7:訣別Ⅶ
まずいとこの場の誰もが思ったはずだ。セネガルも、アヤメすらも。だが、一番早く動いたのはデズモンドに向け放たれた刀剣だった。
「……」
デズモンドは見向きもせず、楽に躱した。アルを仕留める確信があったが故に、緩んでいた表情が、一変して無に近くなった。
「……これはこれはリディア姫。何の真似ですか」
「殺すなと、言ったはずよ私は」
間に割り込んだのはリディア姫だ。大きく眼を開く。笑みを浮かべてはいるが、その胸中が、穏やかではないことは明白である。アヤメに放ったと同じ。剣の投擲。深々と大木に突き刺さる様子を見れば、とてつもない威力を物語る。
「……なるほど。しかし大丈夫ですよ。これ以上抵抗されても厄介なのでね。無駄な抵抗をさせないように、動きを止めようとしただけですよ」
そう言って、アルの首を解放する。
「っ……、はぁっ、はぁっ……」
酸素を取り込むアルを、鋭い視線で一瞥しながら、デズモンドは笑みを浮かべる。
感情の苛立ちで、先ほどリディア自身が、アヤメに向かって殺すとも限らない、同様の攻撃を仕掛けていた。随分と身勝手な物言いだと、デズモンドは内心で舌打ちする。が、その蛇のような本性をも引っ込ませ、その本心を悟られるよう冷静に努めていた。
周囲を見渡した時、リディアが割り込んできた理由が納得できた。離れたところに、赤フードを被った小娘が倒れ込んでいる。
いつの間にかエルムには、リディアの相手は務まらなかったようだ。
「さすがリディア様。随分と早く終わらせたようで。……殺したんですか」
「さぁ? もう少し遊んでも良かったけど、動かなくなってしまったから」
魔力の消耗。肉体へのダメージはデズモンドにもあるが、リディアはせいぜい土埃を被った程度である。
エルムが弱いのではなく、これが魔女姫の実力なのかと、目の前に広がる強敵の存在感に、アヤメは圧倒されていた。
「さて、あとは兎さんとアリスを回収すれば任務終了といったところでしょうかね」
再び躍動し始めるデズモンド。
「……アヤメ」
「え?」
「せめてお前だけでも逃げろ」
デズモンドとリディアには聞こえないように、セネガルは今自分がやるべきこと、この最悪な状況を打破するために取るべき最善を考える。
「私が、今度こそ時間を稼ぐ。だからお前だけでも逃げるんだ」
「そん、そんな……」
「頼む。アルフレッドも、あの赤フードの娘も何とかする。それしかないんだ。お前を、アリスを絶対に渡すわけにはいかないんだ。この世界を変えるために」
真剣な眼差しと必死な思いはアヤメにも伝わる。震える唇でやっと返せたのは「どうやって……」という疑問だけだった。
「……命を賭ける。それしかない」
アヤメが止める間も、資格もないまま、セネガルは治療に費やしていた魔力を、全て攻撃のために変換する。
「来い」
魔力に反応したデズモンドとリディア。特別警戒するわけもなく、何をするつもりなのか傍観しているようにも映る。
「その傷で無理をしない方がいい。寿命を縮めるぞ」
リディアは老体を気遣った言葉を吐く。
「生憎、貴様らに掌握された国である限り、寿命は縮まるんだ」
腰を落としたまま、右腕を地へ。左手は右手首を掴み、魔法をコントロールする。
「……私の全てを賭け……っ!?」
呪文の詠唱。魔力が発現する刹那、セネガルの胸には一本の剣が刺さる。あまりにも静かに、あまりにも唐突に。ゴポッ……と、セネガルの口から溢れる血液。セネガル自身でさえ、鉄の味を感じてからようやく、胸から伸びる剣の歪を感じたほどだ。
「だから言ったでしょう。寿命を縮めると」
真っ直ぐに投げ出された腕。目にも止まらないぬ剣の投擲。魔法ではない。身体能力だけで、魔女姫と呼ばれる理由を思い知らされた頃には、セネガルの体は支えを失い、前へと投げ出された。血溜まりは広がり、鮮血に染まる無惨な姿がそこにはあった。
「あ……っ……」
目の前に転がる死を、アヤメは直視する。いや、思い知らされた。かろうじて立ってはいるが、恐怖により足が震え今にも崩れそうになる。
本意ではない。が、セネガルの逃げろという言葉を思い出す。足の向きを変え一歩踏み出した瞬間、デズモンドが剣を振り抜く。飛ぶ斬撃が、アヤメの目の前を横断する。あと少し早ければ間違いなく両断させられていただろう。
「そうそう。良い娘ですね。抵抗も逃げることも無意味であることを、よく分かってる眼だ。大人しくしてもらえると、私も仕事が楽で助かります」
「ああぁっ!」
重力の塊。アルは渾身の力を振り絞って、デズモンドへと赤い円球の魔力を撃つ。人間一人くらい呑み込むような重力の渦は、デズモンドが抜いた見えない抜刀で切り裂かれる。
「くそっ!」
「すでに力の差は歴然。あまりにも惨めですね。いい加減殺しまししょうか?」
歩を進めるデズモンド。アルに近寄る凶刃。その時、ぼんやりと新たな魔力が浮かび上がる。
「あ?」
僅かな敵意を感じたデズモンドが顔を向ける。
「ほう?」
興味深いと好奇心を擽られるリディア。
「アヤメ……」
「……怖い。けど……どうせ、……どうせ逃げられないなら……」
アヤメが魔力を纏う。戦闘体制に入るアヤメを見て、アルは無茶だと狼狽した。
「やれやれ。手加減する身にもなってほしいものですが……」
「いや、私が相手する。アリスの力を見てみたい」
デズモンドを牽制して、魔女姫であるリディアが前に出る。
誰が見ても勝負にならない。それだけは明らかだった。




