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立夏①

 僕は夢を見ていた。白装束の死神に追われる夢だ。僕は必死で逃げるが、足がもつれコケてしまう。全く僕は夢の中でも鈍くさい。


 死神に追いつかれると思った時、白い着物を着た少女が現れ、死神を追い払ってくれた。少女は僕に手を差し伸べて、確かにこう言った。


『お父さん。大丈夫?』


「ちょっと、何時まで寝てんのよ?」


 ······あれ?これは今夢?現実?見覚えのある顔が僕を覗き込んでいる······確かこの娘は······


 僕は物凄い勢いで、布団から起き上がり、左右を見回す。見慣れた四畳の空間······間違いなく僕の部屋だ。そして、布団で寝ていた僕を見下ろしていたのは、間違いなく彼方だった。


「な、なんで彼方が僕の部屋にいんの?」


 彼方は、部屋の本棚から無造作に漫画を一冊抜き取り、面白くもなさそうにページをめくっている。


「私は理の外の存在から、依頼されてアンタに協力しているのよ。あの連中は、何でもアリだから」


 ひ、人の部屋に、いや、人の家の中に不法侵入する事なんて造作も無いって事か?


「それにしても、アンタ漫画ばっかりね。たまには、ちゃんとした本も読みなさいよ」


 大きなお世話だ!不法侵入者に説教されたくないよ。この前、初めて彼方の笑顔を見て、ちょっとでも可愛いなと思った自分が、恥ずかしくなる。


「さっさと準備してよね。なんなら、このままカピパラ呼ぶ?」


へ?こんな起き抜けに、またあの砂漠世界に連れて行かれるの?僕は寝ぼけた頭で、記憶を整理する。


 僕は清明一族とやらの子孫で、一族の代表。僕は他の一族代表と、決闘をしなくてはならない。


 二十四節気に該当する日になると、決闘の時期だ。僕も前回から、少しだけ暦について調べた。


 前回の決闘の日は、四月三十日。これは、暦では穀雨という暦名だ。僕は、穀雨一族代表のニノ下さんと決闘した。


 そして、ゴールデンウィークの後半の今日は、五月五日。暦の上では立夏だ。どうやら僕は今日、立夏一族の代表と決闘させられるらしい。


 それにしても、朝ご飯くらい食べさしてくれ。僕のささやかな要求に、彼方はさっさとしてと冷たく返答する。


 僕は部屋の襖を開け、台所に向かう。2DKの小さなアパートは、静まりかえっている。


「······アンタ、家族は?」


 僕はうがいした後、白湯を飲むため、ヤカンに火をつける。看護士の母親は仕事で、妹の望は、友達と遊びにでも行ってるのだろう。


 僕に父親はいない。僕が幼少の頃、離婚したらしい。父親の記憶も殆ど無い。家族三人で、この小さなアパートに住んでいる。


「ふーん」


 彼方は素っ気なく答え、台所のテーブルに座る。僕は葉物を切り、味噌汁を作る。鉄フライパンに、玉ねぎとキムチを入れ炒める。


「へえ。アンタって左利きなのね」


 彼方が後ろから覗きこむ。左利きは器用とか言われるけど、そんなの迷信だ。通知表の美術が、万年2の僕が言うんだから間違いない。


 世の中は大抵、右利き使用になっているから厄介だ。左利きでいい事なんて滅多にないない。この包丁だって、右利き用だ。


白だしを入れた溶き卵を、玉ねぎとキムチ炒めに入れ、手早く混ぜる。卵が半熟の所で火を止めた。ご飯をよそい、テーブルに運ぶ。


「何よこれ?」


 彼方は、自分の前に置かれたご飯と味噌汁を見て、怪訝な表情を見せた。


「何って。彼方の分だよ。ひょっとして、もう食べてきた?」


 数秒沈黙の後、彼方は小さく首を振った。彼女は何故か、茶碗に入った白米を凝視している。


