スパイスの余韻
魔導列車。
――それは蒸気の代わりに魔導機関を使用して走る、魔法都市ロンドンと地方とを結ぶ主要交通だ。
魔力導管を通す特別製のレールの上を、青白い魔力光を尾に引きながら進む姿は、夜の空に一筋の線を描くようで、鉄道というよりひとつの魔法式に近かった。
その列車の揺れに身を預けながら、シャーロットとワトソンはボスコム谷からの帰途についていた。窓の外には、淡い霧と丘の陰影が後ろへ流れていく。シャーロットは、久々の列車の規則正しい振動が、心地よく感じられていた。
「シャル」
隣の席から、ワトソンが、こちらの袖をちょんと引いた。
「どうしたの、ワトソン」
「お腹すかない?」
「そう?」
「そうよ。さっきから、お腹が鳴ってるわ」
そいうと、ワトソンのお腹がグーっと鳴る。
ワトソンは事前に、車内の案内板に貼ってあった“沿線グルメ情報”をしっかり確認していた。ロンドンではあまり見ることのない、地方独特の料理があると知ってからというもの、彼女は、――そわそわしていたのだ。
「たしか、次の駅に――」
「知っていたの? 言ってくれてもいいのに」
「いえ。レストレードから『帰りに試してみるといい』って勧められただけよ」
「レストレード、……いや、あいつならあり得るわね」
「そうね。職務柄、地方にも行くみたいだし」
そんな会話をしているうちに、列車が減速し始めた。車輪が線路と擦れる低い音が、車内に心地よく響く。
駅に到着すると同時に、開いた扉からふわりと強い香りが流れ込んできた。
「……変わった匂いね」
「鼻が……しびれるわ……!」
ワトソンは嗅覚がけっこう鋭い。刺激の強い香辛料の匂いに驚いている。
駅のホームの端には屋台が並び、その一つから立ち上る湯気と共に、黄色とも赤とも形容しがたい香辛料の匂いが広がっていた。
地方料理――カレー。
「これが、レストレードが言っていた名物料理……『カレー』だそうよ」
「か、辛い……にゃ……。刺激で鼻が逆立つわ……」
しかし、ワトソンは匂いの強さに怯えながらも、食欲を抑えきれないらしく、結局シャーロットと並んで小さな皿を受け取った。
ひとくち食べた途端――
「おいしいわね、これ。くせになりそう」
シャーロットが淡々とそう言ったので、ワトソンは驚いた。
“シャルはお子様舌だから、絶対辛いのは無理だろう”――そう思っていたのだ。
ところが、シャーロットは辛さそのものより、別の点に意識を向けていた。
「これは、どんな香辛料を入れているのかしら。色が独特ね。植物の粉末かしら」
「味より、調合を観測している……」
「これ……穀物を加工して固めている? パンとは違うのかしら」
完全に分析形態に入っている。
熱々の料理を前にして、まず成分構造を分解しようとするあたり、いかにもシャーロットらしいとワトソンは苦笑する。
「どうだった、シャル?」
「ええ。変わった味ね。でも、悪くないわ。味の奥行は広いし、香りの層も複雑」
「じゃあ、また来る?」
「えっ……それは、どうかしらね」
その微妙な返答を聞いた瞬間――
(あまり好きじゃないのね。そうよね、辛いのは苦手なはず……)
と、ワトソンは完全に誤解していた。
だが実際は、シャーロットが言い淀んだのは味の好き嫌いではなく、単に“観測するべき謎はもう十分”という意味だった。
シャーロットにとって、味の記憶は記録であって感情ではない。
ワトソンはそのことに気づかず、駅の売店のミルクティーへ視線を向ける。
「シャル、ミルクティー飲む?」
「ええ、いただくわ」
列車の出発の警笛が澄んだ音を響かせ、二人は慌てて再び車内へと戻る。
帰りの座席には、香辛料の余韻と少しの笑いが残っていた。




