本編2.テオドアの太陽
5歳までの僕の世界はマーレイ伯爵邸の自室のベッドの上で、部屋から出ることはほとんどなかった。
体が弱く熱をだし朦朧としながら真っ白な天井を眺めて過ごす。
ベッドサイドにある水が飲みたくても体がだるくて自分では飲めず、だからと言って忙しい家族を呼ぶことは我儘なことだと思っていた。体調がいいと思って外を散歩してもすぐに咳が止まらなくなる。
僕に出来ることは家族に迷惑をかけないよう部屋でじっとしていることだけだった。
マーレイ伯爵領は製糸業で成り立っている。最近、他国から安価な絹が輸入されるようになって厳しい状態らしい。差別化を図るため染料技術に力を入れ、色とりどりの糸を生み出すことが出来るようになった。それでも安泰とはいえず家族・領民が一丸となって頑張っているのに僕はお荷物でしかなかった。
2つ上の兄でさえ手伝いをしている。自分に出来ることがない、それは誰にも必要とされていないのと一緒でとても悲しいことだった。
ある時父の友人の紹介で僕を診てくれたお医者様が咳の原因を突き止めてくれた。
染料に使われている材料が原因のアレルギーだった。
両親は話しあって僕を父の友人に預けることにした。
今なら屋敷にいて症状を悪化させないためだと分かるが、僕はいらない子なのだと絶望した。出発の前夜、僕の兄が部屋に来て言った。
「テオ、お前がお世話になる家はとってもえらい家みたいだから気をつけろよ」
その言葉に怯え一睡もできなかった。
後に分かったのだが兄は僕を怯えさせるつもりで言ったわけではなく、えらい人=威張っている人に違いないから虐められないよう気をつけろと言いたかったらしい。
まあ、それを理解していてもやっぱり怖かったと思う。
翌日から父と二人で馬車の旅となった。僕の体調を見ながらのゆっくりな旅だ。いつも忙しい父を煩わせているのは申し訳なかったが、これほど長い時間一緒に父を独占出来ることが嬉しかった。
部屋からほぼ出ていなかった僕には、外の世界を見ることは冒険のようでドキドキした。
あれはなに?何度も父に聞いた。父は優しくいろいろなことを教えてくれた。
ずっとこのまま続けばいいなぁと思ったが1週間ほどで目的地に着いてしまった。
それがオルグレン公爵領だった。
オルグレン公爵はえらい人らしいけど威張ったりせずとても優しかった。
公爵だけでなく夫人も使用人も領民たちも親切な人ばかり。
なかでも特別優しかったのは公爵のひとり娘アリエルだった。
はじめて会った時のアリエルは僕をみて何故かびっくりしていた。
ルビーのような赤い瞳を丸くして、それからとびっきりの笑顔で挨拶してくれた。
「わたしはアリエルよ。よろしく、テオ。ここにいればすぐに元気になるわ。そしたら一緒にポニーに乗りましょう」
この瞬間からアリエルが大好きになった。
父が僕を置いて帰ってしまうときも寂しくて父の服の裾を離せずにいたら、アリエルが反対側の手をぎゅって握って大丈夫よって言ってくれた。
天真爛漫なアリエルと一緒にいるだけで世界は一変した。
ご飯を美味しく食べられるようになって、熱も咳も出なくなった。
体力づくりの運動もアリエルと一緒。約束のポニーに乗りたくて頑張った。
僕はあっという間に元気になった。
オルグレン公爵領では沢山の馬を育てていた。王室にも献上しているらしい。
アリエルは馬が大好きだ。もちろん僕も大好きになった。世話は大変だけど懐いてくれると嬉しい。
アリエルの髪は燃えるような赤色でポニーテールはトレードマークだ。
アリエルがポニーに乗っているとアリエルの髪とポニーのしっぽが同時にゆらゆら揺れてとっても可愛い。後ろからその姿を見るのが至福の時。僕にとってアリエルは太陽だ。いつだって照らして温めてくれる。
僕は家族と離れている寂しさを感じないほど幸せだった。
毎日一緒に馬の世話をして勉強して食事をする。
新しい仔馬が生まれる時はドキドキしながら2人で見守った。
