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第三章 花婿失踪事件 (一)

 魔導学園には、様々な塔がある。

 六階建ての研究棟。魔導学園に勤める教授たちには、それぞれ研究室が割り当てられている。それは学園での貢献度や研究資金がその研究室の物理的な広さにもつながっている。


 シャーロットは研究室の小さな実験室で、いつものように定期的に通っている教授の実験の手伝いを行っていた。そんな静かな作業を破るように、扉を叩かれ、勢いよく開く。


「シャーロット、相談なんだけれども」


 深緑の外套をまとい、少し息を切らしたハティ・ドーランが入ってきた。

 彼女はシャーロットの先輩であり、研究棟での助手も務める学園でも評判の才媛だ。

 しかし、その表情はいつになく暗かった。


「……どうしました、ハティ先輩」


「友達のマーサのことなの。ここ数日、研究所にも来ないし……寮室から三日間、全く出てきていないの」


「病気では?」


「いえ、体は問題ないみたいなの。でも、様子が変なの。扉越しに話しかけても、まともに答えないし……“婚約者が消えた”って、繰り返すだけで……」


 シャーロットは眉をひそめた。


「ハドソン寮長が、『あなたなら何かわかるかもしれない』って」


 ハティはシャーロットの手をそっと握った。

 その指先は、明らかな震えを帯びている。


「お願い、シャーロット。マーサを助けてあげて」


 シャーロットは静かに頷いた。


「……わかりました。ハティ先輩、案内してください」


 緊迫した空気のまま、二人は研究室を出た。


 マーサはロス教授のもとで助手の仕事をしている。

 ハティは、アドラー准教授が海外出張のため、今はロス教授の助手を務めており、ふたりは以前よりもずっと親しくなっていた。


 貴族塔。

 そういわれるその塔は、学生塔を挟み研究棟の反対に建っている。

 貴族の子息とその従者が住むその場所は、通常一般学生は立ち寄らない。


 元々貴族の子息は、自らの邸宅から通っていたが、貴族の馬車による交通渋滞が問題になる。ます、朝早くから下流貴族の子息と従者が正門前で待機している。

 親の派閥、これから作る人脈など学問と全く関係ない貴族の流儀がそこにあった。

 そして、さらに上流貴族は誰が先に正門を通ることで学園の前は、通行止めになる。

 この問題を解決したのが、ヴィクトリア女王陛下の末息子にあたるオールバニ公レオポルド王子の一言だった。


「学問に生まれの区別はない」


 それにより、貴族の子息も寮塔に住むことになる。

 それですべては解決はしていないが、少なくとも交通渋滞は無くなった。


 その塔にシャーロットとハティはいる。


「マーサ!」


 寮室の扉が開くや否や、ハティが駆け寄る。


「わたし……心配で……ずっと……」


 ベッドに腰を下ろしていたマーサは、かすかに微笑んだ。

 しかし、その笑みはすぐにしぼんだ。


「……婚約者が……消えてしまったの……」


 その言葉に合わせて、部屋中に、霧が出たような気がした。


「詳しく話を聞かせて下さい」


 シャーロットは静かに床に腰を下ろし、マーサと視線の高さを合わせた。


「……婚約式の朝でした。ホズマー様が寮の前で待っていて……優しく手を握ってくださって……」


「でも、式場に向かう途中で……ふと気づくと……いないのです。隣にいたはずなのに……」


「どんな様子だったのですか?」


「……それが……思い出せないのです……!」


 マーサは両手で顔を覆った。


「顔も、声も……何を話してくださったのかも……何一つ……思い出せない……!」


「でも、手紙は残っているの。これだけが唯一のものなの」


 マーサは震える手で小箱から封筒を取り出し、シャーロットに見せた。


『“マーサ、待っていてくれ。ホズマー・エンジェル”』


 そこには、その一行だけが記されていた。

 涙が床に落ち、小さく音を立てた。霧の中で、その音だけがやけに鮮明に響いた気がする。


 マーサの涙が落ち着くのを待ちながら、シャーロットは霧の満ちた部屋を静かに観察した。机の影はぼやけ、本棚は輪郭を保てず、光さえ歪んでいる。

 しかし、その事実を今ここで言うべきではない。マーサの状態は不安定すぎる。


「今日はもう、ゆっくり休んで下さい」


 シャーロットは優しく言った。

 マーサは、か細い声で返す。


「……ごめんなさい、ハティ……みんなに迷惑かけて……」


「迷惑なんかじゃない」


 ハティは彼女の肩を抱く。


「あなたは悪くないわ」


 霧が、弱く震えた。


 寮室を出て廊下へ戻ると、ハドソン寮長が心配げに待っていた。


「シャーロット……どうでした?」


「マーサ嬢は、深刻な混乱状態にあります。ただ、それ以上のことはまだ言えません」


「やはり……普通ではないのですね」


「はい。ただの失踪や恋愛問題なら、あの“霧”は説明できません」


 ハティが不安げに尋ねる。


「シャーロット、どう思う……?」


「……いまはまだ、何も断言できません。それを、これから調べます」


 シャーロットは静かに答えた。


 寮長たちと別れ、シャーロットは学生棟へ戻る廊下を歩く。


 霧が街に漂っていたが、さっきの寮室のような“異常な気配”はない。

 マーサの“婚約式の記憶”は濃密なのに、肝心の相手の顔も声も曖昧なまま。


 学生塔の入り口でワトソンが待っていた。


「シャル、どうしたの?」


「マーサの家――サザランド家の事情を調べるわ」


 シャーロットは静かに蒼い外套を着た。


 ワトソンの耳がぴくりと動く。霧の向こう、ロンドン塔がゆっくりと姿を現す。


「――マーサの真実を、確かめに行くわ」


 シャーロットはそう呟き、一歩、霧の中へ踏み出した。


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