京都 1985年4月~ ①
「クラッセンが夏に開催する特別レッスンのオーディションがあるんだけど、受けてみない?」
と町田から話があったのは、眞子が中学二年になってすぐのことだった。
「クラッセン?」
という反応の眞子に、
「えっ聞いたことない?」
町田が、信じられない、といった表情で聞き返す。
町田によると、クラッセンとはニューヨークにあるパフォーマンスアートの名門大学で、舞踏科のほかに音楽科や演劇科があり、一線で活躍する講師陣から指導を受けることができるうえ、専門分野の理論や歴史も学び、大学の学士もとれるのだと言う。
ニューヨークでは毎年夏休みに3週間のジュニア向けサマークラスがあるのだが、そのサマークラスを短縮したプログラムがこれまでに何度かニューヨーク以外でも開催されており、今年は東京で1週間行われるので、その様子を雑誌でレポートしたいのだと言う。
「審査に通らないと参加できないプログラムだけど、ほら、将来、眞子ちゃんも留学するかもしれないじゃない? まあ、受かんなかったとしても、いい経験になるよ」
このようなことを町田はさらりと言うが、眞子には自分の未来など、まるで思い描けない。
それに...
オーディションを受けて参加する特別レッスンのようなものには興味を抱きつつも、眞子は依子への気兼ねから、今まで挑戦できずにいたのだった。
「依子先生は生徒の囲い込みが激しい」
というのが、生徒たちの間での共通認識だった。
その囲い込みの激しさが原因で、いや決してそれだけが原因ではないが少なくともそれが引き金となって、何人もの生徒がこれまでに依子のもとを去っていた。
つい最近も、バレエ団のオーディションに合格し、毎週日曜に開かれるジュニアクラスのレッスンを受けることになった生徒が、
「うちかそっちか、どっちかにしなさい」
と依子に迫られて、迷わずバレエ団のジュニアクラスを選び、依子のスタジオを去ったばかりだった。
生徒を囲い込むと同時に、他の教室から移ってきた生徒には、自分の信じるバレエ道を叩きこむのが依子先生だった。
その姿勢は、相手が幼稚園児であれ、趣味で通いはじめただけの大人であれ、一貫して変わらなかった。
このような依子の方針を生徒が影で揶揄するのを眞子も何度か耳にしたことがある。
先日も、成人クラスでバレエを始めたばかりの中年女性が、
「思うように動けなくて嫌になるわ~。子供のときに習ってた人がうらやましい」
とバレエ経験の長いOLさんに言ったところ、OLさんは、
「いや、でも、私の過去はぜんぶ依子に捨てられたからっ」
と答え、皆で大爆笑していた。
しかし去っていく者が多くても、これほど独裁的で威圧的な依子の熱狂的な信者がいるのは、努力する生徒にはただならぬ情熱をそそぎ、全力で指導してくれるからだ。
眞子も目をかけてもらっているだけに、他の指導者のレッスンを受けるのは申し訳ない気がしたし、なにより依子の反応がおそろしかった。
その懸念を町田にうちあけてみたところ、
「あ~~~、そういう先生いるよねー。ぼくから話そうか?」
と気楽に申し出る。
町田は他人に好印象を与え、相手を気分よくさせるタイプの男だ。
詐欺師にいそうなタイプだ。
彼に任せれば、たいていのことは口滑らかに話を通してくれることだろう。
しかし、依子の口癖は
「自分のことは自分で言いなさい」
である。
たとえば、休みの連絡や曜日の振り替えを頼む際などに、本人ではなく親がかわりに説明しようとしただけで依子は、
「あんた口きけるんやろ。自分で言いなさい」
と子供を叱り、同時に母親にまで、
「お母さんもっ。本人に言わせんとっ」
などと、公衆の面前でぴしゃりと言い放ったりするので厄介だ…
やはりきちんと自分で話すべきだと決心し、おそるおそる特別レッスンの話を切り出したところ、
「あそう。いつ?」
と、別段機嫌をそこねた様子も見せずに依子から日程を尋ねられ、眞子は拍子抜けする。
スタジオの夏休みと同じ週だと伝えると、
「ちょうどいいやんっ。しっかりしごいてもらいっ」
と笑う。
不気味なほどあっさりと認めてもらえたが、審査に通らなければレッスンには参加できないのだった。
この特別レッスンのオーディションには、ふだんから雑誌の撮影で監修を務める笹本さんが推薦したモデル4人が挑戦したのだが、合格したのは眞子一人だった。
不合格だった3人が去り、眞子と2人きりになったとたんに町田は、
「いやぁ、眞子ちゃんだけでも受かってくれてよかったよ~~~」
と喜びを炸裂させた。
しかし、もし今日、《コッペリア》のモデルが誰一人合格していなかったら、町田は急遽この場で合格者の誰かに取材を取りつけていたであろう。