寿命や怪我で動けなくなった馬を看病して看取るのは何度経験してもぽろぽろ泣いてしまう。アリエルだって悲しいのに僕の前では泣かない。すごく強いと思っていたけど枕に顔を埋めて泣いている所を偶然見て、僕が先に泣くから泣けないんだって気づいた。
僕が強くならないとアリエルが辛い思いをする。分かっているのに泣き虫の僕はいつも先に泣いてしまう。このままだといつになっても弟扱いだ。格好悪くて落ち込んでいたらテオはそのままでいいのよって笑って許してくれた。
アリエルが13歳になると王都の学園に行くことになった。
僕は離れたくなくてすっかり塞ぎ込んでしまった。
アリエルが王都に出発する日は笑って見送ることができるか不安だったのに、気づいたら一緒の馬車に乗って王都に向かっていた。
あれ?僕はまだ学園には入れないのにいいのかな。帰れと言われたら嫌なので黙ってついて行った。
王都でも公爵邸でお世話になっていた。アリエルは寮に入っている。
週末に帰宅したら二人で遠乗りや街へ買い物に行った。
そして僕も学園に通える歳になった。アリエルと一緒に過ごせるのは1年だけどその分楽しもうと思う。
入学式の前日に僕の家族がお祝いに公爵邸に来た。家族全員でお世話になって感謝しきり。その時、僕とアリエルが婚約してたと聞かされた。あれ? いつから。
アリエルは頬を染めながら、私がお婿さんにもらってあげるから感謝しなさいって早口で言ってた。僕は嬉しくてアリエルを抱きしめた。そういえば身長は僕のほうが高くなった。少し誇らしい気分。
アリエルが卒業を間近に控えたある時、僕の教室に綺麗な女の子が訪ねてきた。同級生の王妹殿下らしい。
「あなたの顔気に入ったわ。婚約者にしてあげるから感謝しなさい」
えっ?
「僕はもう婚約者がいるので遠慮します」
「あら、そんなの関係ないのよ。卒業と同時に結婚するからそのつもりでね」
王妹殿下とは絶対に結婚したくない。でもまったく話が通じなくて恐怖に震えた。
会いたくないのに毎日会いに来る。胃が痛い。
「無理です。僕は婚約者が大好きなんです」
「大丈夫よ。そんな女より私を好きになるのは決まっていることよ。お父様は世界中の人が私を愛してるって言っていたわ。逆らう人がいたらお父様に言いつけるわよ」
意味が分からない。大事なアリエルをそんな女呼ばわりされて悔しい。
でも王族相手に拒否はできないし、家族や公爵家に迷惑をかけたくなくて相談できなかった。
悩んでいた時、友人から借りた「真実の愛~身分さを超えたその先に~」という本にヒントを得た。
僕が王宮の夜会でアリエルを断罪(冤罪)すれば愚か者として婚約破棄になって放逐される。それなら僕だけの責任でみんなは無事だ。家族や公爵家のみんなと別れるのは辛いけどみんなを守るために決心した。冤罪を考えなくては。ピンクの髪の女の子は側にいてもらえたら雰囲気が出るかな。友達の妹さんに理由を話して協力を取り付けた。
とにかく毎日会いに来る王妹殿下から逃れたい一心で僕の行動は正常ではなかったと思うけどそれほど追い詰められていた。そして断罪の日が来た。アリエルは素敵なドレスでとびっきり綺麗だった。
それなのに、「婚約破棄」を言わなければならないなんて悲しい。結局、言った途端にこらえ切れずに涙があふれてきて、よく分からない内に断罪が終わっていた。
泣き出した僕にアリエルは仕方ないなあって笑っていつも通り手をぎゅって握ってくれた。
どうやら僕の考えはお見通しだったようで相談しなかったことを怒られてしまった。
翌日、公爵様が王妹殿下のことは話がついたから心配いらないよと言ってくれた。
それ以降、王妹殿下を見ることは無くなったので、さすが公爵様だなあと感謝しながら、アリエルとの幸せな日々を取り戻すことができた。
アリエルが学園を卒業したら僕たちは皆に祝福されて結婚する。僕は世界一の幸せ者だ。
お読みくださりありがとうございました。