りから目をさます。
検問所のようなブースに向かって、
“Mr. Yamada”
と聡が言うのが聞こえ、まもなく到着するのだと悟る。
「あー眞子ちゃんやっと起きた。首折れるんじゃないかと心配になっちゃったよ」
車を再び発進させて、開かれたゲートの間を通り過ぎるとき、聡は半分おもしろそうに、半分心配そうにそう言った。
言葉や生活に慣れるためにも、そして一刻も早く家を出たくて、合格したらすぐにでもアメリカへ行きたいと考えていた眞子だったが、クラッセンの授業が始まるのは9月、寮に入れるのは8月末だったため、それまでの間の滞在場所と英語を学べる学校―――近くにダンススタジオがあることが絶対条件だった―――を見つけるのに悪戦苦闘した。
アメリカにある大学やコミュニティーカレッジ、専門学校や語学学校などが網羅された、電話帳より分厚いガイドブックを片手に、最初はクラッセン周辺を探していたのだがマンハッタンは滞在費が高く、ニューヨーク郊外に範囲を広げて調べているうちに他の州でもいいと思えてきたのだが、そうなると選択肢は無限に広がり、途方にくれかけた眞子から相談をうけた聡が、仕事を通じて知り合った日系アメリカ人の山田を紹介してくれることになったのだった。
ペンシルヴェニアで医師をしている山田は、何かあったときに近くに頼れる人がいたほうが心強いだろうと、彼の自宅から車で小一時間の大学を提案してくれた。
山田が語学コースについてその大学に問い合わせてくれたところ、留学生向けのクラスが充実しているとは言えないようだったが、そのおかげで日本人留学生も少ないようで、語学習得にはかえって良い環境なのではないか、というのが山田の見解だった。
好景気と円高の影響か、アメリカの大学や語学学校には昨今日本人留学生があふれていて、結局日本語で喋ってしまうので英語が上達しないという、同じ日本人としていささか不名誉な噂を、聡も耳にしたことがあると言う。
大学からバスで15分ほどの距離にあるバレエスタジオには、プロを目指す中高生のクラスもあるということまで調べてくれた山田に眞子は感謝し、ペンシルヴェニアでアメリカ生活をスタートさせることに決めたのだった。
塀で囲まれているこの住宅地にはゲートを通過しなくては入れない構造で、安心と安全を求める裕福な人たちが暮らしているコミュニティーなのだと、運転席の聡が説明してくれる。
セシール(今はフランスに里帰り中だ)と一緒に、以前にも山田の自宅を訪ねたことがあるらしい。
3月にオーディションで来たときには気が張っていたのか、今回のほうが時差ボケがひどく、眞子の体はだるくて頭はぼんやりとしている。
しかし、わざわざレンタルまでして車(ザ・アメ車といったかんじの巨大な赤い車だ)を出してくれた聡に恐縮し、眞子は背筋を伸ばして座りなおした。
月曜から始まる語学クラスに備え、眞子は日曜の夜から大学の寮に暮らすのだが、
「眞子さんにも会いたいし、トシ(聡はアメリカではこう呼ばれているようだ)も奥さん里帰りしちゃってるんだから、家に寄って眞子さんと泊まっていけばいいじゃない」
という山田の提案で、二人そろって土曜の夜を一泊させてもらうことになっていた。
検問所を過ぎてから目にしてきたすべての建物がそうであるように、山田の邸宅も瀟洒で堂々とした構えだ。
ベルを鳴らすとすぐにドアが開き、Welcome!と大きなハグで出迎えてくれた小柄な山田の顔立ちはまぎれもなく日本人だが、表情やしぐさはアメリカ人そのものだ。
山田のすぐうしろには眼鏡をかけた小学生の女の子がはにかんだようすで立っていて、
"I'm Nicky."
と、かわいらしい声で名のって眞子に握手の手を差し伸べた。
「今ミートボールをクックしてるところだから」
山田がそう言って案内してくれたキッチンは、トマトソースの匂いと湯気で満ちている。
今日は職場から早く帰宅して、得意料理を作ってくれたらしい。
「もうすぐワイフも病院から戻るから」
さあさあ、と、夕飯にはまだ少し早いような気もするが、テーブルにつくよう促される。
長男はすでに独り立ちしており、同じ屋根の下に暮している子供は13歳の次男と10歳の長女だと聞いている。
「ジミーーーー!」
ニッキーが階段の下から大声で叫ぶと、ひょろひょろのティーンエイジャーが2階から勢いよく下りてきて、先ほどのニッキー同様、眞子に握手の手を差し伸べながら、
"I'm Jimmy."
と、にこやかに英語で自己紹介する。
ニッキーはテーブルに皿やフォークを並べながらちらちらと眞子を見ては、目が合うたびににっこりと笑う。
玄関のドアが開く音と同時に
"Smells wonderful"
と、よく通る女性の声が聞こえ、看護婦をしているという山田の妻がキッチンに顔を出し、子供たちがしたように、ヘレンですと名乗って笑顔で眞子と握手する。
ニッキーと同じく眼鏡をかけているが、ぽっちゃりしたニッキーとちがい、ジミーと同じように痩せている。
目の前で挨拶のキスを長々と交わす山田夫妻に、眞子は軽いカルチャーショックをうける。
トマトソースで煮込んだミートボールは、煮詰まったトマトの味が濃くてとてもおいしかった。
「どんどん食べてくださいね。じゃないとジミーがぜんぶ食べちゃうから」
山田は眞子に言ってから、日本語のわからない息子にハフハフと頬ばる身ぶりをして見せる。
ジミーは父親にむっとした顔を作るも、眞子にはニヤッと愛想笑いをする。
食事のあとはリビングに移動した。
雑談をしているうちに、山田がアメリカに来た経緯を話し始めた。
戦争で父と兄を、さらには心臓病で母を亡くした山田は、将来は医者になると心に誓ったのだが学校に通う資金などなく、援助を求めて親戚中に頭を下げて回ったものの、親身に話を聞いてくれる人は誰一人いなかった。
絶望のなか、地元の北海道に駐留していたアメリカ兵のもとで下働きのようなことをしているうちに彼らと親しくなり、
「アメリカにくればいいじゃないか。どうにかなるさ!」
と陽気な口調で何度も言われて、アメリカへ行けば本当になんとかなるのではないと考えるようになり、帰国する彼らと一緒に船に乗り込み、海を渡ったのだった。
以来、皿洗いやビルの清掃などのバイトで金を工面しながら学校に通い、10年かかって医学部を卒業したという。
日本でのつらい日々を忘れるために、日本人と会っても日本語は一切話さず、アメリカ人と結婚して授かった3人の子供にも母国語を教えなかったらしい。
「あの頃は日本を捨てたくて、国籍を聞かれるたびに中国人とか韓国人とか答えていました」
日本語をまったく理解できないらしいジミーとニッキーは、退屈したのかいつの間にか自分たちの部屋へと引き上げてしまったが、ヘレンは優しい表情でいつまでも山田の隣によりそっていた。
翌朝は、ワッフルやトースト、スクランブルエッグにベーコンなどボリュームたっぷりのブランチをお腹いっぱい食べてから、大学へと発った。
「ウィークエンドにはまた遊びに来なさい。車でピックアップするから」
山田はそう言って眞子をハグした。
ジミーは朝食の後すぐに友達の家に出かけてしまったが、身支度の間も眞子のそばを離れなかったニッキーは名残り惜しそうに、見えなくなるまで眞子に手を振り続けた。




