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ずっとおぼえてる   作者: ことり あきこ
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京都 1985年4月~ ③

「あなた京都よね?だったらクラシックは猪熊いのくま先生かしらね。モダンやコンテンポラリーは…思いつかないけど、まあ色々きいてみてあげるわ」


 クラッセン留学に向けて指導してもらえるスタジオを探していると眞子から相談された笹本はこう言い、翌週にはその猪熊のバレエスタジオだけでなく、現役のダンサーとして活動しながらモダンバレエやコンテンポラリーを教えている前川という女性の連絡先を教えてくれた。



 前川は眞子から見て「お姉さん」と「おばさん」の間ぐらいの年齢だろうか。よく喋る。


「水鳥さんですね、笹本先生から聞いてます、雑誌見ましたよ、ステキ。モダンはほとんどやったことないんですよね?クラシックとはまた全然ちがう動きも多いんですけどクラシックの基礎がある人は…」

 という調子で、相槌あいづちをうつのも難しい。


 無自覚だが、眞子は幸雄の短気な性分を受け継いでおり、話の長い人間が苦手である。 


 レッスン中も、前川の口数は異常なほど多い。


 最初に行う床でのストレッチから、

「お尻は力をぬいて腹筋だけ使っていきましょう」とか、

「足を上げるときに息を吐いていきましょう」

 などと、指導教書でも読んでいるかのようになめらかな口調なのだが、いちいち文末を

「~ていきましょう」

 と結ぶのも耳につく。


 しかし指導を聞き逃すわけにはいかないと自分に言い聞かせて、眞子はひたすら耐えた。


「どうでしたか?」

 レッスンが終わると、再び前川のほうから話しかけてくる。そして、

「モダンも基礎はクラシックですから、モダンだけ踊れる人にクラシックは難しいけれどクラシックが踊れる人はモダンも…」

 と、レッスン前にも聞いたような言葉がまたどんどんあふれだす。


 話がいつまで続くのか不安を覚えながらも、笹本の推薦ということもあり、また他にあてがないということもあり、前川の言葉が息継ぎのためにほんの一瞬途切れたすきに、

「よろしくお願いします」

 と眞子は頭を下げた。


 

 一方、クラシックを教える猪熊は指導者としての腕は確かだが、生徒の技術だけではなく態度や個性も見た上で

「うちじゃなくて別のところでやったらいい」とか

「キミはここでは伸びないよ」

 などとばっさり入会を断ることも少なくないので、笹本は本来、打たれ強そうな者にしか、このスタジオを紹介しないのだと言う。


「あなた大丈夫かしら?まあでも、そんなこと言ってられないわよね…とりあえず、覚悟を決めて行ってらっしゃい」

 と、眞子は体験レッスンに送り出された。


 会ってみると、ただのしょぼくれた初老の男に見える猪熊にはダンサーとしてのオーラも指導者としての貫禄かんろくも感じないが、生徒のレベルは依子のスタジオよりも明らかに高い。


 なかでも眞子は、ちょっと不機嫌そうな顔のまま高い跳躍やキレのある回転を繰り返す、一人の男子生徒に目をうばわれる。


「どう、うちのホープ、中野くん。一緒に踊りたい?」

 レッスン後、猪熊からそう声をかけられ、眞子は自分の視線まで観察されていたことにおののく。


 そして、

「このスタジオからコンクールで優勝した子も海外のバレエ学校に留学した子もいるけど、クラッセンに行った子はいないよ」

 と言われて、眞子はやはり入会を断られるのかと覚悟したのだが、

「ま、でも、あれだね。キミが行ったら、うちからクラッセンに留学した子がいますって言えるようになるわな」

 と、猪熊は冗談か本気かわからない口調で言い、眞子の入会を認めた。


 猪熊のスタジオではほとんどの生徒がレッスン後もたっぷりと自主練習をしてから帰るので、眞子もそれにならうようになり帰宅時間が遅くなっていったが、それを心配したりとがめたり、あるいは応援する家族もいないのだった。 



 

 眞子がスタジオを辞めたあと、木内依子は、目標をもって羽ばたいていく生徒を快く送り出せない自らの狭量きょうりょうを呪った。  


 依子の教え子で一流のダンサーに育った前例は、未だない。


 生徒をコンクールに出場させても、そのために心を鬼にして厳しく指導しても(心を鬼にすることも、厳しく指導することも、依子にとって容易たやすいこととはいえ)、予選に通過できればいい方だった。


 眞子を自分の手で育て上げたいと望む一方で依子は、認めたくないが、ダンサーとしても指導者としても大した実績のない自分のもとで、眞子が最大限に能力を開花できるのかという不安もあった。


 それならば眞子の新たな門出を祝福してやればよいのだが、依子にはそれができない。


 母親と二人三脚の、あるいは母親ばかりが熱心な生徒もいる中、レッスンも発表会もコンクールも一人でがんばってきた眞子を、依子はほとんど親のような気持ちで見守ってきた。


 コンクールに向けてレッスンを見学し、我が子を叱咤激励しったげきれいし、コンクール当日もつきっきりで世話をやく母親を持つ生徒たちとは対照的に、うまく踊れても喜ぶ親もいなければ、けがをしても病院に付き添う保護者もいなかった眞子を不憫に思う気持ちもあり、依子はこれまで、眞子が雑誌でモデルの真似事をするのも、海外の講師などによる講座を受けるのも反対しなかったのだ。


 そのように情をかけてきた眞子に去られた依子は、我ながら大人げないと知りつつ、裏切られた気分なのだった。


 子供のまま成長しきれていない依子の心は傷つきやすい。


 背をむけられる前に背をむけ、去られる前に手放すという方法でしか、自らを守る術を知らない…


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