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小満①

 ゴールデンウィークも終わり、世間は再び慌ただしい日常に戻った。新緑の季節は、一日ごとに、春から次の季節の中間地点に

、歩を進めるかのように感じる。


 暦の上では、もう夏らしい。平凡な高校生の僕は、桜が散り始めた頃から、非日常な出来事を体験していた。そのせいか、暦について無関心では、いられなくなった。


 暦では、今日から小満だ。この時期は、生命が太陽を浴び、成長する時期だという。立夏から小満に移ったと言うことは、また決闘の日が近づいてきたと言う事だ。


 でも僕は、決闘の事を考えている余裕なんて無かった。学校の中間テストが散々たったからだ。


 テスト勉強をするつもりで机に向かっても、三十分と長続きせず、ちょっと休憩のつもりが、ダラダラと過ごし就寝時間になる


 明日やろうと決意しても、翌日も同じ事を繰り返す。サボった時間は雪だるま式に増えていき、テスト前日は徹夜を決行するも

、仮眠のつもりが朝まで爆睡。


 我ながら情けない事に、僕はこの失敗を、中学生の頃からずっと繰り返している。本当に僕は学習能力が無かった。


 テストの結果が怖かった。学校帰り、僕はため息を何度も繰り返す。気づくと近所の公園に来ていた。


 前回の決闘の前に、僕はここで彼方に、悲痛激痛セットコースを強要された。それ以来、ここのナンキンハゼに挨拶するのが日課になった。


 僕は周囲に誰も居ない事を確認し、ナンキンハゼの大木に額をつける。目を閉じ、ナンキンハゼの声に耳を傾ける。


 ······やっぱり駄目だ。声が聞こえない。これまで同様、ザワザワっとしか感じない。でも今までより、寂しい感じが薄れてきたような気がする。


 なんでだろ?まさか僕が話しかけているからじゃないよな。


「木だって人間と同じよ。気にかけてもらえたら、嬉しいに決まっているでしょ」


 突然後ろから女の子の声がした。び、ビックリしたなあ!振り返ると、純白のセーラー服を着た少女が立っていた。


「な、なんで僕の考えている事が分かったの?」


「推理とも言えない推理よ。相変わらず木の声が聞こえない。でも木の心はなんとなく分かるんでしょ?そしたら、前より寂しい感じがしなくなった。そんな所でしょ?」


 彼方は、面白くもなさそうに僕の心理を看破した。僕は、ぐうの音も出ずに黙り込む。


「さあ。今日も練習よ。悲鳴コースと絶叫コース。どっちがいい

?」


 この公園は、ジェットコースター専門の遊園地か!だが猶予は無かった。また迷っていると、セットコースにされてしまう!


 僕は中間テストで疲れた頭にムチをうち、必死で考える。どっちだ?どっちのコースが苦痛が少ない?


「はい時間切れ。阿鼻叫喚コースに決定」


 な、何じゃそれは!?第三のコースあったのか?僕は必死に抗弁を考えたが、この鬼コーチは問答無用で僕の襟首を掴み、強制連行する。


 僕はベンチに座らされ、彼方は僕の背後に回った。何だ?何をされるんだ一体?すると、僕の鼻と口に何かが覆いかぶさった。


 これは、タオルか?そう思った瞬間、そのタオルはきつく締められた。い、息が出来ない!


「稲田佑。一度しか言わないから、死ぬ気で聞きなさい。空気の、大きく言えば大気の声を聞くのよ」


 な、何を言っているんだこの女!死ぬ気で聞く前に、窒息死するわ!彼方は続ける。普段、当たり前の様に空気を吸っているから、空気の存在も有り難さも薄れていると。


「よく言うじゃない。こし餡を注文したのに、つぶ餡にされて、つぶ餡の有り難さを知るって」


 ち、違うぞそれ!それを言うなら、病をして健康の有り難さを知るじゃないのか?僕は堪らず彼方の腕を三回叩き、タップアウトした。


 ······タオルが緩まない?ま、まさかこの女、タップを知らないのか!?脳に酸素が届かす、僕の意識は朦朧としてきた。


 だ、駄目だ。僕はここで鬼コーチに絞殺される······目が閉じかけた時に、異変は起きた。


 僕は宙に浮いていた。ここはどこだ?周囲はどこまでも青い。これは空の色か?僕の眼下に何か見える。地理の教科書に載っている······これはユーラシア大陸!?


 目をこらせば、ヨーロッパやアメリカも見えた。一体僕はどうしたんだ?自分の手を見ようとしたら、どこにも手が無い。


 手どころか、足も顔も無い。僕の身体事態が無い。今、世界の大陸を見ているのは、僕の意識なのか?


 自身の意識を認識した時、突然僕の頭の中に、物凄い質量の意識が流れ込んできた。これは、公園のナンキンハゼから感じた心と同じ物だ!


