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崩壊前の街の違和感

柳端は管理局の建物を出て、駅へ向かって歩いていた。

退勤時間の人波が、自然に彼を流していく。

この街では、誰も空を見ない。

見る必要のあるものはすべて数値で表示される。

天候は予測され、温度は管理され、災害は事前に処理される。


それでも、柳端はふと顔を上げた。

空の色が、少しだけ違った。

夕焼けでも、曇りでもない。

どちらとも言えない色。

説明しようとすると、うまく言葉が見つからない。

だが確かに、どこか不自然だった。

――気のせいか。

そう思い、視線を戻す。


その瞬間だった。

横断歩道を渡る人の流れの中に、

ほんの一瞬だけ、空白ができた。

まるで映像のフレームが一枚だけ欠けたように。

人が消えたわけではない。

ただ、「そこに誰もいなかった瞬間」があった。


柳端は立ち止まった。

心拍が一拍だけ遅れる。

今の現象を説明できる理屈を、 彼は知らなかった。


歩く速度も、会話の調子も、すべていつも通りだった。

信号が青に変わる。

人の流れが、また動き出す。

さっきの空白は、どこにも残っていない。

――錯覚だ。

そう結論づけて、柳端も歩き出した。


だが数歩進んだところで、別の違和感に気づいた。

コンビニの前にある自動ドア。

人が近づくと、センサーが反応して開く。

だが今、ドアが開いた。

誰も入ってこない。

だが店員の視線だけは、 確かに入口を追っていた。

風かもしれない。

そう思った瞬間、レジの店員が小さく首をかしげた。

「……今、誰か来ました?」

客は誰も答えない。

ドアはもう閉まっている。

店内の誰も、その違和感を追わなかった。

違和感は、共有されないと存在しない。


この街では、誰も異常を長く見ない。

柳端は歩きながら、

さっきの出来事を思い出していた。

空白の一瞬。

誰もいないのに開くドア。

小さなズレ。

管理局なら、それを誤差として処理する。


柳端は考えかけた。

空白。

自動ドア。

映像の乱れ。

三つの事象を結びつければ、 一つの仮説が浮かぶ。

だが、その瞬間。

思考が止まった。

止めたのではない。

止まった。

管理局に入ってから身についた反射だった。

仮定は危険だ。

疑問は観測を乱す。

考えすぎる者ほど、 長くは残れない。

仮定は、安定を壊す。

だから、考えない。


駅前広場に出る。

巨大な広告スクリーンが、ニュースを流していた。


「本日も全国で安定した位相状態が観測されています」

アナウンサーが笑顔で言う。

「指数は、基準値以下を維持しています」

通行人は誰も立ち止まらない。

その言葉は、天気予報と同じくらい日常的だった。

柳端も、そのまま通り過ぎる。


だがスクリーンの映像が、ほんの一瞬だけ乱れた。

ノイズが走る。

ノイズの奥に、別の街の輪郭が重なった。

フレームが、一枚だけ飛ぶ。

その一瞬。

画面の向こうで、街の景色が少しだけ違って見えた。

見慣れた駅前だった。

だが、銀行があるはずの場所に、 見覚えのない白い建物が立っていた。

だが次の瞬間、映像は元に戻る。

誰も気づかない。

柳端だけが、足を止めた。


――今のは。

そう思った瞬間、端末が震えた。

通知ではない。

警告でもない。

ただの微振動。

昨夜の、あの周波数だった。

柳端は周囲を見回す。

人々はいつも通り歩いている。

街は、正常だ。

少なくとも、そう見える。

だが、見えているものが、すべてとは限らない。


柳端はゆっくりと空を見上げた。

夕焼けの色が、さっきよりも少しだけ濃くなっている。

そして。

雲の端が、ほんのわずかに「ずれていた」。

世界はまだ崩れていない。

だが確実に、どこかで計算が合わなくなり始めていた。


そしてその帳尻は、

観測されることでしか保たれていない。


誰かが見ていなければ、この街は静かに崩れてしまう。


柳端は、もう一度空を見た。

世界はまだ正常に見える。


そして今――

その「誰か」が、観測からこぼれ始めていた。


その瞬間。

誰にも観測されていない場所で、 一人の少女が空を見上げていた。

そして彼女もまた、 柳端と同じ夕焼けを見ていた

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