第三章 花婿失踪事件 (三)
翌朝。
学園には晴れ間が差し、昨日までの濃い霧は薄らいでいた。
シャーロットとワトソンが学園を出ると、レストレードがすでに待っていた。
「――許可が下りた。サザランド家の“内部調査”が正式に認められた」
彼は監視局の封蝋が押された証書を見せた。
「思ったより早かったのね」
「マーサ嬢の体調悪化が理由だ。学園側から“極めて深刻”と報告が入った」
「……そう」
時間はそう多く残されていない……幻想が深く入り込むほど、マーサの意識が壊れる可能性が高い。
「行くぞ」
「ええ」
三人は、学園を後にし、監視局の馬車でサザランド邸へ向かった。
到着すると、家主のウィンディバンクが玄関前で待っていた。
昨日よりも険しい表情。その顔には、苛立ちと警戒が混じっている。
「本当に……家の中まで調べるつもりか」
「監視局の正式命令です」
レストレードが淡々と答える。
「協力していただけない場合は、別の処置を取ることになります」
ウィンディバンクは歯噛みしながらも、渋々道を開けた。
「……勝手にしろ」
その視線には“何かを隠している人間特有の焦り”があった。
シャーロットはその変化を見逃さなかった。
「まずは、マーサ嬢の部屋を見せてください」
レストレードの言葉に、母親が案内役として前に出た。
「こちらです……どうか、娘の助けになるものが見つかりますように……」
扉を開けると――空気がひんやりと冷たく、薄い光が壁を淡く照らしていた。
シャーロットは入室した瞬間、目を細めた。
「……この空気」
「シャル、霧が揺れている……」
ワトソンが小声で囁く。
シャーロットが指を伸ばし、部屋の点を観測する――空気がわずかに波打った。
ゆっくり部屋を歩き、机の上に置かれた小箱に目を留めた。
「これは……?」
箱を開けると――
丁寧に折りたたまれた封筒が数通、香草の匂いとともに収められていた。
「レストレード、これを」
封筒には
“H.E.” ――ホズマー・エンジェル のイニシャル。
レストレードは慎重に手袋をして、封筒を持ち上げた。
「……これは、証拠品として押収する」
シャーロットは首を振った。
「いいえ、ここで、調べるわ」
「――観測する」
シャーロットが静かに呟き、封筒の上に指で《円》の軌跡を描くと、空気がふっと引き締まり、光の輪郭が現れた。金の残滓が封筒の表面から立ち昇り始める。
(……この波形……どこかで)
目がわずかに開く。
レストレードはそれを見て目を広げて、何かを言いかけた。
「静かに」
ワトソンは、レストレードに注意する。
今、シャーロットは、円に集中している。観測の邪魔をしてはいけない。
シャーロットは波形の流れに意識を集中させていた。
(……この波形……、異様に“整っている”。)
「何かわかったのか?」
レストレードが目を細める。
シャーロットは答えず、封筒を見つめ続けた。
(この均質な流れ……学園で……)
「……まだ断定はできない」
シャーロットは低く言った。
レストレードが手紙の束を見つめながら言う。
「やはり――“ホズマー・エンジェル”は存在しない。
しかし、その幻を植えつけた者がいる」
「ええ。そして――」
シャーロットは窓辺の痕跡を一瞥した。
「幻が、マーサの心と記憶の奥に入り込んでいる」
シャーロットは、《ミラージュ・ペン》を思い出していた。
これは、記憶の改ざん。
「いくわよ」
シャーロットは、部屋を飛び出した。
「え、どこに」
ワトソン達は、慌ててついてい行く。
シャーロット達は、サザランド邸を出て、マーサとホズマーが婚約したという式場にいた。
セント・ジョージズ・ハノーヴァー・スクエア教会
ロンドンの中心地区にあり、ロンドンで有名な結婚式の教会である。
外観には、六つの円柱が来る者の幸せを祈るように建っており、
中に入ると祭壇奥には、『最後の晩餐』とその上のステンドグラスが礼拝する者の心を清める。
教会内には創建以来あるオルガンが、音を鳴らしていなくてもその空間にある種の響きを与えている。
マーサーが“ホズマーと歩いた”と語った場所。
「シャル……ここ、空気が変よ」
「ええ。 “足跡がない”というより――“誰かが意図的に消した痕跡”」
シャーロットは路地の中心に立ち、再び《円》を描いた。
青白い光が石畳に走り、淡く魔力の筋が浮かび上がる。
「……マーサ嬢の足跡だけがある……」
レストレードが驚きの声を漏らした。
「そう。そして――」
シャーロットは足跡の“途中”を指差した。
再び《円》を展開し、詠唱する。
路地の中央で《円》を展開すると、魔力の波形が二層に分かれて立ち上がる。
ひとつはマーサ固有の、優しく揺らぐ波形。
もうひとつは――異質な、鋭く洗練された波形。
空間全体が揺らぎ、祭壇の前に濃い魔力の柱が浮かび上がった。
「ここで“婚約式の幻”が固定されたのね」
シャーロットは静かに呟く。
そして――
浮かんだ魔力の波形を見た瞬間、彼女の表情が変わった。
「……レストレード」
「なんだ?」
「ここにある波形、全部…… “整いすぎている”」
「整いすぎている?」
シャーロットは息を呑んだ。
「……幻を植え付けたのは、ウィンディバンク氏ではない」
「じゃあ誰だ……?」
シャーロットは祭壇を見つめた。
「――ジョン・クレイ」
その名を口にした瞬間、教会の空気が震えたかのように思えた。
「クレイ……赤髪協定事件の?」
「ええ。彼はずっと“奨学生に記憶改竄の実験”を進めていた。マーサにも使用していた可能性がある」
「じゃあ……ウィンディバンクは関係ない?」
シャーロットは淡い光を見上げた。