 だが、質量共にあまりにも膨大で、僕の頭は、割れるかと思う程痛む。このままじゃ頭と心が持たない!僕は必死に頭に流れ込む意識を遮断した。


 流れ込む意識を遮断した時、僕の視界には公園の風景が映った

。僕は激しく息を切らせ、大量の汗をかいていた。


「······どう?稲田佑。この島国くらいは見えた?」


 僕は答える余裕も無く、ただ頭を振った。呼吸が落ち着くと、自分が体験した事を彼方に話した。


「······日本どころか、世界の大陸が見えたですって?」


 彼方は信じられないと言う様子で、僕を見る。流れ込んだ意識の声を、聞いたかと質問してくる。


「ナンキンハゼと同じだよ。声は聞こえない。ただ、感じたイメージは······」


「イメージは?何を感じたの?」


「ただ、そこに有り続けたいだけなのに、蝕まれていく······かな」


 僕の答えを聞いた彼方は、見た事が無いような真剣な顔をしている。


「······稲田佑。それはきっと、この地球全体の心の声よ。アンタはこの島国どころか、地球の心を感じたの」


「ち、地球だって?」


 な、なんだそれは?スケールが大きすぎて、頭がついていかない。


「それは、終候ノ極のみが立ち入る領域よ。ただ分からない。そこまで踏み入って、初歩の声が聞けないなんて······」


 前に彼方が言っていた称号か。最初は声を聞き、次は心を感じ

、最後は全てを洞察理解する。僕は、やっぱり順番を間違えているのかな?


