管理局の日常
管理局の昼休みは、静かだった。
誰もが、端末を横に置いたまま食事をしている。
柳端は、窓際の席に座り、トレーの上の定食を見下ろしていた。
白米と味噌汁。
焼き魚。
小さな副菜。
この食堂のメニューはすべて管理されている。
栄養バランス。
摂取カロリー。
集中力維持の成分比率。
すべてが計算され、
管理局の勤務に最適化されている。
味は悪くない。
むしろ、良すぎるくらいだ。
「また同じ席だな」
向かいに、同僚の桐野が座った。
柳端より少し年上の観測員で、
第一観測課の現場担当だ。
制服の袖には、観測章が付いている。
柳端の袖には、それがない。
「ここ、落ち着くんですよ」
柳端は箸を動かしながら答えた。
「窓があるからか」
桐野はそう言って外を見た。
管理局の建物は高層だ。
街が遠くに広がっている。
車の流れが、小さな光の線のように動いていた。
「現場はどうですか」
柳端が聞く。
桐野は少し肩をすくめた。
「今日も揺れてる」
「大きいんですか」
「いや。いつも通り」
桐野は味噌汁を一口飲んだ。
「住宅街に、自販機が一台増えた」
柳端は箸を止めた。
「……増えた?」
「観測上だけな」
桐野は肩をすくめる。
「現地行ったら空き地だった」
「じゃあ誤差ですか」
「多分な」
そう言いながら魚をほぐす。
「でも近所の住民は覚えてる」
「何をです」
「そこで飲み物を買ったことを」
柳端は黙った。
「全員ですか」
「全員だ」
桐野は苦笑する。
「存在しない自販機でな」
今朝のレビュー案件を思い出す。
住宅街の路地。
記憶齟齬。
証言時刻。
「……珍しくないですね」
桐野は、少しだけ笑った。
「お前、本当に管理局向きだな」
「そうですか?」
「普通は気になるんだよ」
桐野は箸を置いた。
「存在しない道を歩いたって言われたら」
「でも、修正されたんですよね」
柳端は静かに言う。
「なら、もう問題ない」
桐野は少し考えてから、肩をすくめた。
「まあな」
食堂のスピーカーから、小さな電子音が鳴る。
昼休み終了五分前の合図だ。
周囲の席で、椅子が引かれる音がする。
誰も急がない。
だが、誰も遅れない。
管理局では、時間は正確に守られる。
遅刻も早退も、ほとんど存在しない。
必要がないからだ。
時間は、管理されている。
桐野が立ち上がる。
「午後、外出る?」
「今日はログ整理です」
「そうか」
桐野は少しだけ残念そうに言った。
「たまには現場見とけよ」
「見るだけなら、ここでも出来ます」
柳端は端末を軽く叩いた。
桐野は苦笑する。
「画面の中じゃ、揺れは分からない」
「数字で見えます」
「現場は、匂いがする」
「画面じゃ分からない種類のな」
柳端は顔を上げた。
「匂い?」
桐野は少し考えてから言った。
「説明できないけどな」
「雨が降る前の匂いに似てる」
「でも空は晴れてる」
「そういう揺れ方がある」
「桐野さんは、怖くないんですか」
「何が?」
「揺れてる世界を見続けるのが」
桐野は少し考えてから笑った。
「見なくなる方が怖いな」
それだけ言って、トレーを返却口に運ぶ。
柳端は、少し遅れて立ち上がった。
窓の外を見た。
遠くの交差点で、 信号が青に変わる。
人の流れが動き出す。
その光景を見ていると、 なぜか今朝の横断歩道を思い出した。
一度終わった出来事が、 もう一度始まったような感覚。
あの違和感だけが、 まだ胸の奥に残っていた。
何も変わっていない。
少なくとも、遠くから見る限りは。
だが。
柳端はふと思う。
もし世界が本当に揺れているなら、
それはどこで止まるのだろう。
管理局か。
それとも――
誰にも観測されない場所か。
そんな場所が、
本当に存在するのなら。
昼休みの終わりの音が、もう一度鳴った。
柳端は端末を手に取り、席を離れる。
午後の業務が始まる。
柳端は食堂を出た。
背後で窓ガラスに、 一瞬だけ別の街の影が映ったことに、 その時は気づかなかった。