「そっか。大した物じゃないけど、良かったら食べなよ。いただきまーす」


 僕は唯一のおかずに手をつける。味付けはまあまあだ。玉ねぎもよく火が通って甘い。何かカタカタとする音が聞こえた。


 ふと彼方を見ると、彼女の右手に握られた箸が、震るえていた。その震える箸が、左手に持った茶碗の端に当たっている。


「彼方?どうしたの?」


 彼方は僕の声が耳に入っていない様子だ。彼女は思い出したように、両手を合わせ、頂きますと言った後、白米を震える手で、口に運んだ。


 それは突然だった。彼方は白米を口に入れ、ゆっくりと咀嚼した。その途端、大粒の涙を両目から流した。


「え?ええ?ど、どうしたの彼方!?」


 慌てふためく僕に、彼方は手のひらを差し出した。いいから、ちょっと黙ってて。なぜか僕は、そう言われているような気がした。


「······美味しい。お米って、こんなに美味しいのね」


 彼方の小声を、僕は聞き取れなかった。とにかく理由を聞くと、彼方は事情があって、お米を食べた事がないらしい。


 もしかして、彼方は外国育ちなのか?詳しく聞きたがったが、これ以上聞くなという空気を感じる。


「とにかく沢山食べなよ。おかわりする?」


 僕の言葉に、彼方はうつむいていた顔を、すごい勢いで上げる。彼女の顔は思いっきり、おかわりしたいって表情をしていた。


 しかし彼女は首を振り、一杯で十分だと謝絶する。この時の彼女の小声も、僕には聞こえなかった。


「私一人だけ、こんないい思いはできないよ······」



 今日の空は快晴で、正に五月晴れだった。世間は連休の後半で、皆忙しくしているのだろうか。僕は特に予定も無く、ゲームをしながら、ゴロゴロと過ごしていた。


 僕と彼方は、朝食を済ました後、近所の公園に来ていた。閑静な住宅街の中にある公園は、休日にしては珍しく、誰も居なかった。


 彼方が朝食のお礼に、暦の歪みを正す技術の一端を、教えてくれるという。しかし、何分のんびりと教える余裕はないと彼女は言う。


「稲田佑。悲痛コース、激痛コース。どっちのコースがいい?」


 ······ぜ、絶対どっちも嫌だ。しかし、彼方の据わった目が、僕の拒否権を認めなかった。


「人生は多かれ少なかれ、大概が二択よ。前に進むか、後ろに戻るか。右か左か、こし餡か、つぶ餡か」


 ん?最後のは関係あるのか?僕はどっちかと言うと、つぶ餡派かな。僕がよもぎ大福を想像していると、彼方が破滅の言葉を発した。


「はい時間切れ。悲痛激痛セットコースに決定」


 はあああ!?まさかのセットコース!?彼方は僕の腕を掴み、この公園でも背の高い木の前に連れて行く。そして僕の額を、ナンキンハゼという名の木に押し付けた。


「いたたた。痛いよ彼方!」


「稲田佑。一度しか言わないから、死ぬ気で聞きなさい。自然界に存在している物には、全て意味があって存在しているの。無駄な物なんて、何一つ無いのよ」

 

 彼女は続ける。大きく言えば、森羅万象に耳を傾け、その声達の言葉を聞き、生じた歪みを、是正するのが一族の務めらしい。 


 医者も患者に症状を説明してもらわないと、治療出来ない。それと同じだと言う。生物、植物、果ては大気と、声なき声に耳を傾ける。そこから全ては始まる。彼方はそう言った。


「目を閉じて、この木の言葉を聞いて。耳で聞くんじゃないの。心の耳を澄まして感じるのよ」


 僕は目を閉じる。とにかく、この木の声を聞かないと、この拷問は終わらないらしい。一刻も早く開放を望む僕は、全力でこのナンキンハゼに語りかけた。人助けだと思って、なんか喋って!


