水玉はじけて輝くひかり―3―
カラオケボックスに入って案の定、浩平がマイクを握り締め歌い続けていた。浩平は下手でもなければ上手くもないが途轍もなく歌うことが好きらしく、一時間はマイクを離さない。佳帆も修二と付き合い始めてその癖は慣れたのだが、それにしても熱唱系の歌を連続で一時間聴き続けるのは若干の苦痛だ。これでとろけるような修二の美声がなければただの苦行だろう。
歌の合間にノックの音が響く。まるで見計らったかのようなタイミングで、満面の笑顔と大量の料理を両手に携えて茜が入室してきた。
「はいお待たせしました~。焼きそばと、フライドポテトでーす」
「姉貴、俺らこんなもん頼んでないぜ、どっかの部屋と間違えてないか?」
確かに、と佳帆は思う。眼をキラキラさせて感激です! と叫んでいる浩平は放っておいて。
「まあまて修二、俺にはわかる。これは茜さんの優しさに違いない! 俺らみたいな金なし貧乏高校生に愛の手を差し伸べてくれているのだ! イッツアマイスィートエンジェル!」
まるで映画の台詞のようだ。よくもまあそんな歯の浮く台詞が思いつくなと、佳帆も修二も感心した。だが両名とも真似したいとは思わなかった。
「うんうん浩平くんは素直でよろしい! 修二ももう少し素直だったら可愛いのに」
そんな浩平を軽く流し、茜は修二を一瞥する。修二は修二で聞こえなかったフリをする。
年が離れているせいか、この姉弟は仲がいい。茜の性格は見た目通りサバサバしており、同性からも好かれるような思い切りの良さが特徴だ。長女らしく、全体に目を配り積極的にリーダーシップを発揮する。それに比べ弟の修二は何事にも関心が少なく、消極的。だがそれは表面上だけで、内には激情を秘めている。それを見たのは付き合っている佳帆でも数える程しかないのだが。
修二君には、未だ私の知らないところがあるんだな。と佳帆は思う。激情が爆発する理由も、水晶のことも。
そんな思いが顔に出てしまったのだろう、茜が目聡く見つけ、声をかけてきた。
「佳帆ちゃん、どうしたの? 元気ないみたいだけど」
心配そうに佳帆の顔を覗き込む茜。浩平は茜が持ってきた焼きそばにがっつきながら、「腹でも減っているんじゃないっすか」と言う。誰かさんと一緒にしてもらわないで欲しい。
「おい、どうした? 具合でも悪いのか?」
珍しく、修二もそう声をかけてくる。そんなに暗い顔をしていたのだろうか? 慌てて大丈夫、と取り繕っても修二や茜の顔からは心配の色が消えない。思わず視線を床に落とす。
「修二、あんた私の可愛い妹になにかしたんじゃないでしょうね!」
「はぁ!? なんもしてねえよ。てかいつから姉貴の妹になったんだ」
「ふん! あんたみたいな愛想もなければ可愛げもない弟より、ラブリーキュートな妹がいる方がいいじゃない!」
「なはは! 言えてる言えてる」
てめえどっちの味方だよ、と会話は続く。佳帆はそれを上の空で聞いていた。何故か自分だけがその場にいなくて、遠くで会話を聞いているような……そんな錯覚に襲われる。
何故だろう。付き合ってもう長いのに私は修二君の何も知らない。そう思ってしまうと心に刺が刺さったかのようにちくりと痛んだ。
「あ、もしかしてあれか? 水晶の話か」
浩平の言葉に、どきりと心臓が脈を打つ。佳帆は思わず顔を上げた。
「そ、それは」
修二の訝しげな表情が目の端に入る。心臓が、激しく脈を打っているのがわかる。
「水晶?」
言葉が継げない。口が開かない。不意に機会を得た聞きたいことなのに、カフェで聞いた浩平の言葉が頭の中を巡る。そしてまた、顔を床に向けた。
――前の彼女にもらったものかとか!
前の彼女。
もしそうだったら?
もしそうだったらどうする?
そう思うと、口が開かない。
「言いたいことは言わないと体に毒だよ?」
茜が佳帆の隣に座り、肩を抱く。その優しさが、今は少し辛い。
「……あの、窓際にある水晶って。…………修二君にとって大事なものなの?」
ゆっくりと、佳帆の口が動く。聞きたいけど、聞きたくない。そんな思いもあってか声は震えていた。
修二は何も言わない。佳帆は修二と顔を合わせられない。もしここで修二の顔を見ていたなら、話は変わっていたのかもしれない。だが佳帆は修二の顔を見ない。見れない。きっと悲しい顔をしている。なんでそんな事聞くんだって、悲しい顔を。
その水晶が……
――前の彼女にもらったものだから、なんでしょ。
すこしだけ照れたような笑いを浮かべ、修二は喋りだす。
「そりゃ、大事だよ。言いたくなかったんだがあれは」
瞬間弾かれたように部屋を飛び出す佳帆。
「え! おいちょっと!」
部屋から顔を出し、佳帆の背中を追うがその声は届かない。
「修二、あんた一体何やらかしたの?」
部屋から茜の不機嫌そうな声が聞こえる。
「俺が聞きたいくらいだ」
「あんたねぇ」
どう言われても、修二に心当たりはない。佳帆の突然の行動に混乱しているのはなにも修二に限らず茜も同じだ。が、文句を言いたい気持ちもわかるので、お互いに何も言わない。
「あのぅ~。もしかすると、原因は俺かも……」
と浩平が小さく呟きながら手を上げた。言葉にしないで先を続けるよう、修二は頷いた。
「さっき、カフェ出るときに、俺も水晶の話してさ。あの水晶は前の彼女にもらったんじゃないか? みたいな事を俺の口が言った気がする」
頭を抱える修二。
「それだ」
言うにことかいてそんなことを言うとは。呆れて物も言えない。
「浩平くんデリカシーなさすぎじゃない? ありえないよ全く」
ため息混じりに茜が告げる。その通りだと思う修二。誰だって前の彼氏彼女の話をされれば嫌な気持ちになるだろう。
「だってそんな深刻に取られるとは思わないっすよ」
「あんたも短い付き合いじゃないんだから、それぐらいわかるでしょ? 佳帆ちゃんはそういう子なの! 修二も! なにぼさっとしてんのよ、さっさと佳帆ちゃん追いかけなさいよ!」
とはいえ、勘違いをした佳帆も佳帆だ。冷静になってそのうち戻ってくるだろうからここで待っているべき、という修二の考えは見事に茜に一蹴された。
「このバカタレ! いいからとっとといけこの朴念仁! こういう時にそばにいないで何のための彼氏だ!」
歯向かっても仕方ないのはわかっている。確かに茜の言うことは当然だろう。だがここでいいものなのだろうか? 単に佳帆を甘やかすだけにはなりはしないだろうか? そんな考えが修二の頭の中でぐるぐる回る。
だがしかし。それらを振り払い、修二はすぐに行動することにした。
考えるより先に体を動かしてそのあと考えよう。そう決断したのだ。
「行ってくる!」
「これ以上佳帆ちゃん泣かしたら、承知しないからね」
「誰が!」
扉を乱暴に閉め、部屋を後にする修二。
しかし佳帆がどこにいるかなんて見当もつかない。
とりあえず思いつく限りの場所へ走り回る。
二人でよく行くカフェ、学校、バイト先。
どこにもいない、佳帆の姿はそこにない。
「くそ、どこいった」
言っても仕方がないことは分かっていても悪態をついてしまう修二。雲が空にかかってきたとはいえ夏の空気だ、ちょっと動いただけでも汗をかくというのに、 走り回っているのだ。汗がひっきりなしに流れても不思議ではない。
汗を拭き辺りを見回しつつ修二は考えた。大体の場所は回った。他に佳帆の行きそうなところってどこだ。
そこでふと、思い出したことがある。
「そういえば、俺の部屋、行きたいって言ってたな……」
踵を返し、自宅に向け走り出す。
修二は確信していた、佳帆はきっとそこにいるということを。