「まあいいわ。それより、精霊について知っといてもらいたい事があるの」


 彼方は組んでいた両腕を離し、僕に説明する。僕が呼び出せる精霊は三体。精霊はそれぞれ初候、中候、終候に分かれている。


 これは、ひと月の上旬、中旬、下旬の事らしい。この前の決闘の時、呼んだ精霊、紅華は初候の精霊だ。


「あの精霊を呼んだ日は、何日だった?」


 え?確かゴールデンウィーク後半の五月五日だったような······あ、それって上旬だ。彼方の話では、紅華は初候の精霊だから、上旬にその力を発揮すると言う。


 中旬、下旬に、紅華を呼び出しても、彼女は十分に力を発揮出来なく、僕の負担も大きくなるという。なる程。呼び出す時期が重要なんだ。


「あと精霊を呼び出すのは、一度に一体のみよ。二体同時に出そうものなら、その精神消耗は命に関わるわ」


 お、覚えておこう。絶対に。僕が心のメモ帳に太字で記入している途中に、鬼コーチは再びタオルを両手に持った。


「ちょ、ちょっと待って!そのやり方シャレにならないから!」


「問答無用!こし餡の有り難さを、その身で思い知るのよ!」


 だ、だからそれ違うっての!僕は純白のセーラー服を着た、絞殺魔から必死で逃げる。


「あれ、稲田君?」


 誰かに僕は呼ばれ、彼方の非道は中断された。僕は命を救ってくれた声の主を、すがるように見た。 


「あれ?こ、郡山?」


 目の前に立っていたのは、クラスメイトの郡山楓だった。郡山は、学年でも有数の才色兼備の持ち主だ。


 にも関わらず、平凡で冴えない僕にも、気さくに話しかけてくれる、性格の良い娘だった。


「へえ。稲田君にも彼女が居たんだ」


「こ、これは違うよ!ただの鬼コー······た、只の知り合い!」


「これとは何よ!私は物か!」


 彼方がまたタオルで、僕を締めようとする。郡山は優等生らしい対応で、彼方に自己紹介する。二度も鬼コーチの蛮行を止めてくれた郡山は、天使に見えた。


 僕なんかに手を振り、郡山は去って行った。ああ、いい娘だなあ。


「ああいう真面目そうな人間は、結構裏の顔を持ってるわよ」


 彼方が、郡山の後ろ姿を見ながら言う。あんないい娘を捕まえて、何を言うんだこの鬼コーチは。


 なぜか僕は、去年の事を思い出した。中学時代、ずっと好きだった娘を、偶然本屋で見かけた事があった。


 数年ぶりに見た彼女は、中学時代より髪が伸びていて、とても綺麗になっていた。僕は勇気を振り絞って声をかけた。ただ挨拶が出来ればそれで良かったのだ。


「ごめんなさい。どなたですか?」


 彼女の返事に僕は絶句した。その時はショックだったけど、考えてみれば、僕みたいな平凡な人間、そりゃ忘れるよな。


 郡山も数年経ったら、僕なんか忘れるだろう。いや、クラス中からも忘れ去られるな。僕という存在は、その程度なのだ。


「私は忘れないわよ」


 彼方の言葉に、僕は石像のように固まった。それはまるで、彼方に心を読まれたかのようだった。


「アンタ、さっき私を物扱いしたわね。絶対に忘れないから」


 彼方がタオルを両手で絞る。だ、駄目だ。今度こそ絞め殺される。その時、僕の視界にカピバラの着ぐるみが現れた。


「転移、開始します」


 救いの神か、地獄への案内人か、この時僕は、カピバラがその両方に見えた。視界が暗転し、一瞬で僕は違う世界に移動する。


 一面砂漠の世界。三度目となると、流石に慣れてきた。砂漠に変化が無いかと、僕は辺りを見回す。


 前回、砂の下から生えてきた苗木は、そんなに成長はしていなかった。だがよく見ると、雑草のような物が少しだけ生えている


 その雑草は小さく、弱々しかった。でも大地に根をはやしている。きっとこれは、間々田さんが頑張っているんだ。


「これより、小満一族代表と、清明一族代表の決闘を開始致します」


 カピバラの着ぐるみが、いつもの機械音の言葉で宣言する。カピパラの後ろから、今日の決闘相手が現れた。


 ······え?その相手は、女性だった。いや、女の子だ。まだ十歳そこらに見える。しょ、小学生だよな?


 女の子は、髪を三つ編みにし、ピンクのシャツにジーンズを着ていた。


「両一族代表は、お互いに自己紹介して下さい」


「······両手きなこ。十歳。小学四年生です」


 気づいたら、僕はカピバラの前に走っていた。


「ちょっと待ってよ!こんな子供が相手って冗談だろ?もしこの子が決闘に負けたら、その後どうなると思ってんだ!?」


 カピバラの着ぐるみは黙ったままだ。後ろから追いかけて来た彼方が、僕の肩を掴む。


「稲田佑、落ち着きなさい。決闘に負けても、タスマニアデビルの着ぐるみが側にいるし、衣食住には困らないわ」


「何を言っているんだよ彼方!そう言う問題じゃないだろ?」


 こんな小さな子供が、親や兄弟、友達からも存在を忘れられてしまう。そんな残酷な事ってないだろ。


 負けてやる。どんな決闘方法か知らないけど、僕はこの子に負けると決めた。幸い僕には、消えて困る人は居ない。


 妹は僕が消えれば、四畳半の部屋を自分が使えて喜ぶだろうし、母親も扶養家族が一人減れば、今より楽になるだろう。


 名案だ。あの小学生も助かるし、万事解決だ。その時僕の胸に鋭い痛みが走った。


 ······彼方も、僕の事を忘れるのだろうか。 


 僕は振り返り、彼方を見る。あれ?なんか大事な事を忘れているような······そうだ!僕が負けたら、彼方の存在も消されるんだった!


 ど、どうしよう。この決闘の勝敗は、僕一人だけの問題じゃないんだ。彼方が僕をじっと見る。


「稲田佑。アンタはこれまで、二度の決闘で、二人の人間の存在を消した。その二人の分まで、アンタには戦う義務があるの」


 そ、そんな言い方ずるいよ。でも、彼方の言う事は間違っていない。ニノ下さんと、間々田さんの存在を消した責任が僕にはある。


「お兄さん。心配しなくてもいいわよ。私、存在消されても大丈夫だから」


 僕が迷っている所に、対戦相手のきなこちゃんが、乾いた声で呟く。だ、大丈夫な訳ないだろ!


「バランス感覚が決め手!今回の決闘は、竹馬競争で決します」


 カピバラが決闘方法を発表する。た、竹馬競争?気づくと僕等の前に、竹馬が四本砂に埋まり立っていた。


 カピバラの説明が続く。竹馬から落下し、地面に身体の一部でも触れたら、スタート地点からやり直す。


 また決闘相手には、どんな妨害行為も許されると。ど、どんな妨害行為でも?

 

 ゴール地点と思われる場所に、二体のタスマニアデビルの着ぐるみが、ゴールテープを持っている。距離は二百メートル程だろうか?


「両一族代表は、スタート地点に立って下さい」


 カピバラが、右手に持った火薬銃を掲げる。僕は答えが出ないまま、竹馬を手にする。ど、どうすればいい?


 隣りのきなこちゃんは、冷静だ。いや、なんか醒めた目をしている。子供の目じゃないみたいだ。


「きなこちゃん。存在を消されるって、意味分かっているの?」


「······うん」


「家族や友達からも、忘れられるんだよ?一人ぼっちになるんだよ?」


「······知ってる」


「きなこちゃん。忘れられるって、本当に辛い事なん······」


 僕は、最後まで言い終える事が出来なかった。きなこちゃんが僕の竹馬を蹴り、僕はバランスを崩し転倒したからだ。


 砂の上に落ち、一瞬何か起きたのか分からなかった。目の前にきなこちゃんが立ち、僕を軽蔑したような目で見下ろしていた。


「安っぽい同情やめてくれる?クソの役にも立たないから」


 この娘は本当に十歳なのか?この言葉、この冷めた目。とても子供のものとは思えない。


「スタート」


 カピバラが火薬銃を鳴らし、乾いた音が響く。頭の中が混乱したまま、無慈悲にも決闘は開始された。



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