 しかし、僕の熱意は伝わらず、木は何も語りかけて来ない。僕等以外、無人の公園は静寂に包まれていた。感じるのは、木に押しつけられた額の痛みだけだ。


「稲田佑!何か言いなさいよ」


「そ、そんな事言ったって分かんないよ!なんかザワザワって感じしか、しないし」


「······ザワザワ?」


 彼方は僕の頭から手を離し、僕の隣に座り、突然僕の左手を握ってきた。な、なな、何?女の子と、手を繋いだ事など無い僕は焦った。


 彼方の手は、小さくて柔らかく、そしてとても温かかった。


「もう一度、額を木につけて。心を鎮めて、落ち着いてね」


 彼方が額を木につける。僕は心臓の鼓動が、聞かれるんじゃないかと思う程、ドキドキしていた。


 僕は再び額を木につけた。あれ、何だろこの感じ。さっきと何か違う······周囲の雑音が遮断される。


 僕の頭の中、いや、これは僕の意識か?それが、この木の中に吸い込まれるような感覚。


「······どう?稲田佑」


「なんだろ。一度目にザワザワって感じたんだけど、それが二度目はハッキリと感じたよ。何だろ。なんか悲しい感じって言うのかな」


 彼方の問いかけに、僕は慎重に言葉を選んだ。


「それはこの木の感情よ。この木は、仲間の木が一本も無くなった事を、寂しがっているの」


「え?寂しがってる?」


 後で調べて分かったけど、この公園にナンキンハゼはこの木だけで、後は別の種類の木だった。


「初候ノ極」


 彼方が静かに呟く。え?しょこうのきわみ?


「二十四の一族には、その実力に応じて称号が与えられるの」


 彼方の話では、最初に与えらるのが、初候ノ極。これは、植物や生物などから声を聞けるようになったら与えられる称号。


 そして一つ上の称号が、中候ノ極。これは、声だけでは無く、相手の心が解るようになったら与えられる。


 最後は、終候ノ極。これは正に、ありとあらゆる物たちから、声と心を瞬時に洞察し理解出来る者に与えられると言う。


「稲田佑。アンタが感じたのは、この木の悲しいって感情。つまり心よ。本来なら、最初は声を聞く所から始まるの」


 えーっと、声じゃなくて、心を感じた?僕は、正式な手順を飛ばしたって事か?


「アンタは、初候ノ極を通り越して、中候ノ極の領域に居るって事」


 え?それっていい事なのかな?学校で言うと、飛び級みたいな?僕って、もしかして才能あるのかな?


「いい気にならないでよ。声を聞けないって事は、基礎が出来て無いって事なんだから」


 僕の束の間の勘違いは、彼方の冷たい視線と言葉で消え去った。


「一族の子孫なんだから、力があるのは当たり前なの。それに、私が手をつないで触媒になったんだから、何かしら感じるのは当然よ」


 そこまでキツく言う事ないじゃないか。ん?彼方を通じて、僕は木の心を感じた······と言う事は?


「か、彼方も一族の人間なの!?」


「はあ?今更気づいたの?」


 じょ、冗談だろ?って事は、いずれ彼方とも決闘するの?む、無理だ。勝てない、絶対勝てっこない。


「安心して。私とアンタが決闘する事はないわ。決闘するのは、一族の代表同士よ」


 僕は心から胸をなでおろした。あービックリした。ん?彼方はどの一族なんだろ?


「私にも守秘義務があるの。何でも話せる訳じゃないのよ」


 守秘義務?あのカピパラから、色々と言われているのかな?彼方が真剣な顔をしていたので、僕もこれ以上聞けなかった。


「とにかく練習よ。私の助力無しで、木の声を聞けるようにして」


 彼方は、また僕の額を木に押し付ける。悲痛コースと激痛コースって、どっちを選んでも、こうやって押しつけたろ!絶対!


 僕は心を無心にして、ナンキンハゼの言葉に耳を傾ける······が、何も聞こえない。でも、さっきと同様にザワザワっと感じる。今度は彼方の手を握ってなくても。


「稲田佑。残念だけど時間よ」


 僕の瞑想は、彼方の一言で中断された。目を開いた僕の前に、あのカピバラが立っている。そのカピバラの後ろにも人がいる。


「転移、開始します」


 前回同様、カピバラは突然現れ、機械音の言葉を発した。僕の慎ましいゴールデンウィークは、一瞬で非日常へと激変した。

 